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2016年12月 7日 (水)

寄居に行って来ました(花園城址)。

2016年12月6日(火)出かける予定は無かったのですが今日は天気が良く暖かいとの言葉に反応し急遽出かけました(殆ど病気だね!)、金さな神社には時間が無いので寄居の花園城址にしました、熊谷から秩父鉄道で寄居へ、何と寄居駅では風が強く雨がパラパラ・・・・・様子見に町役場に入り観光案内で場所を尋ねましたがご存知ありませんでした(お城と言えばここでは鉢形城ですから)。
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パンフレットを頂きまず正龍寺・善導寺・花園城・少林寺・波久礼駅と行きます、この地図には花園城跡がありました。
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チョット道がずれましたが、正龍寺へ。
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此処は鉢形城城主北条氏邦・大福御前の墓と大福御前の父母の15代目の藤田康邦・西福御前の墓があります、藤田氏はこの地方の豪族で関東管領山内上杉の支配下で15代の名門です。
新興勢力の後北条三代目の氏康(8,000人)・河越城主福島綱成(3,000人)に対して上杉憲正(当時23歳)が65,000人プラス古河公方(足利晴氏で嫁さんは氏康の妹)20,000人で河越城を攻めました天文15年(1546年)の事です、このとき有名な河越夜戦で北条方が圧勝しました、・・・その後八王子の大石氏(滝山城)・寄居の藤田氏(天神城・花園城)は北条の氏照・氏邦がそれぞれ養子に入りこの地を収めたみたいですね、ちなみに西福御前は八王子の大石氏からの嫁さんとか。
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藤田善導寺を見城への入り口を探したが見つからず、少し先の諏訪神社に行きました。
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神社を上がり右側に古い木の札に花園城と在りました、此処からわずかな道跡を探りお城の中に・・・冬枯れのこの時期でないととても山城探訪はできませんね。
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道を探しながら城中へ、多分縦堀と思われる道を上がり途中で縦堀と確信しましたね。
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縦堀から脇の土塁?を上ると郭らしく見えますね、少し奥に入ると石積(石垣では無い)がやはりありました、木々が沢山あり全体がわからない状態ですが部分的に今城に居ます。
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縦堀?(堀切状態)で丁字型に堀が組んでありますね、正面は土塁で上は郭でしょう。
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正面左側は行き止まりで上からの攻撃用ですね。
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漸く尾根筋に上がりました、堀切ですね、尾根を分割してあります。
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縄張り図が無いのでボンチ図で東西の尾根筋を5個の堀切で分割しそれぞれの郭の隙間子縦堀とか帯郭状に細かな段々状態で郭を形成、北側は崖状態かあまり構造物がわからず(下は川か)尾根はは岩盤の場所があり堀切も岩場が露出していい状態ですね。
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郭のうえから堀切と向こう側の郭を望む。
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結構な堀切がわかりますか、昔はより深く抉れていたのでしょう。Dsc07713

郭の上からです。
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1の郭です結構細長いですね。
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花園城址の石碑が在りました、昔は案内板等もあったのでしょうかネ、個人の持ち物でしょうかネ、少し手を入れてくれれば有名になるかも・・・・鉢形城だけで手が回らないのか?。
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一番西側の堀切です(一の郭)、この外側は段々状態の小さな郭がとづきますね。
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この堀切(横堀を回り込むと1の郭(左側)をまわり縦方向に降り曲がり縦堀となりますね、結構石積も見られるし規模は小さいが技巧が入った防御構成に見えました、西側の段々の状態を見ながら下りました、道はありませんね。
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少林寺方面からの道から(西側と左側が北側ですね)西側を下り切通の石垣にでたので横に歩き石垣の無い所から道に出ました・・・・・結構大変でしたよ。
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此れは少林寺側から見た御城の全体です北側です、手つかずの城址でした。


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