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2018年12月31日 (月)

2018年訪問の巨木の一部を年賀用に一覧にしました。

2018年訪問の巨木の一部を年賀用に一覧にしました。
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千葉県香取市の府馬宇賀神社の大クス(実はタブノキとか)、樹齢1300年ー1500年とか幹回り12mの趣のある木です。
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此れも千葉県市原里見の三峰神社にある大イチョウです樹齢300年幹回り10・1m・・・多分複数の幹が合体したと思われます。
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長野県諏訪市下諏訪の下社秋宮神社前の専女(とうめ)のケヤキです樹齢1000年幹回り6・56mです。
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鹿児島蒲生八幡神社の日本一の巨木中の巨木大クスです、樹齢1500年幹回り24・22mです、中は空洞で八畳位あるそうです。
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熱田神宮にある大クスです、弘法大師御手植えの伝えが、樹齢1000年以上・幹回り7・7mです。
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山形県東根市の大ケヤキです、樹齢1500年幹回り16mのケヤキでは日本一でしょうかネ。
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町田市三輪の熊野神社にあるアカガシです、樹齢300年幹回り5・2mですが、実に趣のある木ですね。
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練馬白山神社の大ケヤキです、樹齢700年ー800年幹回り10m、以前は2本でしたが台風で倒れたそうです。
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河津の河津神社の大クスです、樹齢1000年以上幹回り14mまだまだ元気ですね。
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小田原の勝福寺の大イチョウです、樹齢700年幹回り7・5mです。
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茅ヶ崎の鶴嶺八幡神社の大イチョウです、樹齢1000年伝承幹回り9mです。
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群馬県吾妻町原の大ケヤキです県道の交差点真ん中に・・・・見た通り皮のみで・・・ケヤキは空洞化が進んで・・樹齢1000年幹回り11mとあります。
いかがです、巨木の姿・・・大切にしたいですね。


2018年12月30日 (日)

2018年訪問の城郭の一部を年賀用に一覧。

2018年訪問の城郭の一部を年賀用に一覧にしました。
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石川県金沢市の加賀百万石前田家の金沢城の菱櫓、白漆喰に海鼠壁・唐破風・入母屋破風の出窓が特徴ですね。
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橋詰門一の門、左奥が本丸で尾山御坊が在った所です、大阪御坊(大阪石山本願寺・・・大阪城)一向一揆の拠点ですね。
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富山県富山市の富山城です此処も加賀藩から分家した富山藩10万石前田家の城です。
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城内から見た富山城ですね、高校2年の時国体で来たのですが・・・・。
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天守は無いのですが、有名な山城なので、石川県七尾市の七尾城の桜の馬場石垣です。
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山頂の本丸に七尾城の碑が・・・・七尾湾が眼下に見えます、長尾景虎が攻め落としたお城ですね、霜は軍営に満ちて 秋気清し・・・・。
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福井県坂井市の現存天守の丸岡城です柴田勝豊が築城、独立式望楼型二重三階です。
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丘下から見上げた丸岡城、丸岡藩有馬氏5万石のお城です。
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福井県大野市の大野城、連結式望楼型二重三階。
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織田信長の家臣金森長近が築城とか‥‥・越前大野城・・天空の城。
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新潟県村上市の村上城本丸跡です、村上藩本庄氏のお城です。
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山城ですが、見事な石垣が本丸を中心に残っている村上城。
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新潟県新発田市の新発田城です、御三階櫓・・・三つの鯱が珍しいですね。
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辰巳櫓・本丸表門・二の丸隅櫓と堀の新発田城。
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山形県山形市の山形城・・・最上義光の城です、本丸一文字門の大手橋です、本丸築城はまだ先?ですかネ。
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線路際で写しずらいのですが、山形城二の丸大手門です。
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岩手県二戸市の九戸城本丸です、豊臣秀吉の奥州仕置き九戸政実の乱の舞台です。
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本丸と二の丸の間の空堀です、蒲生氏郷が構築?、南部家家督相続と奥州仕置きが重なり秀吉軍6万とのいくさが此処で起こったのです。
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青森県三戸郡の三戸城です、南部信直の居城です、九戸政実との相手です。
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その後岩手県盛岡城へ南部家は本城を移し、三戸古城と呼ばれたみたいですね。
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長野県諏訪市の高島城です、諏訪の浮城と呼ばれたみたいです、今は諏訪湖が離れてしまいましたが。
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城内から見た高島城、諏訪家2万7千石諏訪家は徳川に所属し関ケ原の後所領を獲得したのです。
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岐阜県中津川市の苗木城です、遠山家のお城で、幕末1万石でのお城持ちは此処だけとか、苗木城三の丸の大矢倉の石垣です。
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苗木城本丸の天守展望台です、大石を利用し築城。
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秋田県秋田市の久保田城です、佐竹氏です。
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久保田城隅櫓佐竹氏は清和源氏の流れの名門で20万石ですが(実40万石)と裕福な藩でしたね。
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愛知県犬山市の国宝犬山城です、尾張藩附け家老成瀬家の居城です。
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城内から見た犬山城。
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愛知県名古屋市の名古屋城です、解体まえの石垣調査中で入れません。
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西南隅櫓から見た本丸門・東南隅櫓の名古屋城、徳川家康が西国の大名に作らせた天下普請のお城です、尾張徳川の居城です。
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愛知県岡崎市の岡崎城です、徳川家康誕生のお城ですね。
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石垣土塁に囲まれ、木々が多くお城が撮りずら岡崎城です、このほかにも有名無名のお城を訪問しましたがやはり建物の有るお城を並べて見ました、お正月ミカンでも食べながらでも見てくださいね。

