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2014年12月25日 (木)

石裂山に行ってきました。

2014年12月24日(水)に鹿沼の石裂山(おざく)に行ってきました、朝のうちは雲が有りましたが風も無く穏やかな山行でした、新鹿沼駅より1日2本のリ-バスで上久我石裂バス停へ(行き帰り共2人のみで申し訳ありませんでしたが)、加蘇山神社から登りました。

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川沿いの山道脇この時期シモバシラの花があります・・・・ここ4年間で3回目なので凡その事は。

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チョット色っぽいシモバシラの花でしょう・・・・いろんな造詣が出来るので楽しみですネ。

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千本桂の巨木です、幹回り8m樹齢1000年と掲示板にあります、この後ろにもう1本あります。

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前年の大雪で多くの杉の木が倒れ山の景色が変わるほど荒れています、昨年は来ないので知りませんでした!。

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途中もう一つシモバシラが・・・・・・やはり寒いのです、この場所は風が無いが尾根ではやはり底冷する寒さの冷気が来ます。

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中の院跡ここから本格的な山登りが始まります、急な岩場の連続です、右側のハシゴ・クサリを上ります(行者帰しの名前の岩場です)。

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今は頑丈なクサリが付いていますが、慎重にのぼります。

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此処が奥ノ院が祀られいるのです、石裂岩30年前?は細いクサリだけでしたが今はハシゴが架けてあります。

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なおも細い山道を木の根を伝いながら上ります、階段ハシゴも所々にあります。

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尾根筋にでて東剣ノ峰です、右側が絶壁で下ります。

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絶壁を今はハシゴが垂直に架けてあります、ハシゴの繋ぎ部分を気をつけて接続すれば大丈夫です、昔の思いが出ないのですがハシゴは無くクサリ・・・・やはり思い出せない。

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これは西剣ノ峰から見た石裂山の山頂です、一度降りて再び上り返します。

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西剣ノ峰からの下りです・・・・やはり急なハシゴを下ります、一所ハシゴの下が見えず足の架ける場所が注意です。

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上り返して少し横に入ると石裂山879mの山頂です。

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山頂からの眺めです、日光連山が白く冠雪しています、右側が此れから行く月山890mです。

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月山の山頂です、山頂の社は以前より壊れかけたままです。

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下山側の道は急ですが比較的穏やかです、この山は岩場が多く修験者の道場の山みたいですね。

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途中で見た岩場に張り付く木・・・・まるでアンコール・ワットのガジュマルの木の根を思い出しました、逞しいです。

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加蘇山神社の登拝門の両脇にある杉の巨木です、左が幹回り8・8m樹齢800年、右が幹回り6・1m樹齢500年とありました。

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ここはバス停ですが以前は学校の校庭でしょう、やはりアチラコチラに廃屋が目立ちます、山も倒木で荒れていました、次いつ来るかわかりませんが、バスも在るのか考えられる山行でした、なお本日山中では人に会わずでした。

2014年12月20日 (土)

青梅に行ってきました(桝形山城址・辛垣城址・勝沼城址)。

2014年12月19日(金)に青梅に行ってきました(桝形山城址・辛垣城址・勝沼城址)。

石神前駅より泉蔵院の裏山に入りました、道が判らず地元の方に聞きながら・・・・桝形山(城址)をご存知の方はおりませんでした、桝形山から物見山(青梅丘陵ハイキングコースに出る)名郷峠・辛垣(からかい)城址・雷電山・榎峠・軍畑駅。

その後東青梅駅へ宗泉寺・師岡神社・光明寺から勝沼城址を見て廻りました。

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泉蔵院の脇から裏山を上りました途中、山の神が祀られていました、此処も大山ズミ神社が祀られています、尾根の上が切られて堀切らしいので曲輪らしさが有ります。

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少し上ると此処も堀切です・・・・しかし規模が小さいですネ。

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山頂はやや広いですね、奥に大山ズミの石碑と他の石社が祀られています、此処らしいのですがハッキリしませんでした、社の後ろから物見山への急な坂道が有りました、左側にも山が見えます辛垣山でした(後でわかりました)、裏の道を行き物見山へ出るところで木に紙が巻き付いていました・・・・桝形城址と今来た方角へ矢印が・・・やはり正しかったのでした、青梅丘陵ハイキングコースに無事飛び出し、名郷峠に出ました。

