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2019年1月23日 (水)

西方城跡に行って来ました(後編)。

2019年1月21日(月)に東武金崎駅より西方城跡に行って来ました、今回はその続きです、西方城は宇都宮氏の居城で宇都宮景綱が築城・・・景綱の三男泰宗の次男景泰が初代城主で西方を名乗る、栃木側の皆川氏と対立し宇都宮氏側の前衛の城、1515年(永正12年)には皆川宗城との戦いで敗れ皆川氏となる、1585年(天正13年)には宇都宮国綱の時佐竹氏等の力をかり皆川広照を破り再び西方氏となる、その後1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原討伐に参戦し新領地をもらい西方城は廃棄となった・・・・・・山城の為遺構は良好に保存。
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西方城の縄張り図・・・右下長徳寺脇から上り右横から左側へ進み、二の丸まで来ました。
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二の丸からの眺望です、東武金崎駅方面です、もう少し右側には筑波山が良く見えます。
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二の丸です、左側が本丸方面です。
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二の丸と本丸は高い土塁で分けられています、向こう側が本丸。
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本丸への虎口です、奥が本丸。
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本丸の土塁の上から見た東側の下です、本丸脇の腰曲輪が見えますね。
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本丸です、山の山頂尾根の横幅が広くそれぞれが結構な広さを所有しているのです。
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本丸の南側の少し高い所にある八幡宮です。
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八幡宮まえから南側への虎口があります。
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虎口を降りると腰曲輪への道と本丸脇の堡塁状態の広場です、左正面が東・西・南の丸への出口で枡形構造で右側奥下が上がり路で横矢掛かりの構造ですね。
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今の説明での下の道を上から見た所です、上から狙い撃ちです。
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下の道、右上からの横矢が厳しのです,正面が三差路状態で、正面奥が空堀・土塁奥の南の丸、その手前右側に回り込むように西の丸方面の腰曲輪が本丸下を囲みますね、左側下りは水の手井戸・東の丸方面です。
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此処は東の丸方面、水の手井戸の下り口です。
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左側が南の丸側で右側奥が本丸脇の腰曲輪から西の丸方面です。
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西の丸?・・・ゴルフ場でしょうかネ、左側にイノシシを撮る柵がありました。
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土塁の向こう側が南の丸でその向こう側の一段下の広場が武者だまりとの説明が。
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いよいよ尾根筋を離れ下りに、水の手井戸へ。
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左奥が井戸で石が散乱していますが、現在は水は見られませんが、山の脇なので水が集まるのでしょうネ。
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土塁下から見た水の手井戸。
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なおも下り、林の分岐で、右側に降りると・・・・開けたゴルフ場でしょうか?、直進すると東の丸です。
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東の丸です、左側手前を行きました。
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少し有れた道を下ります。
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途中で山が見えました、二の丸の景色が良く見えた所でしょうかネ、本丸下を回り込んできました、最初の長徳寺から来たお城への分岐に出ます。
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帰りの日光女峰・赤薙です、雲がとれてよく見えました、・・・・このお城のすぐわきに二条城跡があるのです、当然行ったのですが東北自動車道のトンネルに柵があり違うと勘違いし、益々違う方向へ行ってしまいリタイヤしました残念でした・・・聞く人も辺りに人が通らずシダレ桜なんちゃらとか?・・・・疲れたし益々残念でした、山が見えたのが救いですかネ、それにしてもアホーだね。
でも素晴らしい山城に会えたので良かった、冬だけですからねこの手の山城は。
追伸 皆川氏は北条氏政・氏直に従い小田原城へ籠城、徳川家康に伝手を求め秀吉に許され、徳川の時代には栃木城へ・・・その後は・・・。

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