2018年12月27日 (木)

大平山(大平山城跡)に行って来ました。

2018年12月26日(水)に大平山に行って来ました、大平山・晃石山まで行くつもりでしたが、ぐみの木峠で昼食を食べて引き返しました。
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東武電車新大平下駅から山中に途中見晴らしが開けました、以前は木々があり見えませんでしたが、手前から左側の方面へ一番左の山が大平山です、建物が見えるのが謙信平でしょう。
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上の続きです一段下がった所がぐみのき峠です、そこから三個目の山が晃石山ですね、その先再び下り桜峠上り返して馬入不山で岩舟の方に縦走できます。
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謙信平です、見晴らしの良い場所ですね、昔上杉謙信が北条との話し合いで駒を進めた所からこの名前がありますね、別名陸の松島と景観の良さがついていますね。
わき道からぐみの木峠へ、晃石山には行かず大平山山頂へ急坂を上ります。
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山頂の脇です、左側が山頂の浅間神社です、右側が大平山城跡の腰曲輪?でしょう。
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山頂の浅間神社です。
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山頂の説明版です、大平山城跡については何の説明もありません・・・・多分皆川氏の出城ですかね、何せ規模が小さいので?。
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浅間神社の裏手が少し高台に・・・・櫓台でしょうか?。
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神社脇から見た山頂の広さが此れだけですから・・・・詰めの城規模ですね、大平神社が城ならばわかりやすいですがこの神社は1200年古さがあrのですからね、まあ、戦国の時はわかりませんが。
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これも主郭前に切り開いた腰曲輪で切岸としても素晴らしいがやはり規模が小さいですね。
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現在の表参道です、途中にも石が露出し趣のある城跡?ですね。
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少し下ると大平神社です、パワースポットのなで石があります、台風の雨水で後ろの山が崩れたみたいで以前と景観が変わりましたね。
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帰りは石段の表参道からアジサイ坂を下ります、何年かぶりです、下に見えるのは隋神門です。
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隋神門をなをも下ると枡形構造の石垣が現れますね。
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説明版に幕末の水戸の天狗党の本拠が一時期此処に設けられてとの事・・・確かに防御力のある構えですね。
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下から見上げた所です、正面が石垣で回り込むような作りですから下からは単純には攻め上れませんね。
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此れがアジサイ坂です、いしの階段が終わりなだらかな坂道に石畳みがひかれ両脇にアジサイが6月頃でしょうかネ。
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アジサイ坂入口にある六角の望楼の建物があります虚空菩薩を祀るお堂ですね、此処から舗装された山道を登り帰りの道に合流しました。
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謙信平の少し下の蕎麦屋さんの脇から見た筑波山です、此処から来た道を帰りました。


2018年12月23日 (日)

半田運河・八丁味噌見学に行って来ました。

2018年12月18日(火)に半田運河(ミツカンミュージアム見学)・八丁味噌(味噌蔵見学)に行って来ました。
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ミツカンミュージアム見学です、此処愛知の半田は酒造りが盛んで同様に酢も作れたそうです。
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中に同時の酢造りの工程道具がビジアルにあります。
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当然酒造りもありましたね。
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半田運河として栄えたのですね、多量の物流は舟運ですから、酒蔵ですね。
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次は岡崎の八丁味噌の味噌蔵を見学、此の建物は店裏ですが、昭和2年1927年とか。
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この資料館は明治40年1907年の建物とか、昔の店先ですね。
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麹は二階での作業で蒸した米を運ぶ・・・・・。
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出来た味噌の原料を大タルで醸造の為重石を乗せるのです。
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現在も大樽を使用し重石を乗せていましたね・・・・・ちなみにオケで無くタルですよ。。違いわかりますか。
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帰りは豊橋駅から帰りましたが駅前の広場にイルミネーションが・・・・、此れで今回のツアーは終わりです。

2018年12月22日 (土)

岡崎城跡に行って来ました。

2018年12月18日(火)に岡崎城跡に行って来ました。
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大手門です、国道1号線が脇を走りますね・・・・東海道です。
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岡崎城跡・・・今は岡崎公園です、乙driveえ川(左)と伊賀川(上)に囲まれたお城です、徳川家康が生まれたお城です。
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当時を復元したものです、上野地図とは90度違いますが、下側が乙川で内堀石垣本丸天守です、左側に半円形の馬出が見えますね、神橋はありませんね。
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これは二の丸と本丸を隔てる空堀です。
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これも二の丸側と本丸を隔てる空堀。
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巽閣横から見た岡崎城の小天守?と天守です。
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巽閣横から見た龍城堀と石垣。
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入り口側から見た岡崎城天守。
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龍城堀です。
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三の丸(運動場)?から見た二の丸方面の石垣。
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駐車場脇に立つ東隅櫓。
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再び龍城堀の雁行の石垣建物は巽閣、右上側が二の丸、右下側が三の丸側。
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当時は無かった神橋。
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神橋を渡ると本丸への虎口・・・・堀沿いの帯曲輪への出入り口ですね。
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階段を上り龍城神社横から見上げた岡崎城です、手前屋根は神社です。
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伊賀川側から見た本丸と二の丸との空堀にかかる橋。
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二の丸に建つ徳川家康像。
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岡崎城天守・・・・二の丸の高台より。


