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2016年3月31日 (木)

松井田城跡に行って来ました(ついでに前橋城跡)。

2016年3月29日(火)に松井田城跡に行って来ました、此れです今回の青春18キップは終わりです。
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碓氷峠横川の手前の西松井田駅へ駅前に見える松井田城跡の山です、山城に入る道がわからず苦労しました正面に見える補陀寺裏から登れる?・・・・バイパス道路があり城の裏側?の為か入り口がわからないのです、今は遣っていないみたいな所に犬と仙人みたいな人がいたので尋ねたら、この後の山の上でその先の切れ目から山に登れば良いとの事、今は荒れていると助言がありました。

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補陀寺前の松井田城案内・・・これがあるのでわかると思ったのですが・・・松井田城は北側(山の向こう側)は碓氷道・東山道に面したなだらかな枝尾根側(大手門側)と南側(今いる所)は中山道に面した断崖の山城なのです、最初は東側の尾根筋に安中忠政が城を築き、武田信玄との戦で落城し、その後後北条の大道寺政繁が収めました(西側の尾根筋を改修)・・・豊臣秀吉による小田原征伐で北陸支軍(前田・上杉・真田)3・5万に攻められ3月20日ー4月22日開城した城です。

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中山道脇の補陀寺は大道寺政繁の居館で今政繁公のお墓があります。

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このお寺からは妙義山の山並みが良く見えますね、・・・駅からは浅間山が雪をかぶり富士山のように見えました。

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バイパス脇の広場脇から道なき道?(倒木等荒れていました)を上り尾根筋に上がりました、標識がありましたが取れて道端に落ちていました、反対側が水の手と在りましたがまず安中郭側へ進みました、尾根が終わりですが多分ここが最初の安中郭だと思います。

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引き返し北側への下り路を進みます(水の手を目指しました)、S字空堀の標識がやはり落ちていました、右側が切岸で左側に空堀が彫られていました・・・・ここは木々が深くこの時期でも少し先も良く見えずわからない。

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此れがS字空堀で右側下に道がわ割り込むように有るので間違いないでしょう・・・木々と長い年月で空堀も埋まり小さな曲輪はわかりずらいです。

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此れは竪堀です、これも木が生い茂り凄さが伝わりませんね。

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水の手です、沢をせき止めた石があり、この下を下るとお城の正面側ですね、もう一筋右側の枝尾根側が大手門からの道があるはずです。

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水の手から引き返し西側の尾根を進みます、安中郭二の丸です、この脇には帯曲輪がありますね葉が無いので下の広場が見えます。

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安中郭二の丸先は大きな堀切で仕切られています、向こう側の尾根が安中松井田城です。

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堀切から見ると北側に竪堀がありますね、先ほどの水の手脇の竪堀上です、左側本郭の周りにある空堀側です。

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上ると安中郭です、ここが最初の本丸のお城ですね・・・松井田城の標識があります・・・・この後本丸が出ますがこの奥からは後北条の追加したお城なのでしょうね?。

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安中本郭の一段高い所に大道寺政繁の碑があります・・・・政繁時代の本丸とは?。

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本郭の端はやはり大きく切岸状態ですね、これも堀切。

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少し進むと、本丸が出てきました、木々が多く広さがわかりませんが、脇に虚空菩薩堂がありました。

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本丸と二の丸の間にやはり堀切があり、その奥に馬出(出入り口)があります。

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二の丸側に馬出があります城への出入りの中間領域です。

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馬出の先に二の丸があります・・・・・尾根上を堀切で分け枝尾根を段々状態で利用したお城です。

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二の丸は結構広く見えましたね、北側のは土塁が積み上げられて今も残っています。

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二の丸からすごい急坂を下りその先に連続堀切による空堀の防御の仕組みがあります。

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その後前橋城跡に行きました、利根川脇の県庁周辺が前橋城で遺構は殆どありませんね、厩橋時代酒井重忠が大改修し3層3階の天守を構築したのですが利根川の浸食で本丸崩壊の危機にあい破却したそうです、幕末に再建、再建半年で大政奉還がなりお城は取り壊しだそうです。

