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2017年4月30日 (日)

大分県豊後竹田の岡城跡に行って来ました。

2017年4月25日(火)に豊肥本線の豊後竹田にある荒城の月でおなじみの岡城跡に行って来ました、駅からはレンタル自転車で行きました、日本100名城です。

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大野川の支流である稲葉川と白滝川に挟まれた標高325mの天神山の山上に高石垣がそびえる防御力の高い城ですね。

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左橋の大手門から入城し、西の丸方面・近戸門・家老屋敷・桜の馬場・本丸方面へ見て回りました、前の図は上からの入城になりますね、やはり、竹田城を思い出しますね、南千畳・本丸・北千畳の各石垣の構成です。

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駐車場(総役所跡)から見た西の丸の石垣、右側を回り込み大手門へ、左側を廻り込み急坂を上ると近戸門へとでます。

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この山は天然の壁があり石垣が不要の断崖を多いですね。

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山側を回り込み大手門を仰ぎます、左側の斜面を上がります、奥の石垣は大手門の方がわです・・・まるで塔のように見えますね。

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急坂を上ると大手門です、右側はガケ、左側は石垣です。

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大手門跡ですね大手門前に番所が在ったのですね。

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大手門跡を入り内側から見た所です、奥が西の丸側ですね、こちら側が後期になると主流になるみたいですね。

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大手門内側の石垣から今来た道を見ました。

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西の丸脇の道です、上が西の丸です。

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西の丸は結構広いのです、端まで来て下を見ると駐車場が眼下です、右横上には小さな物見台跡がありますね

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西の丸脇から右側が家老屋敷跡(3家老か?それぞれあります)と正面石垣が普請方跡、左側が近戸門側です。

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近戸門跡です、石垣に囲まれた防御性が高いですね。

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近戸門を入り真すぐな道を突き当たるとガケに出ます、正面左側に見えるのが三の丸・二の丸の高石垣です、その奥が本丸の石垣です、右側を迂回し本丸がわへ向かいますね。

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大手門から西の丸側に行かず右側に直進するとやはり家老屋敷跡(左石垣)・さくらの馬場(正面)へと続きます。

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さくらの馬場の奥の狭まった場所に西中仕切り門があります。

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入口脇から見る高石垣です。

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有名な所なのでさらにアップで・・・・高石垣です。

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西中仕切り門を入るとそこにも枡形の太鼓櫓門跡(奥)がありました。

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太鼓櫓門を入ると三の丸です、奥の石垣が本丸の石垣ですね。

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三の丸です。

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三の丸奥脇から本丸への登り口左側奥が二の丸で階段横に井戸があります、結構井戸が見られますね。

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西の丸側の石垣です、深い急な崖で分けられています、なおかつ石垣で防御です、島津軍が天正14年三万七〇〇名の大軍で三回に及ぶ攻撃にも落城しない難攻不落の城ですから。

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此処が二の丸です、荒城の月の作曲家滝廉太郎の像もあります、阿蘇山・久住・祖母山等が見えますから。

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此処が本丸です。

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本丸から見た三の丸方面です、右側石垣が西の丸方面です。

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やはり本丸から見た東中仕切り門跡の石垣です、この奥にも御廟所跡があります。

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東中仕切り門跡から二の丸の石垣を望む、岡城は中川氏が7・3万石で13代続きました、山城は遺産が当時のまま残り規模の大きさが目の当たりに見え感動しますね、ゆっくりしたいのですが他の予定もあり急いで戻りました。
























2017年4月29日 (土)

大分・府内城跡に行って来ました。

2017年4月24日(月)に大分府内城跡(日本100名城)に行って来ました。

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江戸期の府内城の縄張り図です、1597年(慶長2年)福原直高が関ケ原後1602年(慶長7年)竹中重利が改修水城です、右側の外側が大分川側で横が人工土手の帯曲輪、現在は西丸・本丸・東丸の内堀が埋め立てられていますネ、北側は海で東側が川で水の上に浮かぶ城に見えたそうですね。

