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2014年4月21日 (月)

三つ峠に行ってきました(河口浅間神社・母の白滝)。

2014年4月19日(土)に山水会で三つ峠に行ってきました、例年は雪の2月頃ですが今年は桜の時期となりました。

昨日は雨で本日は晴れの予報でしたがガスで富士山は見えませんでした。

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昨年2月の山頂よりの富士山を載せます・・・・・泣き。

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登山中のガスによる景色はこんな状態でした。

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何か撮らねばと身近な木を・・・・。

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ブナですかね・・趣はあります。

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ガスの中一縷の望みを期待しながら・・・・・・。

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山頂からの写真は此れです、向こう側に何時もは富士山が・・・。

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結構寒いです、早めに下りました、残雪もあり、道は泥んこもあります。

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母の白滝への急な階段を降ります。

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滝上の状態です。

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此れが母の白滝上部です。

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滝の全景です、此処は河口浅間神社の社有地で富士山の恩師が禊をする場所でした。

綺麗な滝ですネ。

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この水のシャワー状の美しさ如何ですか。

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少し角度を変えてもう一枚。

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此れは昨年の2月氷の時の滝です、いずれが良いでしょうか?。

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河口浅間(かわぐちあさま)神社の御神木の大杉です・・・ここは樹齢1200年もの大杉が7本も境内に在るのです、これは天壌と名前がついた幹回り 8.1m樹高43mの神木です。

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みしるし・れいかく・うぶや・神綿の神木達です。

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拝殿とみしるしの神木です、富士山の噴火を抑えるために出来た神社です。

富士山信仰を支えた御師の家も神社の周りにはあります。

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神社の参道の並木です、樹齢800年と有りました、凄いです、大切にしたいものです。

富士山は見えませんでしたが大切なものが見れて良かったです、皆さんに感謝です。

2014年4月18日 (金)

高崎に行ってきました(箕輪城址)。

2014年4月17日(木)に高崎市箕郷の箕輪城址に行ってきました。

日本百名城で土地の豪族、長野氏4代が武田信玄・北条氏康・上杉謙信との争いのなか 山内上杉憲正につき滅亡した所です、その後も数奇な運命をたどる城ですね。

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保存会の資料に概略が記載されていました、最後は井伊直正が高崎へ移り廃城となりますが、おかげで保存状態は良好でした。

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案内図があり判りやすく廻れました、結構広いので歩きますが。

地図の位置は上が北で東西に走る堀切で南北に分かれた造りです、堀が大きく沢山回り込むように縄張りがしてあります。

ちなみに武田軍2万は最後新曲輪(北側)側からなだれ込み御前曲輪で城主長野業盛は城を枕に討死しました。

辞世の句 春風に梅も桜も散り果てて 名のみぞ残る箕輪の山里。

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最初大手尾根を見たのですが城の構造がおかしいと思っていたのですが復元図の説明をみて納得しました・・・・・搦め手が大手でした(東側)。

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水の手曲輪にある法峰寺です、此処にも歌が 水汲みに行くのか地獄の一の木戸 行くとは見えて帰る人なし(よみびとしらず)、激戦の籠城ですネ(合掌)。

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法峰寺手前を左に観音堂へ上り左脇へ・・・・観音堂入口です。

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下が観音堂から見た水の手曲輪です、穏やかです。

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上ると二手にわかれます、私は左の大手尾根コースを選びました。

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堀が多いです、回り込むように上りました、左は空堀で正面突き当りは観音口からのコースとぶつかります。

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これは右側が観音堂口で左側が榛名口へでます、真ん中は空堀で左は曲輪です。

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合流点から見た堀で右側は木俣曲輪側です、左側は二の丸脇の郭馬出しです。堀を右側に周り込むと大堀切にでて搦め手と出れます、敵から見えずらくし敵が入り込めば上から打てる構図です。

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これは今の堀の突き当り周り込んだ堀の上の曲輪から見たところです。

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先程の合流点から二の丸方面を見ます、右上が郭馬出し曲輪です。

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郭馬出し曲輪への道、右側が大堀切で此れが南北に二つに分割しています。