2018年12月21日 (金)

豊川稲荷に行って来ました。

2018年12月18日(火)に豊川稲荷に行って来ました、今日は半田運河・八丁味噌・岡崎城跡等を見て回ります、順番が違いますが名古屋周辺を散策ですね。
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豊川稲荷の総門です入母屋唐破風の四脚門、門前の土産屋ではお稲荷さんを売っています。
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入ってすぐ右脇にお堂があります護守堂です。
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次に鐘撞堂ですNHKで写す除夜の鐘で放送されるとか。
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山門で、今川義元寄進とか古い建物です。
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本殿です、豊川稲荷・・・・円福寺豊川閣妙厳寺が正式名称です・・お寺さんです。
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流石狛犬?ならずキツネですね。
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本殿から出ている渡廊下・・・・この下をくぐり奥の院・霊狐塚方面へ参ります。
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奥の院の手前にある山門?です、アチラコチラニ願い事の幟が千本幟と呼ばれるほど沢山あります。
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奥の院です・・・稲荷本殿ダキ尼眞天を祀りますね。
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霊狐塚へ向かう・・・千本幟ですね旗に豊川ダキ尼眞天の名前があります。
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霊狐塚には沢山のお狐さんが・・・・・。
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塚の両サイドに・・・・・・・。
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大きな狐も・・・・・・・。
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此処が霊狐塚です。


熱田神宮に行って来ました。

2018年12月17日(月)に熱田神宮に行って来ました、犬山城跡・名古屋城跡と見て本日は此れで見学は終わりです、名古屋近くに泊まります。
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西門から入りまず目についたのがこの大楠です、樹齢1000年幹回り7・7mとか、弘法大師が植えたとか。
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他にも巨木がありましたね、こころのこみち清水社の脇にもオオクスノキが・・・・・写真禁止区域?。
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神楽殿・・・この右脇からこころのこみちがあります、少し先に巨木が目に入ります。
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熱田神宮本宮の外玉垣御門(拝殿)です、創建は646年大化2年との伝え、日本第三の鎮守(伊勢神宮・石清水八幡宮)で三種の神器の草薙剣を祀る神社です、祭主は天照大神ですね。
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本殿です。
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拝殿横方から見た本殿です、神明造りですね。
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これは織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破りその戦勝祝いに寄進した門と塀で今に残る信長塀です、宮の御修理番匠岡部又右エ門以言(もちとき)の作ですね・・・・・後に安土城天守を手がけましたね。

2018年12月20日 (木)

名古屋城跡に行って来ました。

2018年12月17日(月)に名古屋城跡に行って来ました、このお城も三度目ですね、木造での復元のお城をもう一度見たいものですがどうでしょうか?。
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西の丸正門です。
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左下側から入りました、西の丸です本丸はほぼ四角で右奥が二の丸側ですね、昔の那古屋城はこの辺りとか・・・織田信長が誕生したところですね・・・その後信長は清州城へ移りましたね、徳川家康が豊臣対策として天下普請で西国大名に築城させ九男の義直が徳川御三家・尾張藩主を幕末まで継いだのです。
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西の丸側から見た名古屋城天守です五層五階地下1階の連格式層塔型天守です、木の陰に小天守二層二階が在るのですが見えないですね。
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石垣まで下げると、現在は立入禁止です再構築するので石垣の強度を調査・・・積み直し?およそ10年ぐらいかかるのかな?、名古屋城は姫路城同様に名城の為明治時代に保存が決定し国宝だったのですが戦争の空爆にあい炎上してしまったのですが、お城関係の資料が残り復元が可能なのですね。
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此方は戦災から逃れた西南隅櫓と本丸の石垣奥が表二の門跡でその奥が東南隅櫓です、その奥が二の丸側ですね。
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表二の門跡と東南隅櫓です。
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表二の門内の枡形です、高い石垣で遮られていますね、本丸です。
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本丸の本丸御殿です、武家風書院造りで二条城と並ぶものです、今年9年の歳月をかけて復元されたものです、右側脇からの入城となります。
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節の無い奇麗な桧造りです・・・・、御殿の中身は戦争当時疎開しておいたので模写が可能なのでしたね。
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お殿様がおわす書院造ですね。
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この襖は凄いですね・・・・・。
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どう見てもお殿様が座る部屋ですね。
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欄間の彫刻の数々。
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この部屋は三代将軍家光・14代将軍家茂が上洛の折に使った部屋だそうです・・・・・。
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此れでもすごいのですが、前の部屋とは月と鼈ですね。
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本丸から天守を仰ぎ見ました、やはりエレベータはつけないでほしいですね・・・・明日行く岡崎城も非常階段が外図家ですが絶対にやめてほしいです(中に入らずとも外から見れば十分です)。
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右側の建物が小天守です、天守への入り口はこちらから入るのです、小天守と天守は渡廊下で繋いでいるのです・・・・・渡廊下は屋根無なのです。
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本丸搦め手門の枡形の石垣に使用されている清正石(熊本の加藤清正)です、実際は黒田長政が用意した石を築城名手の清正が積み上げたとか?。
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搦め手門です、門は旧二の丸東二の門を移築。
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ここは西の丸の城壁から見た外濠?で二の丸・体育館側の石垣です。
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西の丸城内にあるカヤの巨木、樹齢600年幹回り8m、空爆で火災に在ったが枯れ死せず・・・初代義直もカヤの実を食べたとか。
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御深井丸から見上げた名古屋城天守です。
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本丸の不明門を外側から、この後熱田神宮へ行きます。


