2016年6月11日 (土)

安土城跡に行って来ました。

2016年6月7日(火)に安土城跡に行って来ました、本日の天気予報では午後からは雨なのでやはり早目にでて安土駅前で自転車を借りました、安土城・観音寺城・近江八幡で豊臣秀次の居城八幡山城を予定。
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織田信長が天下統一目前に建てた安土城です琵琶湖の畔・・・・今は湖が遠ざかっていますが当時は三方が湖ですね。
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安土城の縄張り図です、当時の革命的お城ですね、でもお寺摠見寺が同居したお城とは知りませんでした。
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大手門の石垣跡です、ここ安土城は石垣の山ですね。
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大手道入り口から山に向かい石段の道が伸びています、両サイドに各家来の屋敷があります。
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左側が羽柴秀吉の屋敷と言われています。
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秀吉の屋敷は二段に渡り在ります。
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なおも上ると左側に曲がりながらなをも上ります。
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曲がり角から下を見ました・・・・・。
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平らな所で分岐しています正面がお城、左側がお寺の方向です。
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黒金門が見えてきました、奥が二の丸の方です。
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門の正面が二の丸の石垣で右へ回り込みます。
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石段の途中に仏足石が置いてありました、集めた石の中に墓石仏像やらが混ざっているのです。
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石段を上ると左側が二の丸への階段正面は枡形広場で碑がありました。
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二の丸ですね。
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奥に織田信長本廟があります。
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本丸跡ですね。
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本丸跡から天主の石垣と登り口。
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天主への登り階段。
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天主です、此処が地下1階で周りの石垣が天主1階だそうです、今は崩れて低くなっているとの事、ここに5層7階のお城があり、織田信長の居住地とのこと。
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石垣の上から天主跡を見る・・・五角系どか。
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摠見寺跡と三重塔です、琵琶湖が眼下に見えますね。
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同じく摠見寺山門です、途中で雨が激しく振り出し、観音寺城へと急いだのですが観音寺城も山城で桑実寺の山門で雨の止むのを待ったのですが、靴の中まで濡れたので断念しホテルに帰りました、残念無念です。

彦根城に行って来ました。

2016年6月6日(月)本日最後に借りた自転車で佐和山城から彦根城に行って来ました、彦根城の中堀をぐるりと自転車で見た後に内堀を回り、大手門橋近辺を見佐和山口表御門橋から城内へ、黒御門跡から玄宮園と見学しました。
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彦根城の縄張りです、琵琶湖を背景に内堀・中堀と二重の水堀が現存した国宝の現存天守です、右側に玄宮園楽々園の御庭もあります。
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外堀の周りを自転車で回りました、佐和山口・京極口・船町口と中堀側に入る道路があります、。昔は武家屋敷で現行は役所・学校です。
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中堀から見た彦根城天守です。
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此れは内堀です、石垣の高さが異なりますね。
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これは内堀と中堀が交差する山崎曲輪の山崎御門跡です、冠木門で情緒がありました。
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大手御門跡です、お城の横河ですね、向こう側は黒御門跡、駅正面がわが佐和山口の表御門跡です。
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彦根城縄張り図、上の橋は下側です。
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橋を渡り城内の石垣を見ました、石垣の上の石垣が登り石垣です・・・横に回り込めない仕組みで中国韓国様式です、伊予の松山城でも見られる数少ない石垣です。
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表御門跡です正面入り口ですね。
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橋を渡り右側から急な階段を上ります、大切岸で左側は鐘の丸、右側下は表御殿跡です。
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坂を上ると大堀切で掛橋が掛けてあります、先程の大手御門から登ると向こう側へ出ます。
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橋をくぐり回り込むようにすすみます。
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橋の向こう側が天秤櫓です、左右同型なのでこう呼ばれます、長浜城大手門を移築したとか。
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少し進むと太鼓門と続櫓があり、ようやく本丸へとなります。
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5国宝一つの彦根城天守で現存天守12個の一つです、これも大津城からの移築とか。
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木の関係?で付櫓・多門櫓が見えずですね。
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左側に回り込みます。
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ほぼ横に回り込みました。
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本丸広場から見た琵琶湖がわです。
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なをも回り込み本丸から西の丸へ出ました。
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西の丸の端にある、三重櫓と続櫓です。
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西の丸から見た彦根城天守です、左側が附櫓です、高い石垣・入母屋破風・高欄廻縁・唐破風・切妻破風でお城らしいですね。
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天守最上段から見た琵琶湖と西の丸の三重櫓です。
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黒御門側の急峻な石垣と井戸曲輪。
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お城脇の大名回遊式庭園、玄宮園の魚躍沼と鶴鳴渚・鑑月峯です。
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同じく玄宮園の臨池閣です。
彦根城は明日の予定でしたが、明日は天気が悪い予報なので無理して回りましたので疲れました、明日は安土城・観音寺城・八幡山城を出来れば回りたいでえすね。