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県庁脇の土塁が今に残る遺構です。

2016年3月30日 (水)

倉敷に行って来ました(備中松山城・高梁市)。

2016年3月25日(金)備中松山城に行って来ました、倉敷駅からJR伯備線で高梁駅へバスが無くタクシーで鞴(ふいご)峠(1400円位)まであがり、山城ー>備中松山城へ、備中松山城は現存天守閣が(全国で12のみ)ある最も高い山城(臥牛山430m)です日本三大山城でもあり日本三大天空の城でもあります。
現在NHK放映の真田丸のオープニング画像でも使用されています(高梁駅で見、テレビで確認)。

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図の小松山城跡が通常言われる備中松山城です、私はその先の大松山城跡まで行きましたが山中で誰もいませんでしたが遺跡はハッキリしていました。

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峠からの上りで最初にある中太鼓櫓跡の石垣が現れます、高梁の町が見下ろせますね、前に前山があり山頂に下太鼓の丸跡があります(峠下山後行きました)。

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備中松山城縄張り図(小松山城です)、最初は大松山城(石垣ではありません)でその後、小松山城を築城、城主も変わりますね。

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中太鼓櫓を過ぎてしばらく山道を登ると大手門の石垣が見えてきました。

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大手門の石垣です、左右の石垣をまたいでの大手門櫓があったみたいですね、奥の石垣は三の丸の壁です。

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大手門右側が三の丸・帯曲輪・二の丸の石垣で天然の岩と人工の石垣の組み合わせで出来ています。

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その様子をアップで見てください。

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大手門の石垣上から登り口を除く。

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同じく大手門石垣の上から城内へ・・・門を入ると正面は三の丸石垣で左側へ階段を上り右側へと回り込みます。

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階段を上った所から大手門三の丸の石垣を見る、正面石垣の上向こうが二の丸です。

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道を回り込むと三の丸へ、三の丸奥には帯曲輪の石垣・その上が二の丸の石垣があります。

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三の丸の石垣上から大手門を除く。

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同じく三の丸石垣端から石垣を除く。

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同じく三の丸石垣から大手門を除く。

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三の丸横から二の丸・帯曲輪方面への道です。

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二の丸への鉄門跡です、ようやく本丸の石垣と天守閣が見えました、鉄門跡の石垣からは高梁の町が良く見えますね、高梁駅側からは備中松山城が見えますが木々が邪魔しています。

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二の丸広場から見た本丸です。

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本丸五の櫓と石垣奥が天守です、本丸は後でまず奥に行きます。

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本丸東御門と婉曲した石垣。

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搦め手門の脇を抜けて水曲輪・後曲輪へ回りました、現存の二重櫓と天守です天然の岩場をそのままに使用していますね。

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この後後曲輪脇から山道を下り土橋を渡り、相畑城戸跡(部分的に石垣があります、水場もあります)・天神の丸跡へと進みます、全くの山道ですが遺構は見て取れますよ。

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あの忠臣蔵の大石内蔵助も来たと言われている大池です、首洗い池とか。

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大松山城跡です正面は水場です・・・今も奇麗な水がありました、右側が本丸、奥中央から左側が二の丸で土塁堀切が見られます・・・此処は石垣はありませんね。

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なんと、この山道に森の巨人たち100選の巨木がありました==>臥牛山のアベマキです。

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本丸に入りました、現存天守です、左側が入り口ですが、元々は階段横に櫓がありそこから城内へ入る仕組みだそうです、右側が本丸東御門です、現存天守について、タクシーの運転手さんが言われたのは、当時天守も廃棄予定だが山奥なので処分するお金が無く残ったそうです(良かったですね)。

