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2014年1月30日 (木)

高松に行ってきました(栗林公園・高松城址)。

2014年1月28日(火)小豆島の帰りに高松を見てきました、時間が無く早足での見学となりました。

まず、栗林公園に行き次に高松城址です。

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 栗林公園では地図の左半分を重点的に見て回りました。

大名庭園の日本三大名園ー水戸の偕楽園・金沢の兼六園・岡山の後楽園の上をいくと言われる栗林(りつりん)公園です、名前はくりばやしですが松が主体です。

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池・島・松で構成された庭園です。

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後ろの山を借景にした配置です。

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偃月橋から見た南湖と掬月亭です見事な風景です。

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南湖を回り込み掬月亭をみる。

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掬月亭側から偃月橋をみる。

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見事な枝ぶりの老松が沢山あります。

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湖面に映る掬月亭、風もなく穏やかな陽気でした。

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掬月亭の脇にあるこの根上がり五葉松は11代将軍家斉公から盆栽で貰ったものを地植したそうです、見事なものです。

此処からは高松城址です、時間が無くて・・・・・(泣)。

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この当たりの道路は以前は堀です・・・・高松城は水城と呼ばれるぐらい堀に囲まれた城です。

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ここは海からの堀です正面が本丸の石垣です、本丸は四方堀で囲まれ二の丸と鞘橋で繋がっていたそうです。

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月見櫓です、これと丑寅櫓が此処高松城で現存する建物です、本丸を建てる計画もあるとか?。

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逆側北の丸方面からみた月見櫓です。

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石垣を覗き見して・・月見櫓・水手御門・渡櫓です・・・時間があれば外側からも見たかったです。

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 二の丸から鞘橋をわたり本丸へ、本丸天守閣跡の石垣です。

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 天守閣跡の上から見た鞘橋・向こうが二の丸。

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天守閣跡の上から見た海側へ続く水門の両脇の石垣、この左側一帯は広大な披雲閣(ひうんかく)があります(実際の住居・事務所)。

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 これは丑寅櫓(旧太鼓櫓後に遺跡した櫓)です、JR高松駅横にあるお城ですが良く保存したと感心しました地元の方々の熱意がありこれら文化遺産が残されたのでしょうネ。

 

2014年1月29日 (水)

小豆島に行ってきました。

2014年1月26日(日)~28日(火)に香川県の小豆島に行ってきました。

(新幹線)ー岡山ー(マリンライナ)ー高松ー(瀬戸内海クルージング)ー小豆島土庄(とのしょう)港の往復です。

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 高松港から船で50分ぐらい小豆島の土庄港に着きます、地図の左下の脇です。

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小豆島は二十四の瞳で有名な島です、港の脇に平和の群像の像がありました。

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小豆島は海峡を挟んで左が土庄のある前島で右側が本島です世界一狭い海峡の土淵海峡でギネス認定登録だそうです、輪の辺りが一番狭い、バスで観光しました。

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銚子渓のお猿の国に行きお猿さんの芸を見ました、握手しました柔らかな手でした。

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寒霞渓は日本三大奇岩の一つです(群馬の妙義山もその一つです)、紅葉の時期は本土から沢山の観光客で賑わうとのことです、今は少ないです、下りを歩いたのですが会う人はおりませんでした。

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岩に色々な名前がありますが、ハッキリしません此れは観る角度で最初”鳥”みたいでしたが此処から見れば獅子の顔ですかネ。

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これは錦屏風・・・・、結構木の枝があり良く見えないです、ケーブルの方が良っかたかも(私たちは歩いたので)、道々に獣の糞が沢山ありイノシシかな元々は居ないのですが海を泳ぎ渡り今では人より多くなっているとか?。

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 二十四の瞳の撮影現場の映画村です、現場を残しその後利用しているとの事。

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 岬の分教場を再現したものです、本物も来る途中に現存しています、中にも入れます。

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壺井栄さんの二十四の瞳の大島先生と十二人の生徒です、ガイドさんがお話を朗読思わず涙涙でした。

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 此処はオリーブ公園です、大島先生は此処から左側の湾を回り込み正面の平らなあたりまで8KMもある分教場へ雨の日も風の日も自転車で通われたそうです。

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これは凄いです巨木ですが凄い・・・宝生院の樹齢1200年のシンパクです、バスを途中下車し歩いて行きました、カミナリで三分割されていますが感動ものでした、地元の人に聞いたら大したことは無い・・エンジェルロードをお勧めですーて・・・言われましたが私は感動しました。