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西の丸の隅櫓(二階櫓)・・中間に宗門櫓(1859年)・・大手門、右脇が大手門脇の着到櫓です、右側は当時は三の丸です。

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大手門です。

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東の隅櫓?・・・石垣が出ている所が三階櫓の石垣です。

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東丸の脇の二階櫓、左側が土手の帯曲輪ですね。

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帯曲輪を回り込み右端が人質櫓で中央奥が天守台です。

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現松栄神社(当時北の丸)側から見た人質櫓(1861年)です。

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北の丸(此方がわ)と西の丸をつなぐ廊下橋(床板を外し敵の侵入を防ぎます)。

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本丸櫓台から人質櫓方面を見ます。

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天守台から廊下橋を見たところ。

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天守台から大手門方面を見る、途中に内堀があり本丸と分けていましたね・・・復元したら良いのにね。

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本丸から西の丸を見た所、途中に内堀があり西の丸と分けていましたね。

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大手門側から天守台を見ました、明日は天気の関係で岡城跡を回ります。









大分県別府に行って来ました(朝見神社)。

2017年4月24日(月)~27日(木)まで大分県別府周辺にいってきました、別府温泉には宿泊のみで毎日お城巡りでしたが、天気が悪く最悪でした。

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まずは飛行機の機内から多分・・・・・南アルプスのいずれかでは?

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別府温泉の竹瓦温泉です、市内の北浜にあり古風な建物ですね、砂湯で有名なのです、私血圧が高い・・・・うっかり言ってしまいは入れませんでした。

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別府朝見神社に来ました、夫婦スギです、この日は暑く歩いたのですが大変でした。

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朝見神社の本殿です、手前が目当ての大楠の御神木があるのです。

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樹齢1000年幹回り・・・M、まだまだ樹勢盛んですね、少し遠くなので裏側を含め見えませんでした。

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全体です。

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此れは帰りなのですが、ブロッケン現象でしょうかね、雲に飛行機が写り光の輪が周りに山で二度ほど会いました。

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東京ゲートブリッジですね、この日は風が強く出発が遅れたのですが、風に乗り早く帰りましたね・・・・・。






2017年4月21日 (金)

三春城址に行って来ました(舞鶴城址)。

2017年4月20(木)に三春の滝桜を見に行きました、併せて三春城跡も見てきました、4月6日(城の日)に続日本100名城が発表されました、その1城に選ばれていました。

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三春城跡の縄張り図です、旧と今が重なりずれているので見ずらいですが、戦国当初は田村氏の山城で伊達氏が介入との事、豊臣秀吉の小田原征伐に田村氏は参陣しなかったので改易されたそうです(伊達正宗の指示とか?)、その後寛永5年(1628年)松下長綱が三春3万石に封じられ改修し戦国の山城から城郭へ、最終的に寛永22年(1645年)秋田俊季が5・5万石で封じられ近世城郭としたそうです。

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丘陵地(山に近い)407mに作られています、今の町役場前の丘の上です、下から二の丸方面を見上げました、今回は回り込み搦め手口から本丸へ上がりました。

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搦め手門から本丸方面に上がると石垣?が見えます、搦め手門の下側にも今は桜の公園ですが、何かの曲輪跡ですね。

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搦め手からの直線的な車道を上がると突き当り右側が二の丸、左側が本丸の猪口です。

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二の丸です、この端に二層二階の櫓が天守代わりに在ったそうです。

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本丸門を回り込みます、下の道が今来た道で奥が二の丸です、此処の本丸は二段に整地された腰曲輪みたいですね。

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本丸門を少し上がると本丸ですね、上の写真は左側を廻り込んでみたところです。

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本丸を上がると神社後みたいな石垣が一段高い所にあります。

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本丸の低い橋から見た所です、結構広いですね、右側・向こう側は切り立つ土塁ですね、奥の左側が先程の石垣が有る場所です。