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本丸城内です、天守脇から。

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最後に天守を見上げました、ここは国有林なので木を勝手に切れないそうです、写真の邪魔とか石垣が崩れたり管理するのも大変だそうです。
でも素晴らしい文化遺産ですね疲れましたがこの後高梁の城下町を歩きました。
今回は3泊4日の旅行でしたが、お城散策三昧で有意義な旅でした4月はフリーで無い四国のお城見学に行きますがまずお花見ですね。

2016年3月29日 (火)

倉敷に行って来ました(姫路城・好古園)。

2016年3月24日(木)に姫路城・好古園・播州赤穂城に行って来ました、流石国宝姫路城(白鷺城)です観光客も沢山来ていますね、50年ぶりです。

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姫路駅前から正面に見えますね、街並みはともかく城の規模がそのままあるのですから改めてすごいですね。

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お城の縄張りです、まだ”ぬの門”と”りの渡櫓”が修復中が残念ですが他は平成の大修理が終わり奇麗な白鷺の天守閣が甦っています。

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大手門前からの姫路城です。

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大手門と堀です

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三の丸広場(今は何もありませんが)から左側方面の西の丸百間廊下入り口櫓・カの櫓・菱の門です。

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カの櫓・菱の門・化粧櫓です、ぬの門・りの渡櫓はぬかします。

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西小天守・大天守と本丸(備前丸)の石垣・二の丸の石垣です、右側が太鼓櫓・腹切丸です。

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西の丸の石垣から見上げた百間廊下入口櫓とカの櫓です。

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菱の門入り口です。

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門を入るとそこに天守が乾小天守・西小天守・大天守と本丸石垣・二の丸石垣が見事に迫りましたネ。

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上の写真を少し下から三国堀から石垣を含めてご覧あれ。

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百間廊下出口にある化粧櫓(千姫の休憩所)です。

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西の丸から見た天守閣、西小天守と大天守の間の石垣下が天守への入り口なのです、回り込まないと入れないのです、高い石垣と長い壁門を越さないと辿りつけない防御を構成。

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西の丸百間廊下への入口櫓です。

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百間廊下と天守です。

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西の丸から見た天守閣までの回り込ませる仕組みの壁と門がつながります、左側の櫓門を抜け右側の天守閣入り口に辿りつかないと・・・・。

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途中の多分”ろの門”ですね。

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これは”はの門”へむかうところですかね。

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しかも門が段々小さくなり大勢が攻め込めない防御の仕組みです、門の狭間・石垣の上から狙い撃ちです。

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天守閣への道は上からの狙い撃ちに隠れる場所もないところです。

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天守閣内部から今来た方角を見ました大変さがわかりますね。

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本丸広場から見上げた天守閣です。

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姫路城横の好古園にも入りました、色々な庭園がありました。

姫路城は5層7階で黒田官兵衛・池田輝政・本多忠正らが城主ですが西国の大名を抑えるため池田輝政が作りました。
明日はいよいよ備中松山城です楽しみだなー。

2016年3月28日 (月)

倉敷に行って来ました(播州赤穂城)。

2016年3月24日(木)に姫路城を見た帰りに播州赤穂城を見てきました、赤穂城は赤穂浪士忠臣蔵で有名なお城です、日本100名城ですね、播州赤穂駅から歩いて行けます

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赤穂城は千種川を横に後ろには海です、城は変則輪郭式ですね、本丸を二の丸が囲み、二の丸の一部を三の丸が囲みます。
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三の丸の堀の角にある隅櫓、奥が大手門です。
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赤穂城大手門です。
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大手門の内側です元は枡形で内側に二の門がありました。
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門の中奥は大石神社(忠臣蔵で有名な大石内蔵助を祭る)。
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二の丸・三の丸を進むと本丸門と内堀があります、三の丸・二の丸の境は余りありません。
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本丸門の内側です、枡形構造で高麗門・櫓門です。
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本丸城内です、藩邸の跡を表示しています、奥に天守台の石垣があります。
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天守台の石垣です。
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天守台から見た藩邸横の庭が見えます。
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同じく天守台から見た藩邸跡と大手門です。
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台所門を外(二の丸側から見た所。
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台所門を外(二の丸側から見た所少し角度を変えました、石垣が細かく曲がっていますね?。
今色々と復元の最中に見えました・・・・・そのうちにお城が建つかも?。

