2016年12月21日 (水)

金鑽御嶽城に行って来ました(金鑽神社・本庄城跡)。

2016年12月20日(火)に金鑽御嶽城に行って来ました、JR本庄駅から神泉総合支所行きのバスで”新宿”下車で徒歩20分で金鑽神社に行けますバスの本数が少ないですが意外とゆっくりと見れました(JR八高線使用より便利ですヨ)。
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金鑽神社の多宝塔です二重塔婆で重要文化財、1534年天保3年安保全隆寄進とか良く戦火に会わず今に残りました。
この神社境内も城郭的な造りに見えます、金鑽御嶽城は天文21年(1552年)上杉山内方の安保氏を北条氏康が攻め取りました、その後永禄12年・元亀元年(1569・1570年)武田信玄が激戦の末攻め取り、翌年武田・北条同盟が成立し北条方へ返還されたのです、武田信玄は元亀3年上洛を目指しますからこの頃が最も充実していたのでしょうか。
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金鑽神社の中門です、御嶽山が御神体では無く社殿後背の御室山(御室ケ岳)が神体山だそうです(勘違い)、全国でも珍しい形態の神社です、本殿が無い古代祭祀なのです。
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神社左脇の方に説明版があり、此れから登ります、階段の急坂の両側に歌碑が沢山並んでいました、芭蕉の碑もありましたね。
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金鑽御嶽城の縄張り図です、上から下がってきています、城は尾根筋を利用した山城です。
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しばらく階段を登ると突き当り左側に鏡岩がありました、確かに岩肌が奇麗に避けて光っていました、断層活動のスベリ面で天然記念物。
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少し登ると尾根筋に出ました、右側から登りました写真正面が山頂方面で左側は法楽寺跡方面の分岐路です、後が東郭です。
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分岐路を左側(東)が東郭で石仏が沢山あります、奥は岩山で左側が弁慶穴、正面が護摩壇・物見岩です。
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岩場を上り詰めると護摩壇と岩場があります、方位版の説明が消えていて読めませんが景色は良いですね、此処は上州と武蔵野の境目です。
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注連縄のある岩山山頂から見た御嶽山山頂です、此れからイザ山頂本郭へ。
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先程の分岐まで戻り尾根筋を山頂方面へ堀切7でしょうか?結構埋もれていますから。
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本郭への虎口(東)此処は土が流れて厳しいですね。
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登るとすぐ本郭です、それ程大きくないですね、すぐ左横が西郭・ワタルセ側への虎口があります、ここは横矢型です、奥の虎口は二の郭側となります、まず、二の郭へ行きます。
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本郭を下り見上げた所です、右側は少し広い帯郭ですが伐採した木々が多数あり・・・此れからこの方面は整備が為されておらず道脇には殆どこの時期でも入れませんね(無理して入りましたが却って全体が見えず)。
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堀切1のうえから二の郭方面を見る、木々が多くあまり先がわかりませんね。
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堀切1を上った所からの二の郭全景、奥に踏み込んでみました先の方が高く櫓跡かも。
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堀切1を超えて二の郭から本郭をみる、本郭は結構高いですね。
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二の郭は北側には土塁がありますネ。
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二の郭脇からの尾根筋に沿うように段々の跡が見て取れます。
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再び本郭に戻り西郭・ワタルセ側へ、まず西郭方面へ下る。
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堀切8で右側が平場2ですが、荒れていては入れませんでした。
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先に進むと西郭があります、結構な段差で登りも横矢掛かり状態ですね。
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再び戻り返してワタルセ方面です、南側です、ここの腰郭は素晴らしいので最後に載せます。
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この高い位置の下にも帯郭があります左から急坂を下りれますが、この邪魔な木を回り込むように下の帯郭に来た敵をほぼ真上から攻撃できる形状が見られます。
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三時近くのバスでJR本庄駅に戻り、折角ですから本庄城跡に行きました、遺構はありませんね。
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城内?の城山稲荷神社の大ケヤキです、樹齢400年幹回り6・3mですやはり足を延ばして良かったです。
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疲れましたが最後にここにもある金鑽神社へ行きました、クスノキの巨木が有るのです、朝バスに乗る前に駅前の観光案内に巨木ありますと尋ねたら教えてくれたのでした、樹齢400年幹回り6mです、カヤの木もあります、暗くなり始めました急いで帰らないと・・・・。