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今の場所から左側の二の丸を見た所です。

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二の丸櫓跡から三春の街を見ました、多分正面先が三春駅のほうかな、左下が小学校・・旧の居住館ですね。

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二の丸の脇に大門跡が・・・横矢の登り口ですね。

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ジグザグに上ります、大門を下ると三の門跡と奥が本丸脇の腰曲輪ですね。

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山道を下ると三春小学校があります・・・此処が御殿跡ですね。

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この学校の門は当時の藩校明徳堂の表門だそうです、やはり山城はヤヤ車の道が作られ微妙な所が在りますが、当時の遺構がはっきりしていますね滝桜以外にもこの山にも桜が沢山見られました。

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最後に帰りの電車から見た(駅のドア越しに)白河小峰城です、まだ石垣は修理中ですがいいもんですね。









三春の滝桜に行って来ました。

2017年4月20日(木)に福島県の三春の滝桜を見に行って来ました、郡山から磐越東線に乗り換え2駅目の三春駅へ、駅から臨時バス「滝桜号」1000円(観桜料込)でさくら湖脇の滝桜まで行きました、帰りは町役場前で降りて三春城跡を見学しました。

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駅から結構離れているのです、朝も早く風もあり結構寒かったですね、でも平日なのですが人が沢山来ていました、まず下の定位置から。

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桜近くへ右側に回り込みながら、8-9分咲きでしょうかネ?。

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余り説明することもないのですが、確かに滝のように降り注ぐイメージが在りますね、滝桜。

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ヤヤ右側上から、場所により雰囲気が異なりますから。

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上の方から・・・丁度反対側ですね。

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此れもほぼ上から。

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少し下りヤヤ横。

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横からですね、滝桜は日本三大桜の一つで天然記念物、エドヒガン系ベニシダレザクラです、神代桜は以前見ました、薄ずみ桜は見ていませんが。

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此れは正面見上げる形です。

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此れも同じですね。

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巨木好きな私はやはり根元をしっかりと撮りたいですから、樹齢1000年以上、根回り11・3mでまだまだ元気ですね。

三春町には沢山の桜が在りますね、帰りに駐車場待ちの車が大渋滞で並んでいました、焦らず待てばまだまだ桜は散りませんよ、以前、高遠城の桜の渋滞を思い出しました、此れから役場前までバスで戻り三春城跡にイザ見参。









2017年4月16日 (日)

四阿屋山に行って来ました。

2017年4月15日(土)に秩父の四阿屋山に行って来ました、西武秩父駅10時20分発のバスで薬師堂前へ、薬師堂脇の両神神社から山に入りました。

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薬師堂です、趣のあるお堂ですね。

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花菖蒲園の所が動物よけの為道がわかりずらいですが無事山道に入りました、杉・ヒノキの植林が多いですね、薬師堂コースを登りました。

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急坂を上り両神神社の奥社へ来ました、此処から奥が岩場ですね、この山に昔来ましたが殆ど忘れていましたね。

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漸く岩場のクサリ場に来ましたね、以前2月ごろセツブンソウ・フクジュソウを見来た時にこの場所が氷状態で怖い思いを思い出しました。

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岩場はクサリがあり慎重に登れば落石以外はそれ程でもありませんが無理はいけません無事通過しました。

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山頂から見た両神山です、最近は行っていないですね、丁度雨がポツリポツリ来ました、今日は雷雨予報があり困りましたね。

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四阿屋山の山頂です、狭い場所です、ミツバツツジは咲いていましたが、ヤシオツツジはありませんでした、山頂は771・6mでこの前の要害山が770mですからほぼ同じでした。

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下山は別ルート鳥居山コースを下りました山ぶどうの木ですかネ?、絡みあって微妙な雰囲気を醸していました。

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帰りは薬師の湯から15時35分?の始発バスで西武秩父駅に駅からの武甲山を撮りました、雨はどこかに飛んでいき晴れていました、小鹿野町はお祭りでした、見ることが出来ませんでしたが良い山行でした皆さんに感謝です。




