2017年4月14日 (金)

小机城跡に行って来ました。

2017年4月13日(木)に横浜の小机城跡に行って来ました、以前茅ヶ崎城跡に行ったのですが時間が足らず行きそこなった城跡です、続日本100名城に選出されビックリしましたが見に行きました・・・武蔵松山城が選出されなかったのにはガッカリしましたが!。

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横浜線小机駅まえから見える小高い丘陵です、右側から裏手にかけて鶴見川が流れて居ます、小机城は長尾景春の乱で大田道灌が攻撃していますね、後に後北条の小机衆が治めていますね・・・・しかし豊臣秀吉との戦乱は無かったみたいですね(殆ど小田原城籠城ですかね)。

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縄張り図です、駅から線路沿いを根古屋へそこから本丸(西郭)横の帯曲輪へ入り、右側へ回り込み櫓台から本丸へ・・・・・。

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この丘全体が今ではタケノコ山ですね、此れからが楽しみの時期です・・、根古屋から奥を見上げました。

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登り詰めると帯曲輪が本丸を囲み本丸との間が空堀です、左側が根古屋、空堀の右側が本丸(西郭)、正面は土橋で本丸入り口(冠木門があり)へ続きます。

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私は本丸側と逆側へ進みます。

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本丸との間の空堀です。

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此処は本丸を囲む帯曲輪の終点の櫓台?ですかね。

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帯曲輪を下り回り込みます、右側上が二の丸(東郭)側で二の丸下の腰曲輪が右下にあり、左側が本丸前衛の帯曲輪の土塁。

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階段を上がると右側が露台跡と二の丸(東郭)側です・・・こちらは本丸後に来ますネ。

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此処が本丸と二の丸の間の帯曲輪の入り口で櫓台が左側に在ったのでしょう、今は左側から上がりました、右側も見事な空堀です。

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入口を登った所です、櫓台で本丸と二の丸の間にある帯曲輪です。

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帯曲輪の土橋を渡ると本丸です。

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帯曲輪の端から見た先程の根古屋から北帯郭が眼下に見えますね。

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本丸を抜けて外側から見た冠木門です、土塁・空堀・土橋の奥に門です。

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本丸を抜けて二の丸へこのお城は山内・扇谷上杉時代と後北条時代のお城が重なり本丸が微妙なようですね。

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二の丸上から見た空堀です・・・見事な空堀ですね・・・後北条の土木でしょうね。

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此処は第三京浜道路で分断された富士仙元(浅間)台です。

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富士仙元の碑がある櫓台でしょうね。

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そこの脇から見た鶴見川方面です、左後方面が小机城跡です。






















お台場に行って来ました(第三台場)。

2017年4月13日(水)天気が良いので小机城跡とお台場の第三台場(砲台跡地)に行って来ました、幕末の要塞・・・・・台場も城の一種なのですね(続日本100名城で知りました)。

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新橋から”ユリカモメ”で「お台場海浜公園」駅へここから歩いて10分ぐらいで海辺です、レインボーブリッジの脇に広がるのが第三台場公園です、右側から歩いていけます。

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海脇の砂浜を回り込み台場へつながる道です、奥が第三台場公園です。

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この階段を上ると第三台場です、昔は海に囲まれていました、2017年4月6日に続日本100名城にあがりました・・・品川台場は幕末ペリーの黒船(1853年)来航で大騒ぎになり翌年までに急いで作ったもので未完成を含み9要塞だそうですが、今は2個(第六台場・・・立入禁止)のみと説明に在りました。

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此れが台場の縄張り図です、四角(菱型)で周りが土塁で中が窪地です、左下が船着き場ですね、設計者は伊豆韮山の代官江川太郎左衛門です。

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中を覗いた風景です、真ん中に陣屋があり土塁に囲まれた窪地です・・・・土塁は敵船からの砲弾を吸収しますからね。

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土塁上から海浜公園を見た所1です、奇麗な所ですね。

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同じく景色2です。

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レプリカの砲台跡です、後側にレインボーブリッジがみえますね。

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砲台の先に見えるのが、鳥の島(旧防波堤・・・立入禁止)です。

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レインボーブリッジの左側が第六台場です(立入禁止)100名城ですよ・・・。

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後側に史跡の碑が在りました。

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史跡脇に船着き場が・・・陣屋への補給が必要ですからね。

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船着き場うえの土塁から見たところです。

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土塁を利用した弾薬庫です・・・・そうそう、レインボーブリッジの遊歩道を歩くと第六台場も上から覗ける見たいです・・・花粉で鼻水が止まらず見ませんでしたが機会が在れば歩いてみたいものですね。












2017年4月 8日 (土)

