« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

2020年1月13日 (月)

唐沢山城跡(唐沢山神社)に行って来ました。

2020年1月9日(木)にハイキングをかねて唐沢山城跡に行って来ました、戦国時代に佐野氏が居城し、何度も戦いの場になりましたが防御性の高い山城です、江戸時代初期に山城禁止令で廃城・・・・佐野市市内に佐野城を築城移りました、現在は本丸跡に唐沢山神社ですね。

Dsc00000

田沼駅から上り唐沢山城の搦め手(裏側)の尾根に出ました、此処から北城へ向かいます。

Dsc00003_20200113093401

唐沢山城の全体図です、唐沢山山頂241mの本丸を中心に大規模な山城関東七名城ですね、右上から来ましたが、一度城内を抜け左側の方から順次説明しま。

Dsc00010

城内大手道前にある鏡石です、上杉謙信も攻めあぐんだ・・・・謙信が援軍で入城とか・・・地方の豪族は大変なのです。

Dsc00020

かっては櫓があったとか、大手門の喰い違い枡形虎口ですね。

Dsc00030

此処が喰い違い虎口・・・。

Dsc00036

喰い違い門虎口に入りましたね、正面が北側の天狗岩です、左側に曲がると枡形の広場大手道。

Dsc00040

喰い違い虎口を入ると、天狗岩の登り口が有ります、大きな岩場で見晴らしがよいのです。

Dsc00041

天狗岩の山頂です、物見櫓があったとか。

Dsc00045

山頂からの眺望です。

Dsc00052

此れも・・・日光連山・・左側が男体山ですね。

Dsc0060

喰い違い虎口の中から見た大手道・・・ここは枡形の広場、鳥居の左側手前が、大炊(おおい)の井です。

Dsc00070_20200113093401

大炊の井です、この城は本丸横にも車井戸がありますね。

Dsc00080

四つ目の堀(堀切で分断)に架かる神橋(昔は曳橋)ですね、大手道、左側が帯曲輪・三の丸・二の丸・本丸で大手道は回り込むようになります。

Dsc00082_20200113093401

大手道です、左側が帯曲輪・三の丸へ。

Dsc00085

大手道をそれて帯曲輪へ右側が三の丸へ上がる路です。

Dsc00090

三の丸です、正面が二の丸ですね、二の丸には右側から回り込みます。

Dsc00092

三の丸から回り込みます、左側が二の丸、右側が大手道・・・上からの横矢がかりですね、正面が本丸の高石垣8m。

Dsc00096

本丸下から見た高石垣、低い石垣辺りは南局、右側の先は現在の神社参道の登り口で向こう側が南城です。

左側奥が二の丸ですね。

Dsc00100

まず神社正面の参道の階段ですね、途中の踊り場が前の道ですね、右側に南城、左側二二の丸方面が有ります、昔は上の階段は此処には無かった?。

Dsc00250

唐沢山神社正面です、此処は南局です、奥の一段高い場所が本丸です。

Dsc00300

本丸跡にある、唐沢山神社ですね、祭神は藤原秀郷ですね、あの平将門を成敗した人です、左側(西側)は二の丸へ。
Dsc00535
二の丸です、その後ろ下が三の丸です、二の丸には土塁が奇麗に残っていますね。

Dsc00540

二の丸から見た本丸です、右側が高石垣側です。

Dsc00546

本丸脇の高石垣ですね。

Dsc00547

神社参道の階段上より、左側が南城です・・・この階段は昔は無い?。

Dsc00563

南城から見た富士山・・・・昔江戸が火事の時急いで駆け付けた話がありますね・・・・江戸を監視するのはけしからんで廃城になったとか?。

Dsc00566

南城西側石垣低いが趣がありますね。

Dsc00569

南城南側の石垣です、この石垣下は堀切で一つ目堀・・・四つの堀切が神橋まであります。

Dsc00800

搦め手側の本丸を取り囲む長門丸と金の丸の虎口・・・東側の尾根です。

Dsc00850

金の丸・杉曲輪・北城の右側(東)の尾根に架かる堀切による分断場所ですね、低山ですが、両サイドは急な崖に守られ本丸には石垣がある立派なお城でしたが、慶長12年1607年廃城、佐野城に移ったのです・・・・明治になり神社を建てたのですが遺構の保存状態は良いですね。

 

2020年1月 3日 (金)

世田谷城跡に行って来ました(豪徳寺・松陰神社)。

2020年1月2日(木)に世田谷城跡に行って来ました、小田急線で豪徳寺駅、豪徳寺・世田谷城跡・松陰神社と歩き世田谷線で松陰神社前駅から下高井戸駅へ。

Dsc00388

豪徳寺駅から世田谷線脇を豪徳寺へ。

Dsc00391

豪徳寺です、此処は彦根井伊家の所有地で歴代藩主六名の墓がある菩提寺なのです、招き猫でも有名ですね、世田谷を代表する古刹なのですね。

Dsc00412

大勢の方がお参りに来ていました、井伊家の墓は左側奥、招き猫の招福殿は正面の仏殿左側。

Dsc00411

仏殿です、三重塔もありました、このお寺も世田谷城のお城の一部とか?・・・・今でも広大な敷地のお寺で世田谷城跡も隣り合わせですから。

Dsc00417

豪徳寺をでて少し先に世田谷城跡公園があります、少しの高台に位置しますね。

Dsc00423

石積で覆われた公園です、土が流れない様土塁が覆われていますが、元の形状雰囲気が伝わる城跡です。

Dsc00426

世田谷城跡の端です、この奥に細長くあるのですが、奥の台地には入れません・・・多分豪徳寺方面に繋がっているのでしょう?。

Dsc00433

細かな丘(曲輪?)空堀で区切られていますね。

Dsc00434

上から見れば少し高い台地が解りますね、昔は川があり防御に適した台地なのでしょう。

Dsc00436

空堀が見えますね、此処は吉良氏のお城で清和源氏・足利氏の士族ですから鎌倉時代から勢力があり、上杉・太田道灌の与力で後に後北条に属していたのですね。

Dsc00437

今見ると空堀と物見櫓跡みたいに見えますね?。

Dsc00443

此処は空堀跡でしょうね、東京の世田谷に城跡が・・・・・うれしいですね。

Dsc00447

世田谷城跡から道を聞きながら歩いてきました、松陰神社です、祭神は長州藩士吉田寅次郎藤原矩方の命・・・吉田松陰です。

Dsc00451

沢山の方がお参りに、松陰は幕末の思想家教育者で私塾松下村塾を主宰安政の大獄に連座し刑死30歳でした。

Dsc00461

神社横手にあるお墓です、刑死四年後、文久三年1863年(京都で新選組がデビュー)に門下生高杉晋作・伊藤博文等により当時長州藩の所領のこの地に改葬。

Dsc00462

幕末の志士の名が見られますね。

Dsc00465

萩で見た?、松下村塾が再現されて神社横にありました、”身はたとひ武蔵の野辺にくちぬとも留め置かまし大和魂”・・・。

 

 

« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