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これがエンジェルロードの恋人の約束です、潮が引くと四島に歩いて渡れます、確かに海辺で砂浜を歩けますから好いのですが・・・・。

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土庄港ともお別れです、オリーブの輪が港にあります。

小豆島はかなり大きな島で名前では大豆ではないかと・・・・急いで見た感じでしたが食べ物は美味しかったです、何と魚が食べれました・・・・。

 

2014年1月21日 (火)

江戸城周辺に行ってきました。

2014年1月20日(月)に会社のOB会が有り行きました、そのついで日比谷界隈を歩いてきました、昼酒が気持ち良かった、しかしこれで3日連続の新年会で流石に荒れ気味。

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まず会場玄関からの写真。

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つづいて外側玄関の写真、ここで分かれば日比谷界隈に精通しています。

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これで分からなければ日比谷を知りませんネ。

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日比谷公園の噴水です、新入社員の頃を思い出します。

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此れは松本楼脇の首懸けの大銀杏の木です。

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これも寒くなり凍るとよく新聞にのる鶴の噴水です色々な角度から写真を撮りましたが噴水状態の良いのが此れでした。

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日比谷見附門の心字池です、情緒ありますね。

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此れは法務省旧本館です、明治28年に建設された司法省でその後復元、今は外観のみ重要文化財です、近代化遺産です。

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此処からが江戸城です、外桜田門です、この門は凄いですよ。

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正面を行きすぎての写真です、左脇が切れていますネ。

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此れが正面ですこの手前で大老井伊直弼が水戸の脱藩浪士にやられた所です。

左の門が高麗門と左側と後ろ側は堀・右側は渡櫓門でその広場は外桝形構造で非常に防御性の高い城門です。

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此れは高麗門を入り外桝形の広場脇からみた渡櫓門です、高麗門が敗れても簡単に中に入れません。

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これも同じ所からみたのですが、左は外からの堀で囲まれています、後ろも堀です、この広場にどのくらいの兵馬がいるかもわかりませんネ(馬出しも兼ねています)この様な虎口が良いのです。

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この図の上の方が桜田門です、これから正門・二重橋へ今回はいきます、此処は西の丸後で現在は皇居新宮殿です、皇居東御苑(本丸)は入れますが月曜日(今日)は入れません。

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此れは外桜田門の渡櫓門を抜けたところです、向こう側と同じ形ですね。

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これも同じですが、堀に囲まれているので撮りました、この堀が二重橋堀へ続きます。

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お馴染みの二重橋・正門石橋(めがね橋)です。

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正門石橋の先が正門です、現皇居正門です。

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此れが二重橋堀にかかる正門奥の鉄橋です、判りますか?堀を超えて回り込んでまた堀を超えるこのように簡単に西の丸(右奥)へは入れない工夫が施されています、ちなみに右奥の櫓は伏見櫓です。

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正門石橋のめがね橋と正門です、城の構造縄張りは複雑で面白いですネ。

2014年1月13日 (月)

小倉城址に行ってきました(埼玉ときがわ)。

2014年1月12日(日)に予てより気になっていた小倉(おぐら)城址に行ってきました。

武蔵嵐山より徒歩で行ったのですが、一か所間違えて方向違いで大蔵館跡に行ってしまいました、めげずにどうにか”ときがわの田黒”にでて小倉城址に辿り着きました(泣)。

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お城は槻川の蛇行を利用した山城です、鎌倉街道に面し(?)八王子ー鉢形を結ぶ中世の幹線ルートにあるそうです(山の中ですが!)、確かに武蔵嵐山・ときがわ・小川町の町境です。

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山を背景に居館は平場の大福寺だそうです、土塁も下に僅かに残っています、山は南北へ走り、北側から郭1(本丸)・郭2を並列にまわりに郭3・4・5をちりばめ腰郭で連携、虎口は大きく北(武蔵嵐山方面)・南(小川とときがわ方面)・東(大福寺方面)ですか?。

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小さな石の案内板を見凄し、3個目で漸く気が付きました(小倉城址駐車場・・・これで気が付きました・・疲れていました)、正面の寺が居館の場所です?、後ろの山が小倉城址です。

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標高140mの山の急斜面を上り、土塁の上にあがりました途中で石垣らしいものが見えました。

