« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

2014年4月21日 (月)

三つ峠に行ってきました(河口浅間神社・母の白滝)。

2014年4月19日(土)に山水会で三つ峠に行ってきました、例年は雪の2月頃ですが今年は桜の時期となりました。

昨日は雨で本日は晴れの予報でしたがガスで富士山は見えませんでした。

Dsc06400

昨年2月の山頂よりの富士山を載せます・・・・・泣き。

Dsc06443

登山中のガスによる景色はこんな状態でした。

Dsc06445

何か撮らねばと身近な木を・・・・。

Dsc06446

ブナですかね・・趣はあります。

Dsc06447

ガスの中一縷の望みを期待しながら・・・・・・。

Dsc06448

山頂からの写真は此れです、向こう側に何時もは富士山が・・・。

Dsc06450

結構寒いです、早めに下りました、残雪もあり、道は泥んこもあります。

Dsc06454

母の白滝への急な階段を降ります。

Dsc06468

滝上の状態です。

Dsc06477

此れが母の白滝上部です。

Dsc06494

滝の全景です、此処は河口浅間神社の社有地で富士山の恩師が禊をする場所でした。

綺麗な滝ですネ。

Dsc06496

この水のシャワー状の美しさ如何ですか。

Dsc06499

少し角度を変えてもう一枚。

Dsc06500

此れは昨年の2月氷の時の滝です、いずれが良いでしょうか?。

Dsc06507

河口浅間(かわぐちあさま)神社の御神木の大杉です・・・ここは樹齢1200年もの大杉が7本も境内に在るのです、これは天壌と名前がついた幹回り 8.1m樹高43mの神木です。

Dsc06527

みしるし・れいかく・うぶや・神綿の神木達です。

Dsc06528

拝殿とみしるしの神木です、富士山の噴火を抑えるために出来た神社です。

富士山信仰を支えた御師の家も神社の周りにはあります。

Dsc06529

神社の参道の並木です、樹齢800年と有りました、凄いです、大切にしたいものです。

富士山は見えませんでしたが大切なものが見れて良かったです、皆さんに感謝です。

2014年4月18日 (金)

高崎に行ってきました(箕輪城址)。

2014年4月17日(木)に高崎市箕郷の箕輪城址に行ってきました。

日本百名城で土地の豪族、長野氏4代が武田信玄・北条氏康・上杉謙信との争いのなか 山内上杉憲正につき滅亡した所です、その後も数奇な運命をたどる城ですね。

Dsc06000

保存会の資料に概略が記載されていました、最後は井伊直正が高崎へ移り廃城となりますが、おかげで保存状態は良好でした。

Dsc06001

案内図があり判りやすく廻れました、結構広いので歩きますが。

地図の位置は上が北で東西に走る堀切で南北に分かれた造りです、堀が大きく沢山回り込むように縄張りがしてあります。

ちなみに武田軍2万は最後新曲輪(北側)側からなだれ込み御前曲輪で城主長野業盛は城を枕に討死しました。

辞世の句 春風に梅も桜も散り果てて 名のみぞ残る箕輪の山里。

Dsc06002

最初大手尾根を見たのですが城の構造がおかしいと思っていたのですが復元図の説明をみて納得しました・・・・・搦め手が大手でした(東側)。

Dsc06005

水の手曲輪にある法峰寺です、此処にも歌が 水汲みに行くのか地獄の一の木戸 行くとは見えて帰る人なし(よみびとしらず)、激戦の籠城ですネ(合掌)。

Dsc06198

法峰寺手前を左に観音堂へ上り左脇へ・・・・観音堂入口です。

Dsc06201

下が観音堂から見た水の手曲輪です、穏やかです。

Dsc06203

上ると二手にわかれます、私は左の大手尾根コースを選びました。

Dsc06213

堀が多いです、回り込むように上りました、左は空堀で正面突き当りは観音口からのコースとぶつかります。

Dsc06232

これは右側が観音堂口で左側が榛名口へでます、真ん中は空堀で左は曲輪です。

Dsc06238

合流点から見た堀で右側は木俣曲輪側です、左側は二の丸脇の郭馬出しです。堀を右側に周り込むと大堀切にでて搦め手と出れます、敵から見えずらくし敵が入り込めば上から打てる構図です。