 

2016年12月 8日 (木)

寄居に行って来ました(少林寺)。

2016年12月6日(火)に寄居の花園城址から少林寺に行って来ました、五百羅漢・千体三宝荒神を見てきました。
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花園城址散策後無理やり城外へ出た道が少林寺近くで下方角に間違いなくて良かったです。
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少林寺境内脇から裏山にかけて五百羅漢様が追わします、併せて千体三宝大荒神の板碑が有るので有名です、まず草むらの羅漢様です・・・・羅漢とは仏道修行者で釈迦の直弟子の姿で庶民信仰の中心で段々地蔵菩薩的な存在に変化したみたいです。
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裏山沿いの道端に沢山の羅漢様が。
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それぞれの様子が皆違うので見てください。
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説明は必要ありませんが色々な顔を見せてくださいますね。
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もう一つが荒神様の石碑・・・・板碑と呼んで良いのかな?、ここ秩父では緑泥片岩の板石卒塔婆の板碑が多いのですが。
千躰三宝大荒神王⇒(三宝=仏法僧=仏教徒の意)荒々しく、祟りやすい神様・火と水をお守り下さる神様で災難を除き衣食住に不自由しない・・・・水害火災よけなのです。
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沢山の板碑が乱雑に立っています壮観・・・不気味(暗いときはネ)。
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このお姿が荒神様なのでしょうネ。
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やはり夜は怖くて歩けませんね。
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羅漢様も夜見たら怖いですが、昼間は愛嬌がありますね、しかもそれ程大きくなくかわいいですからネ。
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これはおまけ(?)大宮駅で”撮り鉄”の皆さんが写真を撮り捲るっていたので私もわからずに撮りました”EF65”型で廃止状態の機関車みたいですね?・・・有難味がわからずですが、しかし花園城址・少林寺とも見ごたえがあり良かったです。

2016年12月 7日 (水)

寄居に行って来ました(花園城址)。

2016年12月6日(火)出かける予定は無かったのですが今日は天気が良く暖かいとの言葉に反応し急遽出かけました(殆ど病気だね!)、金さな神社には時間が無いので寄居の花園城址にしました、熊谷から秩父鉄道で寄居へ、何と寄居駅では風が強く雨がパラパラ・・・・・様子見に町役場に入り観光案内で場所を尋ねましたがご存知ありませんでした(お城と言えばここでは鉢形城ですから)。
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パンフレットを頂きまず正龍寺・善導寺・花園城・少林寺・波久礼駅と行きます、この地図には花園城跡がありました。
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チョット道がずれましたが、正龍寺へ。
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此処は鉢形城城主北条氏邦・大福御前の墓と大福御前の父母の15代目の藤田康邦・西福御前の墓があります、藤田氏はこの地方の豪族で関東管領山内上杉の支配下で15代の名門です。
新興勢力の後北条三代目の氏康(8,000人)・河越城主福島綱成(3,000人)に対して上杉憲正(当時23歳)が65,000人プラス古河公方(足利晴氏で嫁さんは氏康の妹)20,000人で河越城を攻めました天文15年(1546年)の事です、このとき有名な河越夜戦で北条方が圧勝しました、・・・その後八王子の大石氏(滝山城)・寄居の藤田氏(天神城・花園城)は北条の氏照・氏邦がそれぞれ養子に入りこの地を収めたみたいですね、ちなみに西福御前は八王子の大石氏からの嫁さんとか。
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藤田善導寺を見城への入り口を探したが見つからず、少し先の諏訪神社に行きました。
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神社を上がり右側に古い木の札に花園城と在りました、此処からわずかな道跡を探りお城の中に・・・冬枯れのこの時期でないととても山城探訪はできませんね。
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道を探しながら城中へ、多分縦堀と思われる道を上がり途中で縦堀と確信しましたね。
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縦堀から脇の土塁?を上ると郭らしく見えますね、少し奥に入ると石積(石垣では無い)がやはりありました、木々が沢山あり全体がわからない状態ですが部分的に今城に居ます。
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縦堀?(堀切状態)で丁字型に堀が組んでありますね、正面は土塁で上は郭でしょう。
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正面左側は行き止まりで上からの攻撃用ですね。
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漸く尾根筋に上がりました、堀切ですね、尾根を分割してあります。
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縄張り図が無いのでボンチ図で東西の尾根筋を5個の堀切で分割しそれぞれの郭の隙間子縦堀とか帯郭状に細かな段々状態で郭を形成、北側は崖状態かあまり構造物がわからず(下は川か)尾根はは岩盤の場所があり堀切も岩場が露出していい状態ですね。
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郭のうえから堀切と向こう側の郭を望む。
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結構な堀切がわかりますか、昔はより深く抉れていたのでしょう。Dsc07713