2018年12月19日 (水)

国宝犬山城跡に行って来ました。

2018年12月17日(月)に犬山城跡に行って来ました、三度目ですね、今回は家内が見たいとの事で喜んで参加、尾張藩附け家老成瀬家のお城でしたね、秀吉が木曽川沿いから攻略した戦国のお城で現存12天守の一つですね。
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これは当時のイメージ図ですね、後ろ側が木曽川です、19番の大手から1番の天守へ登城します。
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駐車場側の高台から眺めた犬山城です、左側したが木曽川です、石落としも見えますね、望楼型天守です。
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左側に天守、右側が本丸鉄門です、この間が本丸です。
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天守をアップで千鳥破風・唐破風があり華頭窓も見えますね。
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中門から黒門・岩坂門と上ります、左側が空堀ですね。
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本丸への大手門で鉄門です。
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鉄門をはいり本丸内から振り返る、右側が鉄砲櫓ですね。
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まず天守へ入ります、急な階段を上りますね。
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高欄廻縁から四方を眺めます、眼下が木曽川です。
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本丸弓櫓跡から見上げる犬山城です、右側に出ているのが入り口を防御する付櫓ですね。
ここは本丸脇の木曽川に面する七曲り門跡です。
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角度を変えて見上げました、この時期は木の葉が落ちてお城が見やすいですね、此れから名古屋城跡へと見て回ります。


2018年12月16日 (日)

清澄庭園に行って来ました。

2018年12月12日(水)に六義園・清澄庭園とに行って来ました、結構暗がりになりましたが、忘年会にはまだ時間があまりウロウロとしましたね。
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東京メトロの大江戸線清澄白河駅で下車してすぐでしたね、此れは帰りに撮った入り口です、暗くなりました。
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この庭園も岩崎弥太郎が手を染めていました、まーお金持ちが日本の文化を繋ぎとめて後世に残す・・・・良いことですね、横浜の三渓園でも同じ思いを持ちましたね、この庭園は日本の名石を集めた所に特徴があるみたいですね、回遊式林泉庭園です。


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涼亭です・・・池に突き出した数寄屋造りの建物です。
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石灯籠が・・・。
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この築山は富士山とか。
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この橋は細い枝を横に敷いてありました珍しい作りでしたね。
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やはり池に島・・・・微妙な松の配置が風情を醸し出していますね。
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先程の中の島に架かる橋です、夕方で風が無く水に映ります。
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これは私も見てすぐわかりましたね、滝と川をイメージした禅宗等でみる庭園技法ですね。
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少し離れて流れ落ちる川・・・・見事なものですね。
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思いかけずに見えたスカイツリーです。
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涼亭に明かりが入り他のビルと共に池に写りだされました、名石・・・?。

2018年12月14日 (金)

六義園に行って来ました。

2018年12月12日(水)に山水会の忘年会があり折角なので庭園を見てきました、六義園と清澄庭園です。
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JR駒込駅から歩きますね、駅は地図の上なので入り口まで遠いですが先まで行きます、六義園は元禄15年1702年あの赤穂浪士とも関わりのある武州川越の藩主柳沢吉保が築造した大名庭園で回遊式築山潜水の庭園です、その後荒れてしまったとか、明治になり岩崎弥太郎が買い取り修復しその後都立庭園として今に在るわけです。
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此処が六義園の正門です、入り口は一つです、入るとすぐ有名な?シダレザクラがありますね。
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中の島です、右側に在る橋が田鶴橋ですね、手前の岩は蓬莱島ですかね?。
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少し角度を変えて見ました。
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吹上松です、正面が中の島で築山の妹山・背山と名前が付いています。
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蓬莱島と心身邸でしょう。
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多分、田鶴橋ですね。
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田鶴橋です。
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もう一度ですね、少し高みから。
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渡月橋です、大きな平たい石が二つ途中でずらして渡してありますね。
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これも渡月橋です、真ん中に自然石で二つの石をずらしていますね。
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これは途中大きな木が有ったものですから、すぐ写真の対象にしてしまいます。
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振り返りもう一度田鶴橋を。

2018年12月10日 (月)