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土橋の上から見た大堀切の西側、右側が三の丸の土塁です。

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これが東側です、左側が二の丸の土塁です、正面が搦め手方面です。

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土橋入口から見た二の丸です、正面奥が堀の向こう本丸です、私は左側三の丸へ行きます。

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ここも堀で仕切られています、左奥が三の丸です。

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三の丸です、奥が蔵曲輪となります。

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三の丸の外側、西側ですね・・・此処には石積がみられました。

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三の丸奥です、この曲輪と本丸とは橋が架けられていたとの事です、右側が堀で向こう側が本丸です。

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此れが本丸と三の丸との間にある堀です。

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ここは正面御前曲輪で右側が本丸です北の虎口です。

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堀を進み右側は御前曲輪で石積みがあります、この石は御前曲輪と通仲曲輪(左側)を繋ぐ橋の土台と有りました。

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御前曲輪を回り込み丸馬出し・稲荷曲輪(正面右)・新曲輪(正面奥)への虎口です。

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ここまで来ると浅い堀状態であまりハッキリしませんでした。

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この方面から武田軍が攻め込んだと有りますが、今は当時の面影が見られず平坦ですネ、私が攻めればやはり此処かなと思いましたが・・・。

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奥が本丸・御前曲で土手の上が稲荷曲輪(右奥高台に稲荷様があります)です堀は水堀とか・・・・・。

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御前曲輪の北の外れからみた所、右側左が稲荷曲輪です、左は山で向こう側やはり堀が掘られています。

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御前曲輪です、当時は持仏堂があり長野業盛の終焉の場です、親父の業正が有名な武将で武田信玄の猛攻を何度も撃退したのですが病で死んだとあります、信玄が此れを聞き攻めたとか。

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これは北の虎口で向こう側が本丸です。

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本丸側からみた所。

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本丸です。奥が御前曲輪です。

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本丸脇にある馬出し(左上)から二の丸(右側)前を回り込むように搦め手虎口へ。

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本丸の土橋を渡ると二の丸、右側奥は堀。

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搦め手側へ下り二の丸側をみる、手前は帯曲輪が段々になっています。

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搦め手虎口で奥が右本丸、左が二の丸で三段の土塁で防御してありますね・・・やはりこれが昔は大手口なのでしょうね、その後井伊直正は南側に城下町を作ったのでしょう。

城の構造も長野・武田(内藤)・滝川・北条・井伊と有るので長野時代のとはかなり異なるのでしょう、しかし、凄い城でした・・・・・良かったです。

 

 

 

 

2014年4月10日 (木)

京王沿線に行ってきました(片倉・高幡不動・府中)。

2014年4月10日(水)以前より新宿で予定があり折角なので早めに行き京王沿線を歩いた、ここ3日間日程がありうまくスケジュールが出来ない、暇な時と忙しい時が・・・。

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久しぶりに訪れた片倉城址・・・随分整備してありました、城の外郭が判りやすく整備されていましたネ。

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此れは下の公園の住吉沼です、右上の方が城です。

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カタクリの花がまだ咲いていました、嬉しくなりました。

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お城は山の上にカタクリが山の斜面兼土塁にあります。

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ここは住吉沢でこの奥の左側が本丸、ニの丸が正面奥です。

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此処が奥の沢で正面奥が二の丸です、それ程大きいものでは無いです、山は標高139mですが実際は30-40mですかね。

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二の丸外れから見た腰曲輪の広場です土塁がかなり丸くなり堀切が低いですね、ただしイメージは判ります。

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これは二の丸外れから見た本丸側です、ここも空堀土塁はかなり埋まっています、左ヤヤ高い所が狼煙台とか、奥に本丸・二の丸間へ橋があります。

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此処が二の丸広場です・・・・まだ桜の花が散り始めで風情が有りました。

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二の丸外れで堀切の空堀です、向こうは畑です、此処は北側が湯殿川・南側が兵衛川で西側が鎌倉古道です、東側が丘陵の尾根が続いています。

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畑側から見た二の丸の空堀です、ほとんど埋まっています。

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ここは二の丸下の奥の沢に面する所です、多分昔は無いでしょう?。