郭の上からです。
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1の郭です結構細長いですね。
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花園城址の石碑が在りました、昔は案内板等もあったのでしょうかネ、個人の持ち物でしょうかネ、少し手を入れてくれれば有名になるかも・・・・鉢形城だけで手が回らないのか?。
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一番西側の堀切です(一の郭)、この外側は段々状態の小さな郭がとづきますね。
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この堀切(横堀を回り込むと1の郭(左側)をまわり縦方向に降り曲がり縦堀となりますね、結構石積も見られるし規模は小さいが技巧が入った防御構成に見えました、西側の段々の状態を見ながら下りました、道はありませんね。
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少林寺方面からの道から(西側と左側が北側ですね)西側を下り切通の石垣にでたので横に歩き石垣の無い所から道に出ました・・・・・結構大変でしたよ。
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此れは少林寺側から見た御城の全体です北側です、手つかずの城址でした。

 

2016年11月18日 (金)

群馬県吾妻郡高山村に行って来ました(尻高城址)。

2016年11月16日(水)に群馬県吾妻郡高山村に行って来ました、真田道(上田ー菅平ー妻恋ー長野原ー岩櫃城ー中之条ー高山ー沼田)と三国街道の交わる高山村です、今回は尻高城址(しったか)です。
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地図を見ると真田道(岩櫃城ー中山ー沼田、中山ー名胡桃城)は真田にとっては重要拠点がわかりますね、この地が真田と後北条との激戦地なのです、また上杉謙信が関東へ出る道筋でもあるわけですから。
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真田道にある尻高城は里城(並木城)と要害な詰めの山城(尻高城)から成り立つ地方の豪族のお城です、6度も戦乱に巻き込まれ落城したそうです、写真は並木城入り口(現在のですよ)。
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並木城から見た真田道(国道145号)。
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本丸跡です、現在は民家の庭でコジンマリとした本丸です。
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本丸脇に武者走りが在ります。
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右側が本丸です、道沿いの高台にある館ぐらいですかネ、いざ戦ともなれば山城に逃げ込むのでしょう。
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後の山が尻高城入り口となっていました、此れから本格的な山登りです。
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此れが尻高城の縄張り図です、直線部分は山登りで、横の部分が尾根筋の城内(?)です。
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直線的に山道を登ります、やや急な坂道ですが紅葉も見れ良いですよ。
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急坂と岩場が出てきます、ロープがあり思わず頼りますが、落ち葉が沢山あり足が滑ります。
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漸く尾根筋に出ました、大きな石宮があります、6度目の石宮とかここからは平らになりますね,
この地点がただ一つの虎口(出入り口)で防御の要です。
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此れは主郭(?)との区切りの堀切です、両サイドは岩場で浅いガケ状態なので一方向を防御すれば良いのです、ただしこの尾根には水場は無いそうです・・・あまり長い籠城はできないのです、想像するに柵があり小屋程度の建物があったのでしょう。
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水をためた水槽とか石宮が滅びた数だけありました。
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尾根筋は狭いのですが横に奥行きがありますが最後は崖淵です、戦いの城でなく逃げ込みようですね。
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下から見上げた尻高城です、左側が登り口で山の頂上が平らで右が落ちています、自然の岩場を利用したお城です、此れで今回の城郭巡りは終わりました、地元のガイドさんには非常にお世話になりました改めてお礼申し上げますありがとうございました、温泉に浸かり反省会を行い帰宅しました、幹事さんにもありがとうございました有意義な旅でした。