上野公園に行って来ました(快慶・定慶のみほとけ)。

2018年12月08日(土)に上野の東京国立博物館の快慶・定慶のみほとけと公園周辺に行って来ました。
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明日まで終わりなので急遽。
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写真可能の一体です、肥後定慶の聖観音です聖(しょう)観音、別名観音菩薩です般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものだそうですネ・・・まか般若波羅蜜多心経・・・。
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聖観音は一面二臂の観音で左手に蓮華の蕾を持ち右手を立っててその花ビラを開こうとしています、通常は独尊像で阿弥陀三尊の左脇侍像は観音菩薩とか。
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慶派の肥後定慶の作です、定慶は複数存在しているので肥後定慶となずけているみたいです、運慶の子康慶の弟子定慶・・・・最近は康慶が改名し定慶だとか。
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東京国立博物館内のイチョウの黄葉が今見事です。
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同じ邸内の”旧因州池田屋敷表門”です、入母屋造屋根左右向唐破風の番所が付いた代表的大名の門です、鳥取藩(因幡・伯耆32万石)池田家江戸屋敷表門です、旧丸の内大名小路(現丸の内3丁目にあったそうです。
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旧東京音楽学校奏楽堂です、日本で最初の西洋式音楽ホールで修復され、今月から再開されましたね。
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芸大?公園脇にあるイチョウの黄葉も眼に映りました、上野動物園は人が多いのでやめました。
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旧寛永寺五重塔、老中のち大老になった土井利勝寄進とか。


2018年12月 9日 (日)

福島県の相馬中村城跡に行って来ました。

2018年12月05日(水)に福島県の相馬の中村城跡に行って来ました、駅から歩いていける距離で、いまだに沢山の水堀に守られた輪郭式のお城です。
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此れが相馬中村藩六万石の中村城の縄張り図です、北・東側の守りが特に強く三重の水堀に守られていますね、古くは蝦夷、新しくは仙台伊達に備えたのです、相馬利胤が以前より在った城郭を短期間で築城したのは慶長16年1611年の事、石垣は殆ど無く土塁と水堀ですね。
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此処は縄張り図の外右上です、堀の奥が北三の丸方向です。
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此処は内堀で左側が東二の丸跡で奥が本丸方向です。
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此処は蓮池ですね、右側が北三の丸で左側が北二の丸です。
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南側の外大手一の門です、枡形です、右側には水堀で東三の丸です。
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大手一の門の中です左と正面の先は堀、土塁は外大手二の門跡です、その奥が中の門、左側が南二の丸です。
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土塁が消えているが左側が南二の丸です、正面が中の門方向、右側には土塁がありは東三の丸、左奥が本丸です。
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中の門枡形です、突き当りは水堀です、その向こう奥が丸土張(馬出)・東二の丸(中館・・現野球場)。
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南二の丸の全景、妙見神社の参道ですね。
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中の門少し先の右側を見る、南二の丸と本丸・丸土張・東二の丸とをつなぐ道です、左側水堀(今は無い)右側土塁の向こう側は水堀と細かな防御の仕組みが見られます。
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少し進んだ右側の土塁の上から見た本丸鉢巻石垣と内堀(現水無)と赤橋、右側は土塁に挟まれ東二の丸へ。
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同じ土塁の上から見た東二の丸と内堀(道路で切断)、右側が中の門です。
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本丸の鉢巻石垣、基本は断崖を利用、一部石垣を積んでありますね本城の特徴です。
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本丸と丸土張を綱赤橋。
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中の門から続く妙見神社の参道。
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妙見神社入口。
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妙見神社の親子杉樹齢600年の巨木ですね。
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妙見神社です、妙見曲輪の一部です。
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妙見神社脇から本丸にイザ登城です。
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一段上がると西二の丸があります、正面細い階段は本丸へ。
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西二の丸と本丸の間には空堀が構築されています、西二の丸の先には北の二の丸が輪郭です。
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本丸の登り口は横矢掛かりですね。
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登り口から見た東南の方向です、一部水堀が残っていますね。
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本丸後門跡です。
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相馬神社です。
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本丸です天守があり落雷で焼失。
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赤橋への登城口です、此方が大手ですね。
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赤橋です手前が丸土張(馬出)の曲輪です、右側は土塁に挟まれた道が内堀の脇へと在りますからね、しかし当時の面影を多く残したお城で感激しました。
此れで今回の東北城郭散策は終わりです、明日は雨雪?なので止めめました・・でも3日連続で結構疲れました。


2018年12月 8日 (土)

宮城県の仙台城址(青葉城)に行って来ました。

2018年12月05日(水)に宮城県の仙台城跡に行って来ました、伊達政宗が1601年関ケ原の戦いの後青葉山に城を築いた仙台と街名も変更、山頂には本丸と西の丸があり二の丸は東北大学の敷地、三の丸は仙台市博物館と広大な城です。
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本丸には建物がありません、此れは常磐線の亘理駅横の図書館だそうですが一応お城風なので・・・・・。
三の丸で降りなかったので、いきなり本丸の石垣です、以前来た時は石垣がハラミで修復中でしたね。
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立派な石垣が。
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本丸大手門です、戦災で焼失し今は・・・。
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本丸跡ですね、この右奥に護国神社がありますが、当時は西の丸とか。
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仙台城の全体図ですね、広瀬川を前にした山城です・・・・その後二の丸がお城の中心となったそうです。
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本丸から見た広瀬川と仙台市の街です。
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おなじみの伊達政宗の像です、実は先に福島の相馬中村城に行って来ました、明日は天気が悪いとの事で新庄・米沢は中止しました、以前山形城跡も雨に降られましたね、では。