 

倉敷に行って来ました(岡山後楽園・岡山城)。

2016年3月23日(水)に岡山後楽園・岡山城跡に行って来ました、岡山駅前からバスで行きましたが駅前の大通り直進ですね、旭川の中の島が後楽園、川を背に岡山城があります。

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まず岡山後楽園に行きました、日本三名園で大名庭園です江戸時代の岡山藩主池田綱政公時代に造園、右側は鶴鳴館・延養亭で中心的建物とか。
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園内から岡山城の天守が望めます、川の向こう側お城があるのです。
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延養亭と庭の池。
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沢の池と中の島。
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沢の池脇と中の島。
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流店・・・亭舎の中央に水路を通した休憩所。
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廉池軒・・・此処からの景色を綱政公は好んだそうです。
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此処から日本100名城でもある岡山城です、宇喜多直家(備中松山城とも関係)の子宇喜多秀家(豊臣秀吉の養子)が築城、本丸を上段・中段・下段に造成黒塗りの板壁から別名烏城です。
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旭川の後楽園側から見た岡山城。
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同じく旭川を入れた風景。
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旭川に架かる月見橋から見た、廊下門と岡山城。
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廊下門と岡山城。
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廊下門・・・・本丸の中段地区への入り口です石垣の外側が下段地区です。
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廊下門前から見上げた岡山城の石垣と天守です、建物下と上の方で角度が異なっていますね。
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下段の石垣を回ります、六十一雁木上門です・・・・・上段地区へ直接入れますね。
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なおも回り込むと下段地区の櫓跡と不明門t上段地区の石垣が手前左側内堀ですね、後は川です。
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銅門・・右側を上り不明門前に・・・中段地区(表書院)です。
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中段地区大納戸櫓脇から見た石垣と下段地区。
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中段地区から見た岡山城天守です。
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上段本丸広場から見た岡山城です、この城は戦前まで現存昭和20年に戦火に会いました。
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中段地区脇の月見櫓・・・これが現存のお城です、戦火から逃れたのです。
明日は姫路城です。

 

2016年3月10日 (木)

韮山城跡・三嶋大社に行って来ました。

2016年3月8日(火)に三島から山中城跡に行き、戻り次に伊豆急で韮山に行きました、駅から15分位で県立韮山高校裏の韮山城跡に行って来ました、韮山城は北条早雲が堀越公方を滅ぼした後に築城し住んだ城です、天正18年(1580年)3月29日から6月24日まで豊臣秀吉の大軍(4万)と籠城戦で戦った城です。

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駅裏側に回り込み田んぼ道から城跡が見えます、左側が本城で右側の高いのが天ケ岳砦です。
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県立韮崎高校のグランド脇から山に入ります、少しの上りで権現曲輪にでます。
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左側は三の丸方面ですが、そこを下ると学校に出れます=>昔の御座敷(お殿様の住居です)、右側が二の丸への虎口です。
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山沿いを回り込むように上がると二の丸の虎口です、上り路は二の丸脇からの横矢掛かりなのでしょう。
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二の丸の先に本丸への登り口があります、小高い山の尾根を利用した細長い縄張りです。
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前の写真とほぼ同じで二の丸から本丸へ回り込む道です、景色が良く、北側に富士山が見えますね。
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振り返り二の丸の全景です、一番奥左側が虎口のある場所です右側は急斜面でその下側は城池です。
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回り込んで本丸の虎口です、回り込ます(横矢掛かり)の防御システムが見えますネ。
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本丸広場です、奥に細長く続いています、伝塩蔵跡の土塁があります。
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本丸から今来た帯曲輪を上から見た所です、やはり打ちやすいですね、グランドはお座敷跡の学校です、富士山はこの方角です、今は雲がかかりスッキリしていませんでした。
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此れが奥の伝塩蔵の跡です。
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細い尾根筋の奥が本丸です・・・・そう広くないですね、良くこの規模で3ケ月の籠城に耐えたのでしょうか?、この城の前も湿地帯で後は大きな池と天ケ岳の砦で大軍が一度に攻撃しずらかったのでしょうかネ?。
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権現曲輪を回り込むように下ります、左側が三の丸川ですね堀切ですね。
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城池です、昔は此処も湿地でしょうね、左側の山は秀吉軍が陣地を張ったところで、右奥が天ケ岳砦側ですね。
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再び、三島に戻り折角なので三嶋大社にお参りしました、ここには巨木がありますから、樹齢650年のケヤキの巨木です、何本か他にもあります。