近所に行って来ました(桜の名所)。

2017年4月8日(土)に近所の桜の名所?に行って来ました、天気は朝の内は雨でその後もどんよりとしていましたが、自転車で見て回りました、昨日は大宮の氷川神社でスッケチしたのですがカメラを忘れて写真がと撮れませんでした残念です。

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伊奈町小室無線山の桜です、桜の木が大きく素晴らしいと思いますね、下の方まで枝が伸び花も沢山つきますね。

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本当に良い桜の木ですよ。

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枝が覆い被さるように見てください。

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KKDIの無線局に植えられた桜が何10年も経っていますが樹勢が強いですね、隣にガンセンター・日本薬科大学等に囲まれた良い所です。

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伊奈町の綾瀬川沿いの桜ですカラシナですかネ良く会いますね。

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桜・カヤ?・カラシナ?が益々絵になりますね?。

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ここの桜も結構なものですネ。

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蓮田市の元荒川沿いの桜です。

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元荒川の両脇に咲き誇っていました。

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水に映る桜如何でしょうか?。








2017年4月 7日 (金)

甲府に行って来ました(甲府城)。

2017年4月4日((火)に要害山城跡・武田神社・甲府城に行って来ました、電動自転車で回ったので以外と楽に回れました、甲府城は甲府駅を含む中央線で分割されていますが、武田神社と合わせて日本100名城ですね。

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この地図の下側が中央線で山手渡櫓門も復元されています、本城は元々対徳川用に豊臣政権の拠点として作られました、羽柴秀勝・五奉行の浅野長政で慶長5年(1600年)ですが関ケ原の戦い後は徳川一門が抑えました・・・・・・・何のことやら。

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此れが山手渡櫓門です、向こう後に見えるのが稲荷櫓ですね、歴代の徳川一門凄いですよ・・義直(家康の九男)、忠長(秀忠の三男)、綱重(家光の三男)、綱豊(6代の家宣)、この後は甲斐源氏武田一門の柳沢吉保・吉里です、吉保は館林藩の家来でしたが5代綱吉の下で大老まで上り詰めましたね(川越藩・大和郡山藩)。

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同じ場所から見た天守台の石垣です、手前が中央線で稲荷曲輪の石垣・本丸の石垣です。

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内松陰門です。

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内松陰門から見た内側の石垣です、この門内は二の丸ですね、ここは枡形構造です。

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内松陰門内を本丸への石段踊り場から見たところです、枡形構造です、美しいですね。

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石段を登ると本丸で奥が天守台の石垣です、天守は内側建物下から入る構造ですね。

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本丸の虎口である鉄門です、これも渡り櫓門ですね。

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鉄門から見た天守曲輪ですね。

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鉄門脇の石垣上から見た鍛冶曲輪・堀・甲府の街並みと富士山です。

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反対側から見た稲荷曲輪と稲荷櫓です。

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最後に稲荷櫓をアップで如何ですか?、これで青春18切符も使い切りました、次はどこかな?。








2017年4月 6日 (木)

甲府に行って来ました(要害山城跡)。

2017年4月4日(火)に武田氏の詰め城である要害山城跡に行って来ました、青春18切符の最後で三春の滝桜を見に行く予定でしたがまだ咲いていないのと天気が崩れ?そうなので此処に切り替えました、バスの時間が無いので駅前からレンタルサイクルで出かけました、電動アシストなので登り坂でも楽に行けました。

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此れが武田神社裏側の詰め城要害山(正面の山770m)城跡です、武田氏館の翌年永正18年(1520年)構築の山城ですね・・・館とセットです、武田信虎恐るべきですね、山の下が根古屋地区で城番が置かれているそうですね。

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温泉地区でもありますが(信玄の隠し湯・・・彼方こちらにありますが)此処が左側裏手側の登場口です(要害温泉)。

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お城の縄張り図です、下側が登り口、右側下が根古屋地区です、山の両サイドは急ですね、山道の半ばまではジグザクの上りでそこから先は曲輪群が折り重なるように構築し横に回り込めないように竪堀が彫られていますね、山頂の主郭は細長く結構な広場で裏側にも堀切・竪堀で絞り込んだ防御です。

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ジグザグの山道を行くと南アルプスの白根三山?、ですか見えてきます、甲府の街も見えるのですが木々が邪魔して奇麗には見えず。

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山道途中に竪堀・土塁のカンバンが、山道正面に土塁が下側を回り込めないように竪堀が彫られているのです。

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登り坂も切り落としてあり沢山の人が同時に上がれないよう工夫されていますね。

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此れは枡形構造の防御ですね、両サイドに門塀があり廻は土塁での曲輪正面は一段と高い土塁で、右側に進むのですが右側にも門が在りますね、袋のネズミです、このような曲輪が繰り返しあるのです。

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不動曲輪です、武田不動尊が祭られているので跡から命名された曲輪だそうです。