2016年6月10日 (金)

佐和山城跡に行って来ました。

2016年6月6日(月)に琵琶湖東側周辺のお城巡りをしました、明日は雨模様の為出来るだけ沢山回る予定です、長浜城・小谷城に行きJR北陸線の河毛駅から此処彦根駅に再びレンタル自転車を借りて佐和山城跡の裏って側龍潭寺へ行き、佐和山城跡に行って来ました。
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図の上の方から切通し・西の丸・本丸・千貫井・隅石垣周辺を見てきます。
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龍潭寺の門から境内脇の墓地を抜けて急な山道へ入ります。
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佐和山城主石田三成の像です、関ケ原で敗れこの城も落城したのです、三成に過ぎた・・・島左近と佐和山の城と言われたのがこの城です。
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墓地脇の急坂を上ると尾根にぶつかります、右側へ進みます。
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なおも上ると塩硝櫓入り口の西の丸跡へ出ます、三段に分かれた曲輪です。
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二段目の西の丸広場です。
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三段目の西の丸広場の案内図でこの左側脇の方に二の丸・三の丸があるみたいです、本丸へは正面の脇を上ります。
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本丸への虎口です。
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本丸の碑です。
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本丸広場です。
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本丸脇から彦根城が良く見えますね。
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千貫井・石垣方面です。
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本丸の土塁に隅石垣が二個残っていました・・・・此処は落城後佐和山城を破却し彦根城築城にリサイクルしたのです・・・・小谷城・長浜城からも移築したみたいです。
城郭の遺構が少ないのは残念ですが山中なので雰囲気は伝わりました、今日は疲れましたが彦根城が待っています。

小谷城跡に行って来ました。

2016年6月6日(月)に浅井三代・浅井三姉妹の小谷城跡に行って来ました、JR北陸本線の河毛駅より駅のレンタル自転車で城址を見学、うれしいことに朝早くからオープンしかも見所まで説明を受け行く前からワクワクします。
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小谷山は西尾根(朝倉軍の曲輪)・東尾根(浅井軍の曲輪)真ん中の清水谷が浅井家の居住地からなっています東尾根を見学。
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河毛駅方面から見た浅井軍と織田軍(虎御前山)の配置図で直線で500m4年間の戦いの場所です、駅の案内の方に頂きました。
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駅から城に行く途中の小谷城跡です、東尾根は向こう側のヤヤ平坦な尾根沿いですネ。
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追手道入り口から山中に入ります、急な登り口が続きます・・・・結構な登りですよ。
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金吾丸跡にでました・・・昔佐々木六角との戦いで、朝倉方が味方して作った曲輪、この時の恩が朝倉にあり信長との同盟破棄に繋がりますね。
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金吾丸跡を下ると番所跡~山王丸跡までが連続した山城の縄張りとなります。
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番所跡・・・小谷城の入り口で昔は石垣での構えとか・・・・長浜築城で持っていかれたとか。
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番所から清水谷・・・・織田軍がいる虎御前山が目の前に対峙しています。
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脇の道(横矢がかり)を上ると御茶屋跡・御馬屋があります、此処は水がありました。
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図は下の方が御旅屋跡・真ん中が御馬屋・上が桜馬場で突き当りに黒金門になります。
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右が桜馬場方面で正面が黒金門跡です。
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桜馬場で横に2段で織田軍の見晴らし拠点とか。
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黒金門を上がると井戸があり大広間最大の曲輪です・・・・此処で徳川秀忠夫人お江が生まれたとか。
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大広間の奥が本丸(鐘の丸)天守。
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天守です。
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天守の裏側が大堀切で中丸と区分けされています。
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本丸を回り込み、大堀切から登ると中の丸跡へと出ます、三段の広場からなり石垣で構築してありました・・・石垣は殆ど長浜築城で持っていかれたみたいです。
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中の丸の図です。
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さらに上に京極丸・小丸(浅井久政)と続きます、この京極丸に羽柴秀吉軍が清水谷から急峻な崖を夜襲で上り本丸と小丸を分断落城となりました。
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小丸跡です、浅井久政が自刃、ちなみに浅井長政は黒金門よこの赤尾屋敷にて天正元年(1573)9月1日に自刃・・・・ここに浅井家は滅亡・・・・女子がしっかりと生き延びました。
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いよいよ標高400mに位置する山王丸入り口です、小谷城の詰め丸、石垣で固めた虎口を二重に備えた作りです、今も右側の脇に5mの石垣が現存します。
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此れが現存の石垣です・・・秀吉軍が見落とした????。
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山王丸跡です、此れを過ぎて下ると六坊・月所丸・・・清水谷への下りと大嶽(おおづく)への登りとなります。
この後、佐和山城・彦根城を見たいので虎御前山には行かず下山しました、素晴らしい山城ですこの辺り戦国絵巻の遺構が沢山ありますネ。