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此れはクスノキの巨木です、向こう側がありませんが結構なものです。
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樹齢1200年の巨木です、キンモクセイです、根元から二つに分かれ痛々しいですが枝は大きく広げていますね。
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三嶋大社の本殿です、本殿は流れ造りで千木・鰹木をつけています、拝殿は権現造りです(入母屋造で千鳥破風・軒唐破風)、今日は段々熱くなり汗をかきながらの各所を見て歩きました、帰りの電車が疲れて長く感じましたね。

2016年3月 9日 (水)

山中城址に行って来ました。

2016年3月8日(火)に天気が良いとの事で青春18キップでのお城巡りに行って来ました、朝一でスタートしましたが朝濃霧の影響で電車が遅れましたが段々良い天気になりました。
三島まで行元箱根行のバスで山中城跡までです。

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山中城跡は日本100名城で後北条の城で三代氏康が築いたのです、秀吉に対抗するため防御態勢を固めたのですが、1590年(天正18年)3月29日秀吉軍4万の大軍の前に北条氏則・松田康長4千は半日で落城、小田原北条の滅亡の先駆けとなったのです。
縄張り図です、旧東海道を真ん中に挟み(三の丸)左側が出丸、右側が本城となります、右上が西の丸・二の丸・本丸・北の丸となります。

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田尻の池です・その先に箱井戸があります井戸は飲料水で池は馬・洗濯等に利用したものです。
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西の丸の空堀畝堀です、山中城は石垣が無く、すべて堀と土塁での防御システムです、畝堀・障子堀は後北条の城壁の特徴です、当時は急勾配で堀も深く関東ローム層で滑り一度落ちると登れないものだ数です。

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帯曲輪の先端からの見た富士山です畝堀があり右側が西櫓の馬出です。

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富士山をアップで、お城の北北西側ですね、この後雲に隠れました。

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帯曲輪を回り込みました、右が西櫓で左側が西の丸中が障子堀の空堀で西櫓と西の丸は木橋で連携しました。

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左側西櫓で畝堀が続きますね、右側気に下側が三の丸方面で、左側が二の丸・本丸方面です。

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西櫓に上がりました、中は土塁で盛り上げてあります、富士山が見えますね、櫓台もあります、右側は西の丸方面なので土塁がありませんね。

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西の丸虎口から見た西の丸物見台です、向こう側に西櫓があり木橋があったそうです。

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物見台から見た西の丸全景と向こうに見えるのが元西の丸です、広場が斜面上になっていますね、水を集めるための考慮と在りました。

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やはり物見台から見た西櫓と障子堀です。

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西の丸の虎口で元西の丸への通路です、ここは堀切状態でですね。

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元西の丸から西の丸虎口を見た所です。

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元西の丸から二の丸(北条丸)へは木橋となります。

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二の丸の橋横の土塁の上から見た元西の丸です、元西の丸は小さな広場です。

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二の丸と本丸は土橋と木橋で繋がっています、木橋はいざの時壊せばよいのです。

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二の丸の広場です、ここは結構広いですね。

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本丸広場です、天守台から見ました、正面奥が二の丸、左側したが弾薬庫・兵量庫の広場です。

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天守台から見た北の丸ですやはり空堀があり木橋で連結されています。

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本丸下の駒形諏訪神社境内にある大カシの巨木です樹齢650年根回り9・6mと在りました。

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最後に出丸側の最先端であるすり鉢曲輪です、ここにも畝堀が見られました、大軍によるもう攻撃の前にこれだけの防御もわずか半日で落城するとは考えもしなかったのでしょうね!