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不動曲輪の反対側方面の井戸曲輪?ですね。

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水神・諏訪水(古井戸)です・・・小さな井戸ですが今でも水がありましたね。

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井戸曲輪の奥側から見た所ですが、下側にも腰曲輪らしきものがあり脇から下への援軍が送り込めるように見て取れました。

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此処は石の門塀で枡形構造(正面土塁でせき止め)、左右からの攻撃です。

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ここも似たような門塀ですが方がわへの落とし込みですかね。

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正面上からの土塁上から見た下側の景色です、上からの攻撃を掻い潜り攻めるのがいかに大変かわかりますね。

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此処が最後です主郭への門跡です。

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上がりこむとそこが主郭です、右側は土塁です、奥行きが結構ありますね。

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信玄公誕生の地の石碑と山梨100名山要害山の案内です、今川軍に攻められこの城に避難していた信虎夫人がここで信玄を生んだそうです、今川の大軍を信虎は破り戦国大名に名乗り出たのです。

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主郭の搦め手門です、土塁も今に残っていますね。

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裏手の門を出ると石積の残る堀切とつながる縦堀です。

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狭い尾根筋に建て堀を設け沢山の人が同時に通れないよう、此方は高みから敵兵を抑えるのです。

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攻める側から見た堀切と縦堀と正面の土塁です、正面の土塁上からこの細い道から攻めるのは容易ではないのがわかりますね、素晴らしい防御システムですね、でも勝頼は織田の大軍の前にはこの規模の城では無理と判断し新府に城を築いたのですが・・・・・負け戦となると人が集まらないのですね。

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これは根古屋地区に残るお寺さんです、後の山が要害山です、素晴らしい山城ででしたね、この後甲府城に行き帰ります。



















甲府に行って来ました(躑躅ケ崎館(武田神社))。

2017年4月4日(火)に甲府の要害山城に行きましたが、躑躅ケ崎館跡(武田神社)にも行きました、まず武田氏館跡から。

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甲府駅北側にある武田神社です、甲斐の守護であった武田氏の館跡です、武田信虎・晴信(信玄)・勝頼三代の館でその後甲府城が出来るまでは政治の中心地でした。
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武田神社の左側にある、西の郭です、館は土塁と堀に囲まれた長方形の連郭式平城で藤川・相川に囲まれたところです、永正16年(1519年)武田信虎が築いた城です、この館の後の山(要害山)に詰めの城(山城・・・要害山城席があります)。

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西郭と東郭本郭は土橋で繋がっています・・・右側が神社です。

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西郭の南側の虎口です、土塁で囲み込んでいます。

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西郭です、二段階で奥が高くなっていますね、正面奥が北側の虎口です。

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北側の虎口です、石積と土塁ですが、枡形構造の虎口です。

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武田神社です、今は神社の正面が入り口ですが、右側が大手門口です。

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神社から少し離れた所に武田信玄公の御墓所があります、53歳で亡くなりました天正元年(1573年)です、京に行く途中ですネ、しばらくは喪を隠しましたその後の墓です。

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此方は円光院にある信玄の奥さんである三条夫人の墓です、京都公家の娘で姉は細川晴元・妹は本願寺光佐(蓮如)とそれぞれ名門に嫁いでいますね50歳で亡くなりましたね、信玄とは同い年とか。



2017年4月 5日 (水)

大宮公園に行って来ました(花見です)。

2017年4月3日(月)に大宮公園に行って来ました、いきがい大学のクラス会での花見です。

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12時開始なので大宮公園駅側から行きましたが、途中できれいな花に会い思わずパチリ。

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池の端を回りながら。

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宴会場傍で探すのに・・・何時もの場所です?、平日ですが結構人も沢山出ていますからね。

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此処は上野公園と違い広いので場所を撮るのには平日であれば撮れますヨ。

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此れは南京タマスダレを行っていました、三人で色違いの衣装も決めていました・・お酒を飲んでいたので撮るのが遅くなり、スダレが・・・・。

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まあ、天気に恵まれ、花にも恵まれ、幹事さんはじめ皆さまに感謝です、昼間から気持ちよく酔えました。




2017年3月28日 (火)

蓮田市の慶福寺に行って来ました(エドヒガンザクラの枝垂れ)。

2017年3月27日(月)夜、慶福寺のエドヒガンザクラが満開との事で急遽見に行って来ました、昼過ぎまで雨が降っていましたが、夕方から晴れ間が・・・・やや寒かったですが。

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平日で昼間雨でしたが、他に2名程写真を撮っている方がいましたね?。

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ほぼ満開?ですかね、まだ開ききっていないですか?、まだまだ雨でも散りませんね。

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枝垂れの枝が刈られたのでしょうか?、余り垂れていませんネ。

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如何でしょうか、ライトアップされた桜・・・幽玄の闇に溶け込みます・・・(何のことか?)。