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郭3の横を上り郭1の正面に出ました、左の下の道が郭3の石垣の下にでます、右正面は左側郭3で右上は郭1側です。

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郭3(左)と郭1の間にある堀切です、見事な堀切です(後でもう一度)。

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郭3です、そこそこの広場です、土塁の盛りは大分平らに成っているみたいです。

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郭3からみた堀切です、この先は左側への虎口でしょうかね?、正面は崖です(行き止まり状態です)。

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此れは郭1の越郭から見た堀切で大分高いですネ、狙い撃ちです・・・・。

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此れは郭3の下の道からみた石垣?(石積みが正しいかな!)、大分崩れていますが随所に石積みが有ります、此処は関東でも珍しい”石造りの山城”で結晶片岩を利用したものです。

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此れが上って来て最初に目についた石積みでした。

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石積みのアップです。

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石垣の上から下を見ました、攻めるのは厳しいですネ、矢張り攻城は人がいりますネ。

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上り詰めた先に見えるのが郭1の土塁です、土塁の周りが腰郭ですね。

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郭1の土塁を回り込むと北口の郭1への上り口です、ここにも石積みが少し見られました。

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右下が武蔵嵐山側への虎口で、正面の囲い向こうが桝形虎口です。

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此処が郭1の北側から南側方面を見た写真です、郭1は上段と下段に分かれていました。

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此れは下段側からです。

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中央の段差に石碑が立ちわずかな説明版があります・・・・此処は殆ど説明版等が有りません、この資料を頭に入れて縄張りの状態を見ないといけませんネ。

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ここは南側の虎口です、土塁を回り込むような仕組みが(横矢掛)見て撮れます。

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ここは左が郭1の土塁で右側が郭2側となります、1・2の隙間多分(堀切)での土塁下を道にしていますネ。

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回り込んで郭2が右側となります、この腰郭は結構長いです。

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これも上の続きの越郭で右側が郭2の土塁です。

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ここで郭2(右)が終り堀切での空堀土塁です向こう側は竪堀状態です、左側は郭4へと続きます。

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此れが多分、郭4でこの先から南口虎口へとなります、大手口は此処なのでしょう?。

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虎口の先に向こうの山がみえます、この先が下ると鞍部でときがわ・小川方面と分岐できたのでしょう(この先に残念ですが行きませんでした)。

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ここは郭2です郭の端は土塁が積み上げてありますネ。

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郭2の南端からみた小川方面槻川です。

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郭2の南端からみたものです、此処も土塁が積み上げて有りますし、やや高台になっていますネ。

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郭2の端からみた郭1との堀切土塁ですが、大分穏やかに崩れています。

先日太田の金山城址を訪れたおり、金山城の説明ボランテイアの方に埼玉からきましたと話したら、私は小倉城に行きました、あなたは見ましたかの話になりました。

此処だけ交通の機関が悪いので・・・・・まだです・・・、今回歩き疲れましたが、流石、国指定史跡保存状態が良く見応えがありました、ただあまり地元の方は知らないみたいなのが気にはなりましたが・・・天気にもめぐまれて良っかたです。

2014年1月 2日 (木)

晃石山に行ってきました(大平山城址)。

2014年1月1日(水)に太平山・晃石山に行ってきました、天気が良いので近場の山を選びました。

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ここは大平神社があるので初詣も人が沢山おられました、お参りするのに並びました。

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パワースポットです、新年そうそう好いことが有りますように・・・自分での努力が必要ですネ。

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神社よこから山の入ります、以前は簡単な山?が近年大変になりました、アップ~・ダウンーーー>ウン~。

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晃石山山頂です、温かいせいか見晴が・・・今一つ。

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山頂奥ノ院の神社も新年です。

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山頂下の神社です、此処までのお参りの人は少ないです・・・結構人は来ますが。

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これもパワーですよ、昔あったかな~!。

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下りは早いが気おつけないと。

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大平山です。

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大平山山頂の浅間神社です・・・此処は大平山城址です、下記の説明を。