2017年4月14日 (金)

小机城跡に行って来ました。

2017年4月13日(木)に横浜の小机城跡に行って来ました、以前茅ヶ崎城跡に行ったのですが時間が足らず行きそこなった城跡です、続日本100名城に選出されビックリしましたが見に行きました・・・武蔵松山城が選出されなかったのにはガッカリしましたが!。

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横浜線小机駅まえから見える小高い丘陵です、右側から裏手にかけて鶴見川が流れて居ます、小机城は長尾景春の乱で大田道灌が攻撃していますね、後に後北条の小机衆が治めていますね・・・・しかし豊臣秀吉との戦乱は無かったみたいですね(殆ど小田原城籠城ですかね)。

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縄張り図です、駅から線路沿いを根古屋へそこから本丸(西郭)横の帯曲輪へ入り、右側へ回り込み櫓台から本丸へ・・・・・。

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この丘全体が今ではタケノコ山ですね、此れからが楽しみの時期です・・、根古屋から奥を見上げました。

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登り詰めると帯曲輪が本丸を囲み本丸との間が空堀です、左側が根古屋、空堀の右側が本丸(西郭)、正面は土橋で本丸入り口(冠木門があり)へ続きます。

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私は本丸側と逆側へ進みます。

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本丸との間の空堀です。

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此処は本丸を囲む帯曲輪の終点の櫓台?ですかね。

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帯曲輪を下り回り込みます、右側上が二の丸(東郭)側で二の丸下の腰曲輪が右下にあり、左側が本丸前衛の帯曲輪の土塁。

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階段を上がると右側が露台跡と二の丸(東郭)側です・・・こちらは本丸後に来ますネ。

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此処が本丸と二の丸の間の帯曲輪の入り口で櫓台が左側に在ったのでしょう、今は左側から上がりました、右側も見事な空堀です。

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入口を登った所です、櫓台で本丸と二の丸の間にある帯曲輪です。

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帯曲輪の土橋を渡ると本丸です。

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帯曲輪の端から見た先程の根古屋から北帯郭が眼下に見えますね。

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本丸を抜けて外側から見た冠木門です、土塁・空堀・土橋の奥に門です。

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本丸を抜けて二の丸へこのお城は山内・扇谷上杉時代と後北条時代のお城が重なり本丸が微妙なようですね。

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二の丸上から見た空堀です・・・見事な空堀ですね・・・後北条の土木でしょうね。

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此処は第三京浜道路で分断された富士仙元(浅間)台です。

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富士仙元の碑がある櫓台でしょうね。

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そこの脇から見た鶴見川方面です、左後方面が小机城跡です。


















お台場に行って来ました(第三台場)。

2017年4月13日(水)天気が良いので小机城跡とお台場の第三台場(砲台跡地)に行って来ました、幕末の要塞・・・・・台場も城の一種なのですね(続日本100名城で知りました)。

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新橋から”ユリカモメ”で「お台場海浜公園」駅へここから歩いて10分ぐらいで海辺です、レインボーブリッジの脇に広がるのが第三台場公園です、右側から歩いていけます。

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海脇の砂浜を回り込み台場へつながる道です、奥が第三台場公園です。

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この階段を上ると第三台場です、昔は海に囲まれていました、2017年4月6日に続日本100名城にあがりました・・・品川台場は幕末ペリーの黒船(1853年)来航で大騒ぎになり翌年までに急いで作ったもので未完成を含み9要塞だそうですが、今は2個(第六台場・・・立入禁止)のみと説明に在りました。

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此れが台場の縄張り図です、四角(菱型)で周りが土塁で中が窪地です、左下が船着き場ですね、設計者は伊豆韮山の代官江川太郎左衛門です。

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中を覗いた風景です、真ん中に陣屋があり土塁に囲まれた窪地です・・・・土塁は敵船からの砲弾を吸収しますからね。