2016年6月 9日 (木)

草津・長浜城跡に行って来ました。

2016年6月5日(日)から8日(水)にかけて滋賀県琵琶湖周辺を巡ってきました、まず草津・長浜城跡に行って来ました。
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滋賀県の草津に3泊しそこを拠点に琵琶湖周辺のお城を巡りました、草津は東海道と中山道の合流地点です、、この角が合流点トンネルが中山道でトンネルの上は草津川の天井川(平地より川が上を流れて居ます、右側と手前が東海道です。
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角に碑があり、右東海道・左中山道とあります。
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トンネル側から見た左側と正面がわが東海道です。
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東海道にある本陣です、皇女和宮も休まれたとか、新選組土方歳三も慶応元年に泊まったとありました。
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東海道の突き当りにある立木神社です。
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6日(月)朝早く、長浜に行きました、羽柴秀吉の長浜城をまず見に行きました。
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長浜駅前を琵琶湖がわに行きます、豊国公園内にある長浜城です、模擬天守ですね、朝が早いので中に入れず城の周りから見てきました。
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城を右回りに見ます、まず駅前正面から。
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少し右側へ。
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琵琶湖です、こちら側は木が多く城が見えませんでした、太閤井戸が水の中にありました。
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それでも回り込み横から見た所です。
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本丸の広場脇から見た所です、織田信長の家来で浅井長政を滅ぼし12万石の城持ちを許されここに城を築いたのです・・・・・此れからJR河毛まで行、小谷城・彦根に戻り、佐和山城・彦根城を見ます、長い1日となります。

2016年5月19日 (木)

