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2015年8月 5日 (水)

再び掛川に行って来ました(高天神城址・掛川城址)。

2015年8月4日(火)に再び青春18キップで掛川に行って来ました、今回は以前より気になった高天神城址を観に行きました。

この城は今川氏が納めていましたが、氏真の時徳川家康が攻め取り(1569年)小笠原長忠がおよそ2、000の兵で収めた、1571年元亀2年3月武田信玄が25、000の兵で包囲したが難攻不落と見て包囲を解いたと有ります。

元亀元年はあの有名な浅井・浅野;織田・徳川の姉川の戦いですから世の中戦国の盛りですネ。

1574年天正2年5月武田勝頼が2万の兵で猛攻し6月18日武田軍内藤・山県の兵が城内に突入6月28日二の丸が陥落、7月2日小笠原長忠降伏、1575年が長篠の戦いで勝頼が敗れる前の年です。

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高天神城は掛川駅と遠州灘の間で凄い山の中ではありません、今は周りに茶畑が沢山あります、H型の地形の小さな山で鶴翁山132mの東峰に本丸があり真ん中を繋ぎ128mの西峰に西の丸があり、北・南・東は断崖絶壁の山です、西側が山が重なり緩斜面の地形の城です。

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南側の急斜面をトラバースするように追手門(表)があります、写真左は崖で右上に櫓があり突き当りに櫓門です。

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追手門右上にある櫓跡、門に来る敵兵を横上から攻める位置にあります、この少し上に三の丸がありますが崖上になります。

Dsc01890追追手門を上がると三の丸・本丸へ上がる道と西の丸方面への分岐になります。

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西の丸方面への道です、急斜面の崖を回り込むように道が作られていますね。

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東峰と西峰を繋ぐ鞍部にでます、これは鞍部より見た東峰(本丸方面)の道です。


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此れは西峰方面への道です。

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段々に上がる西峰方面で正面がかな井戸があるかな井戸曲輪で階段を上がると西の丸(現高天神神社)で右側方面が隣接する二の丸・袖曲輪の堂の尾曲輪となります。

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階段を上ると西の丸(現神社)です、左側は崖で後ろ側へとあります。

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神社脇は見事な崖です。

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神社裏(西の丸)は切割・堀切・空堀で防御してあります、向こう側は馬場平の見晴広場となります。

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馬場平です、両側は崖の尾根筋ですね、突き当りが武田軍の軍監横田甚五郎が落城報告に馬で走った抜け道です、犬戻り・猿戻りと呼ばれているそうです。

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この道です、馬で抜けるのは今でも厳しそうですが、如何でしょうか?。

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再び井戸曲輪まで戻り二の丸方面へ、正面が二の丸あとで、右側は袖曲輪方面となります。

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袖曲輪方面です、奥は尾根の細い巾の広場が続き所々に堀切が見られます、右側は搦め手門側の切り立つ崖の上です、左側が徳川軍が守備しているときに武田軍が攻め込んだ西側です。

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これは徳川軍の戦死した丸尾兄弟の墓・・・・当然後の話ですが、約300の兵が二の丸・堂の尾曲輪を守備しての激戦地区を思い浮かびますネ。

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袖曲輪を切る堀切が見られますね、山沿いを攻め上りますから区切り敵を中断するのです。

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此れは武田軍がその後補強した西地区の緩斜面を空堀に変えたのです、長大な横堀が見られますネ、武田軍は土木工事はお得意なのです(金山土木)。

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再びかな井戸へもどり、此れから搦め手門方面へ一度でます、籠城の際水は大切ですから・・・・・10か月の籠城で食べ物が無くなり武田軍は夜襲を仕掛けるのですが・・・・。

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鞍部から搦め手門方面に下ります、ここにも井戸が・・・・・。

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下り、左側正面側が今いた西方の下側になります、何せ急斜面なのです。

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谷間に挟まれた搦め手門跡です。

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戦死者への供養か不気味な蝶が戦死者の血をすすります。

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再び・三度鞍部から本丸方面へ本道脇から的場曲輪へ右側上が本丸ですね。

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本丸下を回り込むと石牢の標識が・・・・徳川の軍監が降伏しないで8年間閉じ込められたとの事。

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本丸下の牢屋です、黒田如水も確か2年間ぐらい閉じ込められましたね、しかし、良く生きていられましたね。

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東峰の本丸跡です、長方形です。

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本丸跡を進むとほぼ同じ高さで回り込むように御前曲輪があり、ご覧のように撮影場所がコンクリは戦前に模擬天守を構築したとか説明がありました。

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本丸から大分離れて下ると三の丸へとなります。

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三の丸跡です、(1580年)天正8年10月武田軍岡部1000の兵が守備する対する徳川軍1万が包囲攻城(籠城戦)、(1581年)天正9年3月22日城方より夜襲突き出したが、逆襲され落城。

(1582年)天正10年3月武田氏滅亡・6月織田信長本能寺で死と時代は繋がります。

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折角きたので再び掛川城址へ全体の写真をとりました。

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次に本丸下広場からお城を見上げます。

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此れは二の丸広場側からです。

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裏側竹之丸方面から外側3層中身は4層で高覧がつき木造復元天守、軒唐破風・火燈窓・石落としが見られます。


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