 

群馬県吾妻郡高山村に行って来ました(中山城・泉龍寺高野槇)。

2016年11月16日(水)に群馬県吾妻郡高山村に行って来ました(今回は)中山城・と泉龍寺の紅葉と高野槇の巨木です。
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此処高山村中山は真田道(上田ー菅平ー妻恋ー長野原ー岩櫃城ー中之条ー高山ー沼田)と三国街道が交わる所です、上杉謙信は越後から、武田信玄は甲斐から武田軍の先鋒で真田軍が、此れに後北条の北関東進出がぶつかりあいました。
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三国街道沿いの舌状の丘と横は田んぼで道の駅”中山盆地”に近い所にありました、横の田んぼは当時は湿地帯の沼地だそうです。
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田んぼ側から見た中山城址です、左側の低い台地から段々と空堀を巡らせ三の丸・二の丸・本丸と沼の壁を軸に半分に折った囲郭式の城郭です、左側が三の丸辺りで真ん中あたりが二の丸・本丸と続き二の丸・・・。
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沼地から本丸へ上がります、手前が下曲輪で上の左側が本丸、空堀を挟んで右側が二の丸側ですね。
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登り切ると本丸です、結構広いですね。
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此れが縄張り図ですね、図の下側の右側から本丸に入りました。
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本丸の三方は土塁が盛り上げてあります、向こう側は深い空堀です、後北条が拵えたお城です、鉢形城の北条氏邦が関わりました。
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空堀が半円に本丸を囲みます、左側は二の丸で奥は沼地なので簡単な防御ですね。
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本丸から見た沼地がわです土塁はありません。
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本丸の後は下曲輪が低い位置でありますね、当時は沼地で余り防御が不要な状態だったのでしょう。
三重の深い空堀で守られた城で”境目の城”と言われています・・・・此処は三国街道と上田と沼田を結ぶ十字路ですから、真田軍の要に北条が食い込んだのですからね関東を収めるための拠点だたのでしょう。
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泉龍寺の紅葉ですまず見てください。
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山門脇の紅葉が美しいですね。
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此処は高野槇の巨木が有るのです。
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伝説では源頼朝公御手植えの高野槇、樹齢800年幹回り6Mの高野槇では1-2の巨木では見事なものです。
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どうです、この迫力紅葉も美しいし感動です、この後は尻高城址へと向かいます。

2016年11月17日 (木)