真田丸三城址に行って来ました(沼田城址・名胡桃城址・岩櫃城址)。

2016年5月18日(水)に群馬の真田丸三城址に行って来ました(沼田城址・名胡桃城址・岩櫃城址)、昨日の雨が嘘のように晴れ渡り絶好のお城巡りとなりました、幹事さん及び皆さんに感謝です。
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まず、河岸段丘の崖に三方を囲まれた沼田城址、此れは幕府に提出した沼田城の縄張り図です、当時は5重の天守で関東では江戸城と2つのみのお城だそうです、真田家の分領でしたが、5代目信澄で改易城は壊しました。
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沼田公園で本丸です、正面小高い所が天守の場所。
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乾櫓の石垣です、土に埋もれていたのを発掘したもので当時の面影を残す遺構です。
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段丘はずれの古城跡(捨曲輪)。
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捨曲輪から見た谷川岳連峰、左側の方面に名胡桃城が見えるのです(この写真のもう少し左?)4km位こか。
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名胡桃城址(なぐるみ)です、豊臣が出した惣無事令に北条の沼田城代(氏邦)猪俣何某が違反し落城したお城です、此れがもとで小田原征伐の口実が出来たのです、それでこの小さな城が有名なのです。
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三の丸から見た二の丸です、空堀で分けられています。
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三の丸と二の丸の空堀です、両サイドは沢で切り立つような崖です。
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二の丸です、奥が土塁でその奥が本丸ですがやはり空堀・橋で引きられていますね。
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土塁を入り本丸側を見た所です。
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本丸跡です、見事な碑ですね(徳富蘇峰)。
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本丸の先もやはり堀越で分かれたささ曲輪となります。
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利根川に突き出た段丘を利用した山城です、此方からも沼田城方面が右側の山にかかるかぐらいで見えるのです、対岸の山中腹には敵の明徳寺城がありますね。
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中之条親都神社の大ケヤキ樹齢700年幹回り6・7mと在りました、真ん中の幹が枯れて上に屋根が乗っています中は空洞化しているのでしょうね・・・・群馬県内で第二位と在りました・・・・第一位も近くの原町に在ったのですが気が付きませんでした・・・・残念無念です。
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霊山嵩山の男岩から鯉のぼりが・・・・・この山の山頂付近にも山城があるのです、今回はいけませんが。
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岩櫃山を背景にある岩櫃山の縄張り図です、武田勝頼が織田軍に攻められた時昌幸が進めた城が此処です、勝頼はその後譜代の小山田信茂が進める岩殿山城を選択し裏切られ天目山で最期を遂げるのです。
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見事な縦堀(私は横に見えましたが)あります。
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本丸への細く急な道が続きます。
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左側開け、右側に切岸の土塁に出ます・・・右側が二の丸・本丸への登り口です。
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土塁端は複雑な縦堀で構成されていました。
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二の丸を上がり本丸への入り口です、横矢がかりですね。
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本丸へ上がり下を見ると二の丸ですね、本丸を囲むように帯曲輪?もありますね。
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本丸の碑です。
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本丸脇の石社、下段が帯曲輪?かな。
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その帯曲輪の端に枡形虎口跡があります、他にも木戸・水曲輪・屋敷跡が多数見られました。
各城ともボランテアのガイドさんが居られ親切丁寧な説明をして頂きました、本当にありがとうございました、この後岩櫃城温泉に入り反省会をして帰宅、感謝感謝。

2016年4月15日 (金)

四国城巡りに行って来ました(能島城跡・大山祇神社)。

2016年4月12日(火)に今治市のしまなみ海道から村上水軍本拠地の能島城跡上陸と潮流クルーズ・大山祇神社に行って来ました。
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能島城跡はしまなみ海道の大島の北側にある小さな無人島(周囲約1km)の為、遺構がわかりやすく保存状態も良いですね。
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大島と伯方島の中間で能島と鯛崎島からなります、横に鵜島もあります、伯方島の先(広島より)に大三島が在り大山祇神社があります、”のぼうの城”の和田竜が書いて、2014年本屋大賞の”村上海賊の娘”村上武吉の娘お京さんが居たあの島です、お京さんが憧れた”つる姫”(実在)の鎧が大三島大山祇神社にあるとは・・・。
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船から見た能島中央部分です、真ん中の高い所が本丸です。
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船着き場から左側の丘が三の丸でそこから見た景色です、上の小島が鯛崎島です。
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三の丸から少し上ると二の丸で本丸を囲むように出来ています、横矢がかり状態の階段の上が本丸です。
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三の丸から見た島の反対側・・・・船隠し(船だまり)、高いのが本丸、その先が矢びつ郭?、その先は海で向こう側が鵜島です。
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二の丸から本丸方向です。
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本丸から三の丸方向、船隠しの浜、向こうにしまなみ海道の橋が見えますね、左側が大島・伯方島。
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本丸の向こう側に矢びつ郭、向こう側が鵜島。
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本丸横を回り込み鯛崎島方向東南出丸です。
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東南出丸から本丸を見ました。
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同じく南部の平坦地三の丸方向です、これで島全体です小さなものです、島の周りの潮流が島を守る役割を果たしているのでしょう。
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船に乗り潮流体験です、船だまりの海岸です。
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大三島にある日本総鎮守の格式高い、大山祇神社です。
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大山祇神社にある樹齢2600年の乎知命御手植の楠です・・・感動しました、幹回り約11mとか。
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大山祇神社乎知命御手植の楠、少し近寄り・・・・。
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大山祇神社乎知命御手植の楠、角度をかえて・・・・すごいですね、ここまでくると骨と皮だけでしかも新緑を豊かに境内に広げていますからまさに神楠です。
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大山祇神社の日本最古の楠、能因法師の雨乞いの歌にある楠、樹齢3000年とありましたが、残念ですが根元は枯れわかりずらい状態でした。