青森県三戸城跡n行って来ました。

2018年12月04日(火)に青森県三戸城跡に行って来ました、あの九戸政実(二戸の九戸城)と戦った三戸南部氏の居城です、その後盛岡城に移った南部藩のお城です。
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三戸駅から町役場前で降りて三戸城跡にヤヤ不安な道でしたが、ご覧のような案内版があり山中へ。
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車で本丸跡まで登れますね、少し上ると三戸城跡と看板が。
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今一番左のUターンの先端です右側へ回り込み物見やぐら跡まで行きます。
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眼下に三戸の街がこの右端の馬淵川の橋を渡り、すぐ下あたりが町役場でしょうかネ。
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後ろが物見やぐら跡でこの階段を上り綱御門へイザ登城ですね。
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その前に階段を上り詰めると土塁が・・・石垣が見えますが多くはは崩れ落ちています。
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回り込むと綱御門が見えてきました・・・三戸城の表門です、平成元年のふるさと創生事業で作られたと。
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綱御門です。
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城内から見た綱御門。
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しばらく上りますが道の両サイドには重臣家臣の曲輪が存在しています、漸くお城が見えてきました。
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糠部神社の入り口です、お城は登って右側にありますが、この郭は重臣たちの住まいで、本丸は神社裏側で現在は公園で駐車場となっています。
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三戸城(模擬)です、やはりいいですね。
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角度を変えてのお城を如何です。
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糠部神社の境内には2本の巨木があります、サイカチの木・・・樹齢400年幹回り5・95M。
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三戸城は山頂・尾根部を段丘状態にし各郭へは家臣団が居たみたいですね。
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本丸跡です・・・現在は駐車場です、花見の時期は大変みたいですね。
三戸城は馬淵川の独立丘陵に南部晴信が築城、天正18年1590年秀吉の小田原征伐に時の南部信直も参戦し南部七郡を認められ領土安堵、その後南部滋直の代に1597年盛岡に築城し移ったのです、南部家の跡目問題等で天正19年1591年が九戸政実(二戸に九戸城)が反乱したのは有名ですネ。
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本丸の運動公園脇が当時の天守跡と説明があります。
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もう一度お城を。
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もう一つの巨木城山の大杉(御神木)です樹齢800年幹回り6・4Mです、お城以前よりこの地に。
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サイカチの木と額部神社・・大杉は燈籠のかげで枝しか見えませんね、この後三戸の駅まで歩き二戸の駅から新幹線で帰りました・・・昨日から秋田・青森・・・明日は相馬・仙台の城跡です。

2018年12月 7日 (金)

青森県八戸の根城跡に行って来ました。

2018年12月04日(火)に青森県八戸の根城城跡に行って来ました、馬淵川の脇の高台に築かれた中世のお城。
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この門は旧八戸城の東門です、根城とは関係ありませんが、根城の入り口ですね。
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東門の内側は空堀です、空堀左上が東善寺の館跡、建武元年1334年に南朝方の南部師行が築いたお城で糖部八森に築城し南朝方の根本となる城の意で根城。
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東門より本丸側を見る、本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里舘・捨て郭の六つの舘(曲輪・郭・丸・・・)からなる連格式。
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各館は空堀で区切られています、南部氏は陸奥・津軽に勢力を伸ばしますが、1338年(南朝延元3年・北朝暦応元年)北畠顕家・南部師行は足利尊氏討伐に北朝の高師直との戦いで敗北。
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中館から見た本丸、その後南部は八戸南部を名乗りますね。
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本丸土塁脇から見た本丸東門への木橋と空堀。
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本丸。
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本丸から見た中館方面、寛永4年1627年八戸南部家は遠野へ移り、お城は廃城。
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東門方向を見る。
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根城の碑と本丸を眺める、この後三戸城跡を見学します。

2018年12月 6日 (木)

秋田の久保田城跡に行って来ました。

2018年12月03日(月)に秋田の久保田城跡に行って来ました、佐竹氏20万石のお城です、佐竹氏は茨城を本拠として清和源氏の流れで源の頼朝・足利尊氏・新田義貞・武田信玄等のもとをたどれる名門中の名門ですね、慶長7年1602年関ケ原の戦い後に常陸からの国替えでこの秋田藩主になった佐竹義宣が築いたお城ですね。
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秋田の駅側ですが、川と高台を利用し築城した20万石のお城です。
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広小路の濠端を見ます、幅の広いお堀ですね、この城は石垣はありませんね、三の丸ですね。
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穴門から入り内堀横を松下門方面(奥左の坂上)へ進みます、右側は三の丸側です、左側は本丸側ですね。
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大坂を上れば松下門です。
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門を過ぎれば左側は本丸脇の帯曲輪へ、直進すれば二の丸方面へ。
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二の丸です。
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二の丸脇から本丸表門への階段となります、右奥が本丸表門です。
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二の丸奥の弥高神社です。
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本丸への裏門への上りです。
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裏門を上り本丸から見た二の丸にある胡月池です。
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帯曲輪門跡です、本丸端の虎口ですね。
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御隅櫓です、久保田城内には八つの御隅櫓があったそうですが此れは本丸の北西の角です。
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本丸です、奥に稲荷神社・八幡秋田神社があります。
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再び御隅櫓を木々が多く撮る場所が限られますね。
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少し離れて。
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本丸の下には帯曲輪が走り郭の後が見えますね。
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二つの帯曲輪が走り外側は水堀で囲まれたおしろですね。
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本丸一の門脇から見た胡月池ですね。
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本丸への入り口表門の一の門です、立派ですね。
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表門への上り階段です、よこの土塁上から見た所で両脇からの怖い防御性の構造ですね、奥上野木々の後が表門です。
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ここも本丸の一部です、佐竹氏の12代義尭公とか最後の藩主ですか。
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最後に城外から見た御隅櫓です、此れで本日の秋田は終わり日帰りです、明日は青森の八戸・三戸です。