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土塁上から海浜公園を見た所1です、奇麗な所ですね。

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同じく景色2です。

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レプリカの砲台跡です、後側にレインボーブリッジがみえますね。

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砲台の先に見えるのが、鳥の島(旧防波堤・・・立入禁止)です。

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レインボーブリッジの左側が第六台場です(立入禁止)100名城ですよ・・・。

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後側に史跡の碑が在りました。

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史跡脇に船着き場が・・・陣屋への補給が必要ですからね。

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船着き場うえの土塁から見たところです。

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土塁を利用した弾薬庫です・・・・そうそう、レインボーブリッジの遊歩道を歩くと第六台場も上から覗ける見たいです・・・花粉で鼻水が止まらず見ませんでしたが機会が在れば歩いてみたいものですね。








2017年4月 7日 (金)

甲府に行って来ました(甲府城)。

2017年4月4日((火)に要害山城跡・武田神社・甲府城に行って来ました、電動自転車で回ったので以外と楽に回れました、甲府城は甲府駅を含む中央線で分割されていますが、武田神社と合わせて日本100名城ですね。

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この地図の下側が中央線で山手渡櫓門も復元されています、本城は元々対徳川用に豊臣政権の拠点として作られました、羽柴秀勝・五奉行の浅野長政で慶長5年(1600年)ですが関ケ原の戦い後は徳川一門が抑えました・・・・・・・何のことやら。

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此れが山手渡櫓門です、向こう後に見えるのが稲荷櫓ですね、歴代の徳川一門凄いですよ・・義直(家康の九男)、忠長(秀忠の三男)、綱重(家光の三男)、綱豊(6代の家宣)、この後は甲斐源氏武田一門の柳沢吉保・吉里です、吉保は館林藩の家来でしたが5代綱吉の下で大老まで上り詰めましたね(川越藩・大和郡山藩)。

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同じ場所から見た天守台の石垣です、手前が中央線で稲荷曲輪の石垣・本丸の石垣です。

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内松陰門です。

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内松陰門から見た内側の石垣です、この門内は二の丸ですね、ここは枡形構造です。

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内松陰門内を本丸への石段踊り場から見たところです、枡形構造です、美しいですね。

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石段を登ると本丸で奥が天守台の石垣です、天守は内側建物下から入る構造ですね。

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本丸の虎口である鉄門です、これも渡り櫓門ですね。

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鉄門から見た天守曲輪ですね。

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鉄門脇の石垣上から見た鍛冶曲輪・堀・甲府の街並みと富士山です。

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反対側から見た稲荷曲輪と稲荷櫓です。

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最後に稲荷櫓をアップで如何ですか?、これで青春18切符も使い切りました、次はどこかな?。




2017年4月 6日 (木)

甲府に行って来ました(要害山城跡)。

2017年4月4日(火)に武田氏の詰め城である要害山城跡に行って来ました、青春18切符の最後で三春の滝桜を見に行く予定でしたがまだ咲いていないのと天気が崩れ?そうなので此処に切り替えました、バスの時間が無いので駅前からレンタルサイクルで出かけました、電動アシストなので登り坂でも楽に行けました。

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此れが武田神社裏側の詰め城要害山(正面の山770m)城跡です、武田氏館の翌年永正18年(1520年)構築の山城ですね・・・館とセットです、武田信虎恐るべきですね、山の下が根古屋地区で城番が置かれているそうですね。

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温泉地区でもありますが(信玄の隠し湯・・・彼方こちらにありますが)此処が左側裏手側の登場口です(要害温泉)。

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お城の縄張り図です、下側が登り口、右側下が根古屋地区です、山の両サイドは急ですね、山道の半ばまではジグザクの上りでそこから先は曲輪群が折り重なるように構築し横に回り込めないように竪堀が彫られていますね、山頂の主郭は細長く結構な広場で裏側にも堀切・竪堀で絞り込んだ防御です。