2016年3月 3日 (木)

韓国に行って来ました(釜山ーソウル)。

2016年2月28日(日)から3月2日(水)まで韓国ツアーで釜山ーソウル経由で世界遺産を見て回りました。
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何気なく外を見たら富士山が目の前に、慌てってカメラを取り出し写しました、他に多分南アルプスの雪山が見えました。

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釜山空港に2時間30分位で着きましたネ、甘川(ガムチョン)洞文化村に行きました、釜山は山が多く坂道が多いので自転車は見られませんね、ここは朝鮮戦争当時の避難民が困難暮らしの中で造った階段式集団住居地、それでも前の家が後ろの家を遮らないよう思いやりがある建てられたとありました。

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龍頭山公園です釜山タワーには登れませんでした。

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チャガルチ市場を見て回りました・・・・タチウオが市場に多くありましたネ。

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翌日・・ウルウ年の29日慶州へ移動、世界遺産の仏国寺に行きました、極楽殿のブタを撫でブタの彫刻を探して願い事をお参りすると願い事がかなうそうです。

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お寺(仏国寺)の写真ポイントを写しました。

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同じく世界遺産の古墳公園の天文台(昔の)です、東西南北を上の四角は指してるとか、古墳は小さな円墳がいくつもありました・・・行田の古墳群の方が大きいですね。

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次は迦ヤ山へ移動し世界遺産の八萬大蔵経が収められている迦ヤ山海印寺へ行きました、山の中でしかも雪がチラホラから吹雪へ代わります。

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大きな立派なお寺です108の階段をのぼります。

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吹雪の状態がわかりますか?。

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この建物の中に八萬大蔵経が収められているのです、日本の正倉院の校倉造りを思い出す建物です。

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全州へ移動途中に馬耳山を展望台から眺めました、雪が止んで奇麗に見えました。

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3日目・・・月が替わり3月です、今日も寒いですね、全州の韓屋村を見て回りました、瓦屋根の韓国らしい家屋が沢山あります。

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扶余の定林寺跡です、これも世界遺産ですが今は石の塔と本堂のみです、これからいろいろと復元するみたいですね。

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その後扶余の北を流れる白馬江(ベンガハン)を背景にした百済時代の山城扶蘇山城に行きました。

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扶蘇山城の縄張り図です、百済・高句麗・新羅の三国が対立(中国の三国志では無い)百済の重要な拠点でした。

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白馬江を遊覧船で扶蘇山城を回り込むように見ました、660年に唐と組んだ新羅に滅ぼされた時、このガケの上から3000の宮廷女官たちが身を投げた話を聞きました。

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次に公州の公山城を見ました、錦川を北に石垣で囲まれた城塞です。

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百済時代は土塁だそうですが、朝鮮時代に石垣にしたそうです。

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雪の城壁を歩き滑りそうで怖かったですが、奇麗に城壁が続くがわかりますね、ここは西の門ですね白虎の絵が描かれていました。

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ソウルの漢江です、ホテルから見た朝の景色です。

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ソウルの宗廟を見学本殿です、朝鮮王朝李氏の祭祀の場です・・・日本では伊勢神宮・石清水八幡に該当するそうです、19人の王と49人の妃の位牌が祭られているそうです。

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宗廟の中の三道(サムド)です、中央の道はヤヤ高く神様が通る道神路(シンロ)です、右側(東)は王様が通る道で御路(オロ)左側(西)は皇太子がと通る道世子路(セジャロ)だそうです。
この後ソウルの市内観光をしソウル空港から無事故国しました。


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