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青梅の豪族、三田氏も最初は後北条についていました、永禄4年(1561年)越後の上杉謙信が関東管領になり北条征伐にきました・・・・その時上杉方に着きましたが討伐出来ず越後に戻りました、当然のごとく多くは再び北条に寝返ったのですが三田氏は拒否、その後2年間に渡り北条と戦いましたが結局上杉軍は助けに来ず滅亡したのです、似た話ですが八王子の大石氏(滝山城)は滝山城を渡して生き残りをはかりましたネ、また武州松山城も2年間籠城戦を戦いましたが謙信の来るのが遅れ落城しましたネ。

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辛垣城址の縄張り図です、まずハイキングコースから城の周りを見たのち西方の尾根から山頂を縦走し再び上りました。

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ハイキングコースから回り込みました、右側が山頂です・・・急斜面です。

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此れは西方(図の上)の尾根から来て振り返った所、空堀(?)らしいのですがかなり土塁が崩れているので?。

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此れは西方の尾根の堀切と竪堀で分断しています。

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此処が山頂横なのですが石・・・石灰岩採取で掘ったと説明版に有りましたので!!!。

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ここも当時の堀とは思えないので石を削り落とした後かね?。

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此れは東方(下から登る入口)尾根の入口で此処まで段々に曲輪の跡?が。

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これはまた城跡から大分行った雷電山の山頂です、此処も城の為の出城跡でしょうね、明らかに周りの削り、この奥は大きな堀切で尾根を遮断しています。

此処から急坂をくだり榎峠へ、その後舗装道路を再び軍畑駅まで下りました。

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東青梅の宗泉院の東京都天然記念物の大カヤを見ました、幹回り4・8m。

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師岡神社は光明寺の横にあります、たまたま見て驚きました・・・大変な巨木が2本有りました大シイの木です、幹回り5・3mと有りました、この後お寺の裏山に上りました。

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三田氏の居城です、北条に対抗したのですが強固な城で無いので先程の城に移り滅亡する訳ですが、現在の状態での土塁空堀等では確かに大軍に対抗するのは難しいと思いました、地方の豪族の城でも群馬の箕輪城址(長野氏)の規模大きさは凄いと感じました。

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曲輪1です、向こうに立て看板があります、奥の盛り上がりは土塁で向こう側は空堀、右側奥が曲輪2方面です、左は帯曲輪?で東青梅の街が眼下に見えます。

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此れは曲輪1から下り曲輪3(?)へ回り込む所です、左側は曲輪1の土塁ですね。

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多分曲輪3で後ろ回りが土塁で囲まれ、その向こう側に空堀曲輪1の土塁で形成されていました?、右側手前下が曲輪4へと続いている見たいですが(現在はお寺お墓です)。

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これが右側が曲輪1の土塁、写真中央が空堀で右側が土塁でその向こう側が曲輪3です。

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曲輪1の土塁の外側にある帯曲輪(?)、右側からは虎口へ続きます、柵の下はお墓です。

今日は天気が良いので舞われましたがハイキングコースお城探訪でのコースでは誰とも合わずでした、結構堪能しましたが疲れましたね、明日は天気が悪いとの事なのでゆっくり休みたいですネ。

2014年12月11日 (木)

関宿城に行ってきました。

2014年12月10日(水)今日は山水会の忘年会が恵比寿で在るが天気が良いので関宿城を見てからと急遽思い立ちました。

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地図は昔の出青い線が今の川の位置を現しています、利根川・逆川・江戸川に囲まれた重要な舟運の土地の要です、当初は梁田氏(古河公方の家臣)が納めていたが、後北条が三度の戦を仕掛け手に入れたと有ります、現在のお城は川の整理で利根川と江戸川の分岐の先にあります当時のお城は川の中ですね。Dsc03851
お城の先端の土手の上からみた現在の利根川右側を流れて、正面の木の向こう側を江戸川が流れています、この左側下流に当時の本丸がありました。

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当時江戸城の富士見櫓を模してお城を築城との事で、今回も参考にして築城。

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此れが江戸城の富士見櫓です唐破風・千鳥破風の造りが同じですネ。Dsc03859

まだ新しい様子が見えますが、好いですネ。

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別角度からのお城です。

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現在のお城の下流、左が土手で当時の城址と有ります、右側は畑が広がります。

河川工事でお城は土手の下みたいです。

2014年12月 5日 (金)

熊本県に行ってきました(熊本城・阿蘇山)。

2014年12月2日(火)・3日(水)に熊本・阿蘇に行ってきました。

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水前寺公園にまずより、その後熊本城を見て廻りました、50年ぶりです。