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ジグザグの山道を行くと南アルプスの白根三山?、ですか見えてきます、甲府の街も見えるのですが木々が邪魔して奇麗には見えず。

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山道途中に竪堀・土塁のカンバンが、山道正面に土塁が下側を回り込めないように竪堀が彫られているのです。

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登り坂も切り落としてあり沢山の人が同時に上がれないよう工夫されていますね。

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此れは枡形構造の防御ですね、両サイドに門塀があり廻は土塁での曲輪正面は一段と高い土塁で、右側に進むのですが右側にも門が在りますね、袋のネズミです、このような曲輪が繰り返しあるのです。

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不動曲輪です、武田不動尊が祭られているので跡から命名された曲輪だそうです。

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不動曲輪の反対側方面の井戸曲輪?ですね。

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水神・諏訪水(古井戸)です・・・小さな井戸ですが今でも水がありましたね。

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井戸曲輪の奥側から見た所ですが、下側にも腰曲輪らしきものがあり脇から下への援軍が送り込めるように見て取れました。

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此処は石の門塀で枡形構造(正面土塁でせき止め)、左右からの攻撃です。

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ここも似たような門塀ですが方がわへの落とし込みですかね。

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正面上からの土塁上から見た下側の景色です、上からの攻撃を掻い潜り攻めるのがいかに大変かわかりますね。

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此処が最後です主郭への門跡です。

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上がりこむとそこが主郭です、右側は土塁です、奥行きが結構ありますね。

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信玄公誕生の地の石碑と山梨100名山要害山の案内です、今川軍に攻められこの城に避難していた信虎夫人がここで信玄を生んだそうです、今川の大軍を信虎は破り戦国大名に名乗り出たのです。

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主郭の搦め手門です、土塁も今に残っていますね。

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裏手の門を出ると石積の残る堀切とつながる縦堀です。

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狭い尾根筋に建て堀を設け沢山の人が同時に通れないよう、此方は高みから敵兵を抑えるのです。

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攻める側から見た堀切と縦堀と正面の土塁です、正面の土塁上からこの細い道から攻めるのは容易ではないのがわかりますね、素晴らしい防御システムですね、でも勝頼は織田の大軍の前にはこの規模の城では無理と判断し新府に城を築いたのですが・・・・・負け戦となると人が集まらないのですね。

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これは根古屋地区に残るお寺さんです、後の山が要害山です、素晴らしい山城ででしたね、この後甲府城に行き帰ります。



甲府に行って来ました(躑躅ケ崎館(武田神社))。

2017年4月4日(火)に甲府の要害山城に行きましたが、躑躅ケ崎館跡(武田神社)にも行きました、まず武田氏館跡から。

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甲府駅北側にある武田神社です、甲斐の守護であった武田氏の館跡です、武田信虎・晴信(信玄)・勝頼三代の館でその後甲府城が出来るまでは政治の中心地でした。
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武田神社の左側にある、西の郭です、館は土塁と堀に囲まれた長方形の連郭式平城で藤川・相川に囲まれたところです、永正16年(1519年)武田信虎が築いた城です、この館の後の山(要害山)に詰めの城(山城・・・要害山城席があります)。

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西郭と東郭本郭は土橋で繋がっています・・・右側が神社です。

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西郭の南側の虎口です、土塁で囲み込んでいます。

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西郭です、二段階で奥が高くなっていますね、正面奥が北側の虎口です。

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北側の虎口です、石積と土塁ですが、枡形構造の虎口です。

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武田神社です、今は神社の正面が入り口ですが、右側が大手門口です。

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神社から少し離れた所に武田信玄公の御墓所があります、53歳で亡くなりました天正元年(1573年)です、京に行く途中ですネ、しばらくは喪を隠しましたその後の墓です。

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此方は円光院にある信玄の奥さんである三条夫人の墓です、京都公家の娘で姉は細川晴元・妹は本願寺光佐(蓮如)とそれぞれ名門に嫁いでいますね50歳で亡くなりましたね、信玄とは同い年とか。

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