秋田城跡に行って来ました。

2018年12月03日(月)に大人の休日倶楽部の15000円券で秋田に行き秋田城跡を見学しました。
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秋田駅からバスで20分位のヤヤ町中にありましたね、城郭としては古いもので、雄物川の脇の高台に設置された日本の古代城柵(朝廷の出先機関)です、なにせ、天平5年733年の昔に出羽の国から遷地された出羽柵(いではのき)、朝廷の支配域の北上拡大に伴いこの地高清水岡に設置された城柵・・・・よくわかりませんが。
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東門前から見た古代池方面です、昔も在った水洗トイレとか・・・・・・。
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東門と塀です・・・・塀は土塀・・・・法隆寺の壁形式ですね。
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東門脇です、大きく囲まれた城柵なのでしょう。
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東門から続く政庁(正面)への城内東大路です、政庁右手前に当時のイメージ模型がありました、その右奥は護国神社。
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政庁前の当時の模型復元、奥は護国神社。
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当時の建物跡。
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奥から見た政庁の門と屋敷跡です、朝廷の力を現地に示したのでしょうね。

2018年12月 4日 (火)

長野県諏訪の桑原城跡に行って来ました。

2018年11月29日(木)に上諏訪と茅野との間にある桑原城跡に行って来ました、甲州街道の四賀出張所バス停を起点に歩きました。
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四賀出張所バス停から上諏訪側に少し戻り自動車教習所脇へ・・・少し入ると山肌に桑原城跡の文字が見えます。
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足長神社前の道を山側に入ります・・・舗装道路・・・これは足長神社です、社は小さいですが立派なものですした。
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足長神社少し先に足長公園があります、この奥の方が城なのでしょうが、登城口はまだ先ですね。
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公園脇の方に汚れた地図が・・・・左側の道をもう少し上るのです。
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舗装道路の脇に標識がありますこの標識の右側の山道・・・車も道が悪いが入れますね、上に小さな駐車場もあります。
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こんな感じの登りが少し続きます。
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此処が駐車場の突き当りです、此処からはイザ山城に見参。
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本の少しで尾根に右側が桑原城本丸方面です、向こう側が桑原の城下側なのでしょう、左側は城山?の方みたいです。
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空堀の標識が見えます殆ど埋まっていました、此れから城内へ入ります。
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横矢掛かりのクネクネと折り返しの付いた山道を登ります。
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東の郭と標識がありました、右手前に首塚・右側は本郭の土塁です。
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本郭の土塁下を周り込みます。
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堀切により空堀で左側が二の郭右側が本郭です。
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本郭へ上ります、この桑原城は上諏訪の領主諏訪頼重が武田晴信に攻められ本城の上原城から逃れてきた諏訪家の支城なのです。
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趣のある小さな本郭です、天文11年1542年6-7月にかけて武田晴信(のちの信玄が)が妹の嫁ぎ先である諏訪惣領家である諏訪頼重と合戦し和睦しそののちに甲府の東光寺において切腹させたのです、その前年に親父の武田信虎を今川追放し長野への侵略を固めた第一歩の戦場なのです。
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小さな本郭ですからね・・・・・・なぜこのような城に・・・。
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此れが桑原城の縄張り図・・・・古いお城の形ですよね。
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本郭から見た東の郭と綱成る山。
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本郭全体と向こう側が二の郭方面です。
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二の郭です、小さなお城ですね、頼重には行く所が無かったのですね!。
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二の郭から見た本郭。
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二の郭全体です。
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二の郭の前に段々の腰曲輪が見えますね、草刈りをしていないのでよく見れませんが、正面は諏訪湖です、此れで今回の諏訪地区の見たい予定は見れました・・・・上原城も見たいですがね。


2018年12月 2日 (日)