Dsc06241

これは今の堀の突き当り周り込んだ堀の上の曲輪から見たところです。

Dsc06245

先程の合流点から二の丸方面を見ます、右上が郭馬出し曲輪です。

Dsc06247

郭馬出し曲輪への道、右側が大堀切で此れが南北に二つに分割しています。

Dsc06255

土橋の上から見た大堀切の西側、右側が三の丸の土塁です。

Dsc06258

これが東側です、左側が二の丸の土塁です、正面が搦め手方面です。

Dsc06262

土橋入口から見た二の丸です、正面奥が堀の向こう本丸です、私は左側三の丸へ行きます。

Dsc06265

ここも堀で仕切られています、左奥が三の丸です。

Dsc06269

三の丸です、奥が蔵曲輪となります。

Dsc06273

三の丸の外側、西側ですね・・・此処には石積がみられました。

Dsc06283

三の丸奥です、この曲輪と本丸とは橋が架けられていたとの事です、右側が堀で向こう側が本丸です。

Dsc06287

此れが本丸と三の丸との間にある堀です。

Dsc06293

ここは正面御前曲輪で右側が本丸です北の虎口です。

Dsc06300

堀を進み右側は御前曲輪で石積みがあります、この石は御前曲輪と通仲曲輪(左側)を繋ぐ橋の土台と有りました。

Dsc06308

御前曲輪を回り込み丸馬出し・稲荷曲輪(正面右)・新曲輪(正面奥)への虎口です。

Dsc06315

ここまで来ると浅い堀状態であまりハッキリしませんでした。

Dsc06318

この方面から武田軍が攻め込んだと有りますが、今は当時の面影が見られず平坦ですネ、私が攻めればやはり此処かなと思いましたが・・・。

Dsc06320

奥が本丸・御前曲で土手の上が稲荷曲輪(右奥高台に稲荷様があります)です堀は水堀とか・・・・・。

Dsc06329

御前曲輪の北の外れからみた所、右側左が稲荷曲輪です、左は山で向こう側やはり堀が掘られています。

Dsc06330

御前曲輪です、当時は持仏堂があり長野業盛の終焉の場です、親父の業正が有名な武将で武田信玄の猛攻を何度も撃退したのですが病で死んだとあります、信玄が此れを聞き攻めたとか。

Dsc06342

これは北の虎口で向こう側が本丸です。

Dsc06347

本丸側からみた所。

Dsc06365

本丸です。奥が御前曲輪です。

Dsc06371

本丸脇にある馬出し(左上)から二の丸(右側)前を回り込むように搦め手虎口へ。

Dsc06374

本丸の土橋を渡ると二の丸、右側奥は堀。

Dsc06382

搦め手側へ下り二の丸側をみる、手前は帯曲輪が段々になっています。

Dsc06385

搦め手虎口で奥が右本丸、左が二の丸で三段の土塁で防御してありますね・・・やはりこれが昔は大手口なのでしょうね、その後井伊直正は南側に城下町を作ったのでしょう。

城の構造も長野・武田(内藤)・滝川・北条・井伊と有るので長野時代のとはかなり異なるのでしょう、しかし、凄い城でした・・・・・良かったです。

 

 

 

 

2014年4月 2日 (水)

宇都宮・小山に行ってきました(宇都宮城址・小山城址)。

2014年4月1日(火)に宇都宮・小山に最後の青春18キップを使用し行ってきました。

Dsc05406

郷里の先輩土方歳三が戦かった宇都宮に以前より行ってみたかった、旧幕府軍は右側から攻め1日で落城城は火の海・・・・とありました、2・3日と戦い物量に押され敗退会津へと逃れます。

Dsc05407

JR宇都宮駅前を流れる思川、足尾山系を源流とする利根川水系ですネ。

Dsc05413

旧本丸跡地にある宇都宮城址公園、此れは内側からみた清明台です。

Dsc05429

此れは公園外側からみた富士見櫓です。

Dsc05432

これも外側からみた清明台です、いまは可愛くありますが地図を見ると広大なお城でしたね、秀吉により関東の名族宇都宮氏は滅び今のお城はほぼ本多正純が小山城から入府して出来たと有りました。

Dsc05444

城側の二荒山神社に行きました、下野一宮です、二荒山神社と聞けば日光を思いますが。

Dsc05453

神社です。

Dsc05471

その後県庁の裏の八幡山公園に此の大楠をみに上がりました、樹齢300年以上とありました、町中の大銀杏を見損ないました残念です。

Dsc05479

公園に架かる吊り橋です、揺れはあまりありませんでした。

Dsc05509

駅への帰りにみた慈光寺赤門のサクラの巨木です、これも見事でした。

駅前で餃子を食べ、その後小山駅へ。

Dsc05514

駅前を田川へ向かい歩くと小山城址公園(祇園城址)があります、田川は日光の山を源流としたやはり利根川水系の川です、川沿いの丘陵を生かしたお城です、大きく三個の曲輪から構成(実際は?)されています。

この辺の一族は藤原秀郷の末裔が多く小山氏もその様です、佐野氏等も同じですネ、ここは後北条に攻められ降伏、後北条が納め改築、秀吉の小田原征伐で落城、後一時本多正純が納めたとあります、宇都宮へ移るとここは廃城となり多分須賀神社がこの地を治めていたのか?、良好に保存されていましたネ。

Dsc05515

左側が田川で公園の入口です、やや高い位置にあります。

Dsc05528

一の曲輪(本丸とありますが?)。

Dsc05527_2

土塁もかなり残こっています、かなり当時の状況が保存されていたので嬉しいです。

Dsc05530

これは一とニの曲輪の隙間の空堀(堀切)です。

Dsc05540

これは二の曲輪の中で二重に空堀に囲まれた地域です(馬出しとありますが)。

Dsc05542

これが内側の空堀です。

Dsc05547

堀の脇に聳える銀杏の巨木です、見事です幹回り6mです、うれしいですネ。

Dsc05557

これが二の曲輪です、銀杏は右側です。

Dsc05563

これは二と三の曲輪の堀切です、結構深い状態です。

Dsc05564

此れが三の曲輪で右側は堀でしょうね、今は埋まっていますが。

Dsc05568

三の曲輪を奥から見ました、この先が良く判りませんでした・・・・・。

Dsc05576

三の曲輪の外からみた所、左は市街地です、土塁は大分低いですが当時は空堀があり凄いのでしょう?、此処はあまり期待しなかったのですが、嬉しい方にハズレ良かったです、此処は江戸時代に廃城になったので当時の縄張りがそのまま保存されたのでしょうネ。

Dsc05591

これは愛宕神社のオオケヤキです樹齢600年以上幹回り7mとあります、此処も須賀神社が納めているのか?イイデスネ。

Dsc05598

須賀神社前の碑、関ヶ原直前の小山会議の舞台との碑です。

Dsc05602

須賀神社の拝殿です、拝殿脇に神木があるのですが現在は根元のみが保存されています(巨木が枯れるのが残念です)。

 

 

 

« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