群馬県吾妻郡高山村に行って来ました(中山古城)。

2016年11月16日(水)に城めぐりで群馬県吾妻郡高山村に行って来ました、高山村に幾つかの城址がありますす、地元の町おこしでのボランテイアの方にお世話になりました、ありがとうございました。
高山村は現在は交通の便に恵まれませんが、三国街道の宿場町で真田一族・上杉謙信・武田信玄・後に後北条の関東進出での境目としての激戦地区なのです、従ってお城もあるわけです。
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道の駅”中山盆地”の建物です、右奥の山上は県立のぐんま天文台です、此処で地元ボランテイアのガイドさんにお会いしまず中山古城に向かいました。
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中山古城は昔タイプの山城です、此処から山へと入ります、今回は天気に恵まれ紅葉時期とも重なり素晴らしい勉強会になりました、この会はいきがい大学の歴史班チーム主催に便乗させて頂きました。
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細い山道を登ると杉の林になり石宮が在りました、明治初年に村に病気が流行りお祭りしたそうです・・・・お城の社ではないそうです、でもここは城内かな、古城はこの広場を馬蹄形に囲こんでいるのです、本丸はこのまだ奥です、ここは虎口ですね。
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奥が突き当りになり左側に曲がりながら登ります、当然急坂ですね。
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急坂を上ると左側が本丸です、真っ直ぐは本丸とを区切る堀切の空堀へと入りますね、この古城は細い尾根筋を利用し尾根筋を分断する堀切、尾根を段々と区切り防御システムを構築、比較的簡単な縄張りですね。

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本丸跡(当時は主郭)です、意外と広い広場です、四面削ってあります。
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二の丸(?二の曲輪)方面を除きます、段々と下に繋がりますね。
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二の丸から見た本丸です。
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山がきれいに見えました、この下も尾根筋は曲輪です。
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回り込むように急坂を下ると先程の石宮の横方面へでます、大きな石が重なりっていますここも神が宿る場所(?)としてお祓いの跡が在りました(今月初めにあったそうです)。
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下から見ると石室・石舞台のようで神が宿っても不思議でないかも。
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此処は三国街道中山宿新田本陣の平形家住宅門屋です、三国街道は中山道高崎から別れ三国峠を越えて越後・佐渡への道で当時から沢山の人々が行き来していたのでしょう。
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この本陣の庭に在りました、中山新田本陣の大ケヤキです、地元のガイドさんが居たお蔭で中に入り見ることが出来ました感謝ですね、樹齢600年幹回り10・7Mの巨木ですね。

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どうです、このみなぎるパワー今回はもう一つ巨木に会えるのです、巨木・城址・紅葉・山歩きと良い旅ができます、次は中山城です。

 

2016年6月11日 (土)

安土城跡に行って来ました。

2016年6月7日(火)に安土城跡に行って来ました、本日の天気予報では午後からは雨なのでやはり早目にでて安土駅前で自転車を借りました、安土城・観音寺城・近江八幡で豊臣秀次の居城八幡山城を予定。
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織田信長が天下統一目前に建てた安土城です琵琶湖の畔・・・・今は湖が遠ざかっていますが当時は三方が湖ですね。
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安土城の縄張り図です、当時の革命的お城ですね、でもお寺摠見寺が同居したお城とは知りませんでした。
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大手門の石垣跡です、ここ安土城は石垣の山ですね。
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大手道入り口から山に向かい石段の道が伸びています、両サイドに各家来の屋敷があります。
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左側が羽柴秀吉の屋敷と言われています。
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秀吉の屋敷は二段に渡り在ります。
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なおも上ると左側に曲がりながらなをも上ります。
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曲がり角から下を見ました・・・・・。
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平らな所で分岐しています正面がお城、左側がお寺の方向です。
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黒金門が見えてきました、奥が二の丸の方です。
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門の正面が二の丸の石垣で右へ回り込みます。
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石段の途中に仏足石が置いてありました、集めた石の中に墓石仏像やらが混ざっているのです。
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石段を上ると左側が二の丸への階段正面は枡形広場で碑がありました。
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二の丸ですね。
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奥に織田信長本廟があります。
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本丸跡ですね。
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本丸跡から天主の石垣と登り口。
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天主への登り階段。
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天主です、此処が地下1階で周りの石垣が天主1階だそうです、今は崩れて低くなっているとの事、ここに5層7階のお城があり、織田信長の居住地とのこと。
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石垣の上から天主跡を見る・・・五角系どか。
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摠見寺跡と三重塔です、琵琶湖が眼下に見えますね。
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同じく摠見寺山門です、途中で雨が激しく振り出し、観音寺城へと急いだのですが観音寺城も山城で桑実寺の山門で雨の止むのを待ったのですが、靴の中まで濡れたので断念しホテルに帰りました、残念無念です。