長野県岡谷の花岡城跡に行って来ました。

2018年11月28日(木)に岡谷の花岡城跡に行って来ました、昨日の苗木城の帰りに寄よりたかたのですが暗くなり今朝にきました、この後下社秋宮・桑原城跡とまわり帰宅しました。
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岡谷駅から天龍川沿いに諏訪湖方面へ突き出した小丘が花岡城跡です。
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天龍川の端から下流を見た所です、中央高速ですね。
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逆側を見ると諏訪湖と天龍川へ流れ落ちる釜口水門です。
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水門少し手前から突き出した丘へ登ります、花岡城は諏訪湖と山・天竜川で伊那方面の抑えの地なのです。
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階段を上ると段丘状態が見受けられます。
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眼下に釜口水門が。
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次の所も段郭状態が本郭を囲むように広がります。
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もう一つ段郭があり本郭が奥にあります。
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本郭を回り込むように郭がありますね、この本郭向こう側にも二の郭がありますね、ここは二の郭もしくは三の郭・・・同じ高さで右側に腰曲輪がありそこからの景色です、天龍川と岡谷の街並みです。
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腰曲輪を回り込むと二の郭へ出ます、土塁もわずかにわかりますね。
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本郭から諏訪湖側を見ました、段郭に囲まれたお城です。
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本郭です、奥が少し盛り上がっていますね。
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先程は奥左側に来ました(腰曲輪?)、二の郭です、奥が本郭で間に空堀が多分あったのでしょうね?。
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此処は天文11年1542年武田の支配になり天文17年1548年小笠原長時が武田に大敗しこの地区一帯の抑えが不要になり本城は廃城となったそうです、二の丸にある石碑。
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二の郭から稲荷神社方角に下り振り返ります、左奥が本郭・右奥が二の郭です。
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丘の出っ張りにある稲荷神社です、昔は出郭でしょうね、街道を真下に抑えていたのでしょう。

2018年12月 1日 (土)

岐阜県中津川の苗木城跡に行って来ました。

2018年11月28日(水)に岐阜県中津川の苗木城跡に行って来ました、塩尻から特急で中津川まで1時間位駅からバス付知峡線で15分位で苗木バス停から歩きます(案内あり)(バスの本数は少ないですね)、駅に観光案内所があります。
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バス停からコマ地図のような案内板により城下町から山中へ。
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右側が苗木遠山資料館、城へは直進です。
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やがて駐車場が・・・縄張り図は此処だけです・・・・でも資料が置いてありますネ。
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これはCG処理した苗木城の復元図です。
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駐車場を過ぎてすぐの石垣、写真左側が足軽長屋跡、此処までくれば天守が見れますよ。
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自然石とまじり石垣が続きますね。
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天守が見えました、左側の道を進みます、下の道は工事用❓。
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風吹門跡の石垣と右側の石垣は大矢倉跡の石垣です、紅葉が終わり気味ですが残っていましたね。
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門を過ぎると三の丸広場ですね。
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三の丸の大矢倉脇から見た苗木城本丸です、備中松山城の石垣を思い浮かべましたね、自然石をそのまま利用していますね。
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三の丸の虎口の一つ馳門跡です、飛騨街道への降り口で四十八曲の降り口です。
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馳門です、下れば、木曽川の玉蔵橋方面へ。
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少し下り見ました、枡形構造の門で堅固ですね。
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馳門から見た大矢倉の石垣です見事なもんですね。
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そばにより見ました。
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大矢倉の石垣の上から見た三の丸とその後ろが二の丸方面で左が本丸ですね、逆光で・・・。
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再び大矢倉へここに三層の建物が、1階は石垣に囲まれた物置で二階・三階が部屋とか。
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此処は大矢倉裏の風吹門脇から上がった所で城山側からの雨水をためた池とか馬の飲み水ようとか、この左後が北門の虎口とか。
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三の丸橋から見た二の丸側です、こちら側にも石垣が、先程の道路が二の丸へ来ますが、多分大分違うのでしょうね?。
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三の丸端から見た苗木城本丸す自然石が多いですね、この大きな石の脇が大門跡です。
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本丸への登り口をジグザクと大岩の山肌を回り込みながら、この山は高森山と呼ぶらしいです。
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なおも大岩の山肌を回り込みますね。
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天守近くまで登りました、千石井戸で今でも水が湧き出るとか・・・・。
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千石井戸の左側は的場で天守側は自然石です、左側は木曽川です。
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天守まじかから見た大矢倉の石垣です、左脇方面から登城したのです、大矢倉後が城山で北門は右側に下るのです、手前右側が馳門側です。
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千石井戸を過ぎると天守の大石と展望台の木枠が見えます。
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脇から見た木曽川です、下は二の丸脇の帯曲輪ですね。
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漸く天守下まで来ました、本丸はまだ?・・・・。
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多分笠置矢倉から見た天守です、ひかりの感じがで写しやすいのです。
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本丸です、木曽川、中津川の市内、中山道(見えませんが)、恵那山、橋は玉蔵橋でバスでこの橋を渡り回り込んで苗木まで来たのです、馳門を下ると木曽川脇に出ます。
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本丸脇から見た天守です、此処に三層の建物がありやはり位階は岩の間で物置だとか、此処の城主は1万石の大名でお城持ちは此処だけとか、他は陣屋なのです。
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城主は遠山家で遠山家と聞けば岩村城を思い浮かべますが、やはり元は一つとか、岩村遠山家は織田・武田との戦いで最後は徳川が入りましたが、苗木遠山家は・・・・。
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此処は三の丸(正面)二の丸の石垣下です・・・後が二の丸側ですね、天正2年1574年武田勝頼に攻められ落城翌天正3年織田信忠が岩村城苗木城を落とす、その後遠山友忠・友政父子は徳川家康を頼り浜松へ・・・・慶長5年1600年関ケ原の戦いで苗木城を奪還し本土安堵とか。
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最後に見納めの苗木城を・・・復元図を見るとこの岩壁に張り付くように建物が建てられていましたね!。
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帰りのバス中玉蔵橋から見た苗木城高森山を・・・。

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