2017年3月26日 (日)

笠間に行って来ました(笠間稲荷・笠間城跡)。

2017年3月25日(土)天気が良いとの事で笠間(笠間稲荷・笠間城跡)に行って来ました。

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笠間駅から見た佐伯山(標高182m)です、笠間城のあるお城山です、意外と厳しい山ですよ。

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観光案内所で情報を入手駅前の通り真っ直ぐで笠間稲荷神社へ、そこから横方面で城山を目指します。

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笠間稲荷神社です、朝から人がお参りに来ていました。

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神社裏手から本殿を見ました、見事な彫り物に飾られた本殿ですよ。

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笠間城跡はお城山と呼ばれる佐伯山(182m)にあります、ツツジ園との間の道路(坂本九歌碑がありました)を上がり大手門跡から入城、此れは中門?・二の門跡ですかね、新しい道路と旧の道とが交差し削られたり・・・。

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此れは本丸への玄関門跡ですね、大手橋・大手門・中門・二の門・玄関門=>本丸となります。

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本丸です、山城なのですが結構広いのです。

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本丸奥に土塁があります、土塁の上に八幡台櫓跡とあります、天守はこの脇左側奥です。

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今の城域は1598年(慶長3年)蒲生郷成が3万石で入城し整備、その後城主が変わり、牧野8万石で落ち着いたそうです。

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八幡台櫓跡です。

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八幡台櫓横の奥本丸脇からが天守への入り口です、木橋でもあったのですかネ?、向こう側には天守門ですね。

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天守への登り口です、此処が天守門跡ですね、横の巨木(スダジイ)は皮だけで支えています、中は全くの空洞でした。

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天守の石垣です、大地震で一部石垣が崩壊したのです・・・・修復は?。

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石階段を上り詰めました階段脇の石垣が崩れたのです・・・左側は大丈夫です力のかかる方向ですね。

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石垣の上に上ります、やはり一部石垣が崩れていますね。

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山頂の神社の社の石垣・壁が崩れていますね、昔は此処に二層の天守がそびえていたそうです。

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山は低いですが天然の地形を巧みに利用した山城です、搦め手から下山山麓の広場には武家屋敷跡が在りました、城跡の遺構が沢山あり感動しました。












2017年3月 5日 (日)

伊奈氏屋敷跡に行って来ました(伊奈町)。

2017年2月28日(火)に近所の伊奈氏の屋敷跡に行って来ました、此れまでも何回となく見てきましたが・・・・陣屋跡ですが、その前のお城跡が色濃く残っていると私は思っていますが。

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伊奈町にある屋敷の航空写真です、東西350m南北750mの楕円形で丘陵地帯で周り全てが沼・湿地帯です。

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航空写真と合わせた縄張り図で説明します、原市沼・原市沼川(伊奈町・上尾市の境目)・大宮上尾支台の丘陵地隙間の低地の湿地帯に囲まれています、現在は原市沼の上を新幹線(ニューシャトル)が走り沼の面影が薄れていますが低地はそのままですね。

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表門の写真Aのところですね、木々の前は時々枯れますが池(堀)ですね、入り口は左側に回り込みます。

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上の写真の右側を回り込んで藪の中を見ると明らかに堀と土塁で囲まれていますネ。

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入口から少し入ると二の丸です、奥の家の向こう側に二の丸と正丸(本丸)を分ける土塁が在りますね。

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此れが二の丸側から見た土塁です。

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二の丸から本丸側に入り見た土塁です。

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本丸の端の方ですね左側が原市沼側です、奥が新幹線で林の中に頭殿権現社があります。

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沼がわから見た頭殿権現社です、沼に沿って土塁が見て取れます。

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丘を堀切のように切り裂いてあるのがわかりますね。

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屋敷内の道路を掘り下げ土塁の周りを回り込める仕組みが見えます。

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此れは二の丸側の広場脇の土塁ですね、右側を降りると湿地帯へ出ますね。

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少し下がり振り返ると空堀が見て撮れますね、右側は二の丸側ですね。

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湿地帯まで居りました、今は余り水気が在りませんが、かなりの低地なので当時は簡単には入りないと思いますが?。

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写真Bの裏門側です、やはり低地ですよね、右側のやはり空堀が見えますね。

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此れが空堀と土塁です、私はこちら側が当時の裏口がわかな?とか思えますが?。

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裏側出口の右側広場・・・障子堀(北条氏の築城方法)が有る場所です、右側が上の写真の空堀が有る場所ですね、その先から向こう側の高台に橋を架け裏口にするのが素直かな??。この下は原市沼が脇まで水を称えていたかも?、いずれにしても伊奈氏の屋敷前には北条氏の川越城・太田氏岩槻城とのつなぎの伊奈城跡ですね、重なるから難しいですね。













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