彦根城に行って来ました。

2016年6月6日(月)本日最後に借りた自転車で佐和山城から彦根城に行って来ました、彦根城の中堀をぐるりと自転車で見た後に内堀を回り、大手門橋近辺を見佐和山口表御門橋から城内へ、黒御門跡から玄宮園と見学しました。
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彦根城の縄張りです、琵琶湖を背景に内堀・中堀と二重の水堀が現存した国宝の現存天守です、右側に玄宮園楽々園の御庭もあります。
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外堀の周りを自転車で回りました、佐和山口・京極口・船町口と中堀側に入る道路があります、。昔は武家屋敷で現行は役所・学校です。
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中堀から見た彦根城天守です。
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此れは内堀です、石垣の高さが異なりますね。
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これは内堀と中堀が交差する山崎曲輪の山崎御門跡です、冠木門で情緒がありました。
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大手御門跡です、お城の横河ですね、向こう側は黒御門跡、駅正面がわが佐和山口の表御門跡です。
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彦根城縄張り図、上の橋は下側です。
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橋を渡り城内の石垣を見ました、石垣の上の石垣が登り石垣です・・・横に回り込めない仕組みで中国韓国様式です、伊予の松山城でも見られる数少ない石垣です。
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表御門跡です正面入り口ですね。
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橋を渡り右側から急な階段を上ります、大切岸で左側は鐘の丸、右側下は表御殿跡です。
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坂を上ると大堀切で掛橋が掛けてあります、先程の大手御門から登ると向こう側へ出ます。
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橋をくぐり回り込むようにすすみます。
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橋の向こう側が天秤櫓です、左右同型なのでこう呼ばれます、長浜城大手門を移築したとか。
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少し進むと太鼓門と続櫓があり、ようやく本丸へとなります。
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5国宝一つの彦根城天守で現存天守12個の一つです、これも大津城からの移築とか。
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木の関係?で付櫓・多門櫓が見えずですね。
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左側に回り込みます。
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ほぼ横に回り込みました。
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本丸広場から見た琵琶湖がわです。
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なをも回り込み本丸から西の丸へ出ました。
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西の丸の端にある、三重櫓と続櫓です。
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西の丸から見た彦根城天守です、左側が附櫓です、高い石垣・入母屋破風・高欄廻縁・唐破風・切妻破風でお城らしいですね。
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天守最上段から見た琵琶湖と西の丸の三重櫓です。
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黒御門側の急峻な石垣と井戸曲輪。
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お城脇の大名回遊式庭園、玄宮園の魚躍沼と鶴鳴渚・鑑月峯です。
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同じく玄宮園の臨池閣です。
彦根城は明日の予定でしたが、明日は天気が悪い予報なので無理して回りましたので疲れました、明日は安土城・観音寺城・八幡山城を出来れば回りたいでえすね。

2016年6月10日 (金)

佐和山城跡に行って来ました。

2016年6月6日(月)に琵琶湖東側周辺のお城巡りをしました、明日は雨模様の為出来るだけ沢山回る予定です、長浜城・小谷城に行きJR北陸線の河毛駅から此処彦根駅に再びレンタル自転車を借りて佐和山城跡の裏って側龍潭寺へ行き、佐和山城跡に行って来ました。
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図の上の方から切通し・西の丸・本丸・千貫井・隅石垣周辺を見てきます。
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龍潭寺の門から境内脇の墓地を抜けて急な山道へ入ります。
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佐和山城主石田三成の像です、関ケ原で敗れこの城も落城したのです、三成に過ぎた・・・島左近と佐和山の城と言われたのがこの城です。
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墓地脇の急坂を上ると尾根にぶつかります、右側へ進みます。
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なおも上ると塩硝櫓入り口の西の丸跡へ出ます、三段に分かれた曲輪です。
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二段目の西の丸広場です。
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三段目の西の丸広場の案内図でこの左側脇の方に二の丸・三の丸があるみたいです、本丸へは正面の脇を上ります。
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本丸への虎口です。
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本丸の碑です。
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本丸広場です。
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本丸脇から彦根城が良く見えますね。
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千貫井・石垣方面です。
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本丸の土塁に隅石垣が二個残っていました・・・・此処は落城後佐和山城を破却し彦根城築城にリサイクルしたのです・・・・小谷城・長浜城からも移築したみたいです。
城郭の遺構が少ないのは残念ですが山中なので雰囲気は伝わりました、今日は疲れましたが彦根城が待っています。