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此れが熊本城の本丸です、左側が二の丸その上の方が三の丸と大きいのです、まず下から右側を城の外から見て二の丸周辺・出丸、本丸内を見ました。

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熊本城の長塀です坪井川が堀です、周囲5・3kmのお城で7年をかけて築城、ご存じ加藤清正公、日本三名城・・・・これが曖昧ですが!!!?、まずお城の周りを見て歩きます。

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東側の外石垣周辺で櫓は当時のものです、西南の役で多くが消滅しましたから。

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北側周辺の石垣下から見た小天守閣と大天守閣です4重の石垣の上にあります、此処からは見えませんが手前小天守閣前の石段から下れる急階段が有りましたネ。

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石垣が良く見えますネ、小と大が重なっています。

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二の丸広場に巨木があります・・・・・情報が有りませんが結構な木です。

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これはスダジイの巨木です年とか幹回りが有りません・・・・・、二の丸周辺(他の城内)にも多数の巨木があります。

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二の丸方面から見た戌亥櫓・宇土櫓・大天守閣です石垣と城・・・イイデスネ。

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此れも二の丸広場から小天守閣・宇土櫓・大天守閣が重なるように見えます。

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西大手櫓門で右側に太鼓櫓で囲んでいます。

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未申櫓で左奥が戌亥櫓まで繋がります、石垣の此方側が堀で二の丸広場でその外側が三の丸と外側に広がります、この右側石垣沿いが切れた向こう側が本丸側です。

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これは二の丸の外の藤崎台のクスノキ群(1000年の巨木が7本)の巨木、幹回り12・5m?。

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群の他も見事です、三本、四本が見えますネ。

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幸行丸の広場から見た南大手櫓門と門の広場を囲む城壁の狭間が判りますか?・左は宇土櫓・右は第天守閣です。

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大手門を入り本丸の入口です、こちらは大手門広場?西・南・北大手櫓門が集結します、いよいよ本丸への門頬当御門、てまえの櫓は左側が宇土櫓で右側の櫓と渡櫓になっています。

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石垣に囲まれた大手を入り左側が宇土櫓の渡櫓入口です、頬当御門の城壁内側です狭間が判ります。

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渡櫓の先が宇土櫓です・・・・・此れだけでも立派なお城ですネ。

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大手から本丸の左側・・・ハゼ方門・須戸口門方面への下り道、高い石垣で囲んでいます、此処に入りこんだら周りの上からやられますね。
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これが有名な二様の石垣で加藤時代と細川時代の石垣の組みようが異なるとの事です、この上が本丸御殿の広場です。

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本丸より二段下の飯田丸五階櫓と樹齢800年幹回り12・5mのクスノキの巨木です。

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東竹の丸からみた出口の道(石垣の囲まれている様子)がわかりやすいですね、向こう側が飯田丸櫓と大クスノキです。

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不開門、当時の門が現存・・・此方側は当時の櫓が残っています。

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これも不開櫓門、本丸はいる東側の大手門口です、このように四方から囲むように虎口を造りますね(桝形)。

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本丸広場東側から見た天守閣・右側は急階段の石垣になっています(通れませんが)、微妙な構造です。

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小天守閣から見た西側・・・宇土櫓と二重の堀石垣、奥が戌亥櫓でその向こう側が二の丸・三の丸・・・正面野球場が藤崎台でクスノキ群が有ります。

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広場から見た天守閣、左に大銀杏の木、その左が本丸御殿。

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西側から見た天守閣・・・向こう側から此方側には本丸御殿の御門を通る必要があります。

大変な防御で出来ています、また井戸の数も多数あり、秀頼をいざの時お連れする考えが無いとは言えませんね、どこから此れだけの石を集めたのでしょうか???。

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阿蘇駅に宿泊したので、電車で熊本へ行き来しました・・・折り返ししましたネ。

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阿蘇山にも行きました、噴火中ですが天気が悪く殆ど噴煙は見えませんでした、でも雪が夜中降りました。

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山頂下で見ていたら時々雲が切れ噴煙が上がるのが感じました雲間の間の黒いのは噴煙です、山は寒いです・・・、この先には立ち入れません。

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でも段々晴れ間が出ました・・晴れ男でも帰りは雨でした、米塚は草紅葉状態です、馬牛はノンビリと遊んでいます、噴火の影響は余り感じませんネ。

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その後阿蘇神社に行きお参りしました、天気は何とか見学中は持ちました、行きと帰りは雨でしたが何とか・・・・・。

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