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ここは先程の左本丸、右二の丸です、丘陵を堀切で分けたのでしょう。

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本丸広場・・・・二の丸の半分以下ですかね。

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住吉神社に下る道から見上げた左本丸の土塁・正面おくが二の丸の土塁です。

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本丸下の腰曲輪にある住吉神社です。

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住吉神社より鎌倉古道(現16号)へ下る急坂。

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下の公園からみた片倉城址はこの山の上です。

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湯殿川と公園の桜、京王片倉駅はこの右側方向。

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続いて高幡不動へよりました、郷土の先輩土方歳三です。

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五重の塔です、私が子供の時は有りませんでしたね。

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府中の大国魂神社まえの参道のケヤキ並木です・・・大分大木が痛んでいました。

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神社前の大ケヤキ・・・・これは凄いです。

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アップの姿・・・痛々しいですネ、樹齢どれくらいですか表示がありません。

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この水場の建物は凄いです屋根は唐破風で彫刻も・・・・・・。

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彫刻も凄い像と唐獅子・龍も。

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大国魂(おおくにたま)神社の拝殿です。

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神社裏にある大イチョウの木幹回り8.6mとありました、樹齢は?年。

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先程の大ケヤキ後ろ側からです真ん中が枯れてもまだまだ元気で頑張っています、感動です。

この頃巨木に会えるのが楽しみです、ここは巨木が多いのですが今一つ大切にされていない(?)のか環境が都会なので難しいのか大切にしたいです。

2014年4月 7日 (月)

東京に行ってきました(江戸城・上野東照宮)。

2014年4月7日(月)に絶好の晴天との事で、天皇陛下傘寿の記念行事で坂下門から乾門への皇居開放が目にとまり急遽行きました。

乾門・・・乾は戌と巳の方角を現し本丸から見て北西にある門です。

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東京駅から皇居へ歩く人波・・・・お堀端を回り込む形で沢山の人が・・・・。

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それでも10時を過ぎると人波が進み始めたので我慢・・・桜田二重櫓(巽櫓)です。

巽・・・は辰と巳の方角を現し本丸から見て南東に有るので呼ばれている。

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皇居広場を回り込み二重橋前に漸く辿り着きました(奥は伏見櫓)。

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此処からしばらく立ち止まりました・・・広場に大きく2列出来て1列が終わると次の列が進むバッチ方式でした。

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2時間ぐらいで漸く持ち物検査をし坂下門へ到着・・・坂下門外の変を思い出しながら歩きましたね、写真の平行感覚がおかしいネ(危ないか!、立ち止まらず撮るわけですから)。

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漸く皇居内へ入りました、富士見櫓です、この石垣は本丸の石垣です。

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蓮池濠と富士見多聞です、この中が本丸です。

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相変わらず人は沢山で少しつつ歩きます、結構御歳の方も歩いています・・・ここまで来たら歩くしかありませんが。

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でもまだ桜の花も咲いていますヨ。

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ここは感心しました、道灌濠です、昔の城の名残の堀なのでしょうか?。

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西はね橋からみた蓮池濠、左は本丸の石垣、右側が今歩いてきた道です。

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沢山の方が歩いています。

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此方は乾門へ行かれる方々です、堀は乾濠です。

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私は西桔橋(西はね橋)を渡り本丸(皇居東御苑へ入りました)、これは天守台です、今江戸城天守閣再建運動の声も一部ありますネ。

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天守台からみた本丸跡です。

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北桔橋門(北はね橋門)を内側から見ました。

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北桔橋門外からみた乾濠とその先に見えるのが乾門に向かう人たちです。

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此れは本丸から二の丸への出口です汐見坂(海が見えたのでしょう)。

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汐見坂から見た本丸の石垣と白鳥濠です、左側が二の丸で突き当り左側が大手門方面です。

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二の丸庭園での花シャクナゲですか。

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これも二の丸庭園です。

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大手門の内側です、此処も桝形の防御方式での虎口です。

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外側からみた大手門です・・・2時を過ぎています休まず飯も食べず歩きました。