小谷城跡に行って来ました。

2016年6月6日(月)に浅井三代・浅井三姉妹の小谷城跡に行って来ました、JR北陸本線の河毛駅より駅のレンタル自転車で城址を見学、うれしいことに朝早くからオープンしかも見所まで説明を受け行く前からワクワクします。
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小谷山は西尾根(朝倉軍の曲輪)・東尾根(浅井軍の曲輪)真ん中の清水谷が浅井家の居住地からなっています東尾根を見学。
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河毛駅方面から見た浅井軍と織田軍(虎御前山)の配置図で直線で500m4年間の戦いの場所です、駅の案内の方に頂きました。
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駅から城に行く途中の小谷城跡です、東尾根は向こう側のヤヤ平坦な尾根沿いですネ。
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追手道入り口から山中に入ります、急な登り口が続きます・・・・結構な登りですよ。
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金吾丸跡にでました・・・昔佐々木六角との戦いで、朝倉方が味方して作った曲輪、この時の恩が朝倉にあり信長との同盟破棄に繋がりますね。
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金吾丸跡を下ると番所跡~山王丸跡までが連続した山城の縄張りとなります。
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番所跡・・・小谷城の入り口で昔は石垣での構えとか・・・・長浜築城で持っていかれたとか。
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番所から清水谷・・・・織田軍がいる虎御前山が目の前に対峙しています。
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脇の道(横矢がかり)を上ると御茶屋跡・御馬屋があります、此処は水がありました。
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図は下の方が御旅屋跡・真ん中が御馬屋・上が桜馬場で突き当りに黒金門になります。
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右が桜馬場方面で正面が黒金門跡です。
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桜馬場で横に2段で織田軍の見晴らし拠点とか。
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黒金門を上がると井戸があり大広間最大の曲輪です・・・・此処で徳川秀忠夫人お江が生まれたとか。
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大広間の奥が本丸(鐘の丸)天守。
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天守です。
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天守の裏側が大堀切で中丸と区分けされています。
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本丸を回り込み、大堀切から登ると中の丸跡へと出ます、三段の広場からなり石垣で構築してありました・・・石垣は殆ど長浜築城で持っていかれたみたいです。
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中の丸の図です。
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さらに上に京極丸・小丸(浅井久政)と続きます、この京極丸に羽柴秀吉軍が清水谷から急峻な崖を夜襲で上り本丸と小丸を分断落城となりました。
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小丸跡です、浅井久政が自刃、ちなみに浅井長政は黒金門よこの赤尾屋敷にて天正元年(1573)9月1日に自刃・・・・ここに浅井家は滅亡・・・・女子がしっかりと生き延びました。
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いよいよ標高400mに位置する山王丸入り口です、小谷城の詰め丸、石垣で固めた虎口を二重に備えた作りです、今も右側の脇に5mの石垣が現存します。
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此れが現存の石垣です・・・秀吉軍が見落とした????。
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山王丸跡です、此れを過ぎて下ると六坊・月所丸・・・清水谷への下りと大嶽(おおづく)への登りとなります。
この後、佐和山城・彦根城を見たいので虎御前山には行かず下山しました、素晴らしい山城ですこの辺り戦国絵巻の遺構が沢山ありますネ。

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