思いもかけず巨木にあえ嬉しい旅となりました、今回の旅は天気にも恵まれ充実した旅でした。

四国城巡りに行って来ました(今治城)。

2016年4月12日(火)に今治城を再び訪れました、2013年4月に松山城しまなみ海道を訪れたのでした。
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今治城の縄張り図です、この城も藤堂高虎が築城主です、完全な海城ですね・・・今は海が少し先ですが近くです。
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山里郭の前からの天守、望楼型5重6階の模擬天守(資料が少なく不明)。
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正面大手門側から見た城壁と御金櫓。
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大手門の鉄御門と天守・・・・大手門前には高麗門があり完全な枡形構造との事。
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鉄御門と武具櫓。
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大手門の石垣は大石できれいですね・・・・橋の向こうに高麗門があり門内の石垣は見えないのでしょう、高虎は築城の名人で豊臣秀長・秀吉・徳川家康に頼まれ多数のお城を設計しました。
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城内の藤堂大学高虎の像と天守。
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天守をアップ。
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天守への入り口門です、脇の楠が大きく城が隠れて・・・・。
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今治城全景です、美しいお城ですね、昨日の夜も見たのですが・・・写真は?。

朝の散歩時間に見ました、此れからしまなみ海道を行、村上水軍の能島城跡・大三島の大山祇神社乎知命御手植の楠(樹齢2600年)等を見に行きます。

四国城巡りに行って来ました(松山城)。

2016年4月11日(月)に宇和島城に続き松山城に行って来ました、関ケ原の戦いで軍功があり20万石となった加藤嘉明が築いたお城です、今回で2度目となりました。
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お城の全体図です、山の上は本丸で山下に二の丸・三の丸がある大きなお城です、徳川幕府へお城構築願いを出すとき候補地の二番目にして提出したとか・・・・・当時一番は却下される例が多いので裏をかいて提出したとか。
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二つの山の山頂の尾根をつないだ大きな本丸です。
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絵になる大手門跡から見た天守、右石垣と太鼓櫓です。
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大手門の上戸無門と筒井門西続櫓です、この筒井門の右奥に隠門があります。
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筒井門を入ると太鼓門櫓が目の前に立ち塞ぎます。
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太鼓門脇から見た、馬具櫓・小天守・南隅櫓と折り重なるような石垣です。
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南隅櫓・小天守・大天守と大天守前の一の門南櫓です・・・・二の門・三の門と進み筋鉄門で中庭に入れます。
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中庭から見た大天守と筋鉄門です。
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北隅櫓の2階から見た筋鉄門と小天守です、連立式構造です。
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大天守3階からの眺望です、右側が小天守で下の門が紫竹門、その左側が一の門への道で一の門南櫓で本丸の広場と街並みが眼下に見えますね、加藤時代は5重の天守なのでより見えたでしょうね、落雷で焼失し今の3重の天守だそうです。
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乾櫓方面から見た、北隅櫓・十間廊下・南隅櫓です。
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乾櫓と乾門です、石垣が壊れ始めていますね。
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乾門の外から見た、乾門東続櫓・南隅櫓・小天守と外回りの石垣です。
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紫竹門と右側が南隅櫓・小天守・大天守・一の門南続櫓と一の門への登道です。
この後今治市までいきます、今治城は各自散策ですネ。

2016年4月14日 (木)

四国城巡りに行って来ました(宇和島城)。

2016年4月11日(月)高知を朝たち愛媛県の宇和島城を見てきました、藤堂大学高虎が築いた海城です、その後伊達家10万石がおさめました、これも現存天守12城の一つです・・・・11城を見てきました後1城機会があれば見たいものですね。

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昔の縄張り図で見れば三方向が海ですネ。
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縄張り図です、三の丸からの直登・・・石段があり趣の有る所から登ります。
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苔むした石階段を上ると石垣が現れます。
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井戸丸です・・・・結構大きな井戸です。
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井戸丸を少し登れば本丸の石垣が見えます、石垣の下が帯曲輪で三の門跡です。
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三の門跡の上りで階段上が二の門跡で上が二の丸ですね。
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二の門跡から振り返ると天守がみえます。
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二の丸から見た一の門です。
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一の門跡から見た二の丸跡です。
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伊達家時代に作られた天守です、3重3階独立式層塔型で入り口が唐破風・千鳥破風と装飾性があります。
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天守から見た海がわの景色・・現在は大分向こう側に海がありますね、本丸の広場・二の丸が目の前です。
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藤兵衛丸の石垣と碑。
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長門丸櫓跡です、これから松山城を目指します。

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