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東京駅北口側です。

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帰りに上野公園の東照宮へ行きました、まだ沢山の方がお花見をしています。

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漸く修復が終わりましたネ、此処も傾いていました・・・危ないね。

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見事な金箔での社殿です。

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私は此れが見たくて中に入りました、神木の大楠です、樹齢600年幹回り8mです。

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拝殿です、中に入れませんが金箔彩色が見事です。

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これは表側から見えますが裏側からみた唐門です左甚五郎の昇り竜・降り竜が表側に彫られています。

今日は天気に恵まれましたが、人が凄いので疲れました、何人位来たのでしょうか。

 

2014年4月 2日 (水)

宇都宮・小山に行ってきました(宇都宮城址・小山城址)。

2014年4月1日(火)に宇都宮・小山に最後の青春18キップを使用し行ってきました。

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郷里の先輩土方歳三が戦かった宇都宮に以前より行ってみたかった、旧幕府軍は右側から攻め1日で落城城は火の海・・・・とありました、2・3日と戦い物量に押され敗退会津へと逃れます。

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JR宇都宮駅前を流れる思川、足尾山系を源流とする利根川水系ですネ。

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旧本丸跡地にある宇都宮城址公園、此れは内側からみた清明台です。

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此れは公園外側からみた富士見櫓です。

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これも外側からみた清明台です、いまは可愛くありますが地図を見ると広大なお城でしたね、秀吉により関東の名族宇都宮氏は滅び今のお城はほぼ本多正純が小山城から入府して出来たと有りました。

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城側の二荒山神社に行きました、下野一宮です、二荒山神社と聞けば日光を思いますが。

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神社です。

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その後県庁の裏の八幡山公園に此の大楠をみに上がりました、樹齢300年以上とありました、町中の大銀杏を見損ないました残念です。

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公園に架かる吊り橋です、揺れはあまりありませんでした。

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駅への帰りにみた慈光寺赤門のサクラの巨木です、これも見事でした。

駅前で餃子を食べ、その後小山駅へ。

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駅前を田川へ向かい歩くと小山城址公園(祇園城址)があります、田川は日光の山を源流としたやはり利根川水系の川です、川沿いの丘陵を生かしたお城です、大きく三個の曲輪から構成(実際は?)されています。

この辺の一族は藤原秀郷の末裔が多く小山氏もその様です、佐野氏等も同じですネ、ここは後北条に攻められ降伏、後北条が納め改築、秀吉の小田原征伐で落城、後一時本多正純が納めたとあります、宇都宮へ移るとここは廃城となり多分須賀神社がこの地を治めていたのか?、良好に保存されていましたネ。

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左側が田川で公園の入口です、やや高い位置にあります。

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一の曲輪(本丸とありますが?)。

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土塁もかなり残こっています、かなり当時の状況が保存されていたので嬉しいです。

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これは一とニの曲輪の隙間の空堀(堀切)です。

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これは二の曲輪の中で二重に空堀に囲まれた地域です(馬出しとありますが)。

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これが内側の空堀です。

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堀の脇に聳える銀杏の巨木です、見事です幹回り6mです、うれしいですネ。

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これが二の曲輪です、銀杏は右側です。

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これは二と三の曲輪の堀切です、結構深い状態です。

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此れが三の曲輪で右側は堀でしょうね、今は埋まっていますが。

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三の曲輪を奥から見ました、この先が良く判りませんでした・・・・・。

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三の曲輪の外からみた所、左は市街地です、土塁は大分低いですが当時は空堀があり凄いのでしょう?、此処はあまり期待しなかったのですが、嬉しい方にハズレ良かったです、此処は江戸時代に廃城になったので当時の縄張りがそのまま保存されたのでしょうネ。

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これは愛宕神社のオオケヤキです樹齢600年以上幹回り7mとあります、此処も須賀神社が納めているのか?イイデスネ。

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須賀神社前の碑、関ヶ原直前の小山会議の舞台との碑です。

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須賀神社の拝殿です、拝殿脇に神木があるのですが現在は根元のみが保存されています(巨木が枯れるのが残念です)。

 

 

 

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