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神社裏手は見晴台!!。

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本丸脇は腰曲輪なのですネ。

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此処が城跡です脇は急ですし昔の山城らしいですね。

やはり、人が住むには今の謙信平か太平山神社が城としては妥当ですね。

水戸の天狗党も一時期籠りましたからネ。

太田金山城址に行ってきました。

2013年12月30日(月)に群馬県太田市の金山城址に行ってきました、駅からハイキングを兼ねて絶好の日でした、大光院(呑龍様)の裏山から登ります。

金山城は国指定史跡で日本百名城の一つです、上杉謙信にも攻められましたが耐えきった難攻不落の城です。

山城ですが石垣の城で近年有名です、1590年豊臣秀吉の関東攻めで前田利家軍に攻められ落城(ここでも城主、由良國繁らは小田原へ)多分、唐沢山城・金山城等この近辺は戦う前からやる気が無っかたと思われますね(忍城の成田氏でもそうでしたからネ)、それぞれ江戸時代存続していますし。

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モータープール(金山城駐車場)右側まで1時間半位?かな、此処は金山城址の西城です。

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上の写真の正面を左にまず行きました、城の西側の守りの見附出丸です、この正面が土塁で前は小さな崖です、北・南側には土塁です。

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この広場が西城です、右側を少し下りそこから奥へと金山城があります。

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此処が尾根の窪みでこの奥が金山城です、ここは全体に説明版が完備しており、調査復元で判りやすいです(感謝)。

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この図が全体として判り易かな!、金山は標高235mの独立峰で太田の駅からも裾野は目の前に見えます、私は左側から尾根筋を見ていきました、中央やや右のひだの窪地が昔の大手門道の上り?で今復元工事中でした。

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この様な説明版が多数あります、尾根を中断する堀切の説明です、4か所ぐらい次から次へ出てきます。

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これも西櫓の前にある堀切です、空堀状態を作り出すわけですネ。

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この尾根の広場が西櫓です。

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これも西櫓から物見台(この右上の方)馬場郭にある堀切です。

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堀切の前は石垣で防御された拵えです、右側は崖状態です。

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石垣が続きます、左上が馬場郭で長い尾根の上を利用しています。

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石垣をとちゅで曳き橋?があり堀切で向こう側に簡単に行けない工夫があります。

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橋の上からみた向こう側の石垣と手前が堀切で作った空堀です。

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此れが物見台で手前から尾根つたいの馬場です。

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物見台からみた赤城山他に右側には浅間山榛名山・左側には日光の男体山等が一望に見渡せます。

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この下の地図を見てください、まだまだ右奥へと続きます。

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馬場からみた奥が馬場郭と厩の建物(復元)です。

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此れは馬場曲輪下から見た厩の建物です、この右下手前が大手門の道へ繋がります。

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現在復元中の大手門道です。

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登ってすぐ横にある月の池です、山肌からの水が集中しやすい構造に出来ていますネ。

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池の上の大堀切です、左側が馬場郭、右側が三の丸川です。

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左下が付きの池、手前右下が大手門道、此処が大手虎口です石垣にびっくりです。

真ん中が大手通路で右側が北口上下曲輪・右側が南口上下曲輪と呼ばれています。

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これがここの全体図です、三の丸二の丸位置がおかしい?と思いましたが。

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大手虎口からみた南口の石垣、一段目が虎口南口下曲輪・上の建物が在る所が上曲輪で、その上に南丸があります。

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虎口大手通路です、水の流れを気にした造りとか、うまく造らないと水の力でハラミ状態が出来壊れます。

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此方は虎口北口の上曲輪から見た大手通路です、この上が三の丸だと思います。

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大手通路を上がりきると正面に土塁石垣が塞ぎます、説明は次の説明文を。

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これは土塁石垣の北口側からみた虎口南口下・上曲輪です。

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これは南口上曲輪からみた正面石垣土塁と北口上曲輪方面と建物が在る所が二の丸?。

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石垣土塁を抜けると日の池があります。

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日の池を回り込み上がると御台所曲輪の広場です・・・ここを実城と呼ぶそうです。

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ここに樹齢800年と言われる大ケヤキがあります、見事な巨木で木の姿も趣があります、奥が現新田神社がある本丸跡です。

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本丸へ上る最後の階段です。

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本丸跡にある新田神社です・他に御嶽神社・稲荷神社がありそこそこの広さがあります。

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本丸裏手にある当時の石垣です、今までの石垣は復元です。

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此処が南曲輪の広場です、左側の見晴の良いこと東京まで見えそうです。

太田の町近くですが山の上と言うこと廃城のまま再開発が成されずにいた為と復元による努力で蘇った城ですネ。


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