2020年6月 9日 (火)

城郭の縄張り図と本丸(徳川関連)。

2020年6月8日(月)今回は徳川一門の城郭に絞りました、徳川15代将軍

徳川家康ー2秀忠ー3家光ー4家綱(実子なし)-5綱吉(館林)-6家宣(甲府)-7家継(実子なし)-8吉宗(紀州)-9家重ー10家治ー11家斉(一橋)-12家慶ー13家定(実子なし)-14家茂(紀州・実子なし)-15慶喜(水戸ー一橋)、

徳川家康の子供男子ー信康(20歳、信長により死)-結城秀康ー徳川秀忠ー松平忠吉(27)-武田信吉(21)-六男松平忠輝(92・改易)-松平松千代(6)-平岩仙千代(6)-9男徳川義直(尾張)-10男徳川頼宜(紀州)-11男徳川頼房(水戸)。

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岡崎城 愛知県岡崎市、梯郭式平山城、乙川を背後に松平清康(徳川家康の祖父)の居城、天文11年(1542)家康誕生の城、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が敗死、岡崎城を取り戻す、元亀元年(1570)浜松城へ移る、城は嫡男信康へ(後に信長により自刃)、天正18年(1590)田中吉政により近世城郭に改修、元和3年本多忠利により天守が建つ。

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岡崎城 江戸期の模型図・・・今は本丸中央に神社があります。

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岡崎城 天守複合式望楼型3重3階、上の図の右側方面より見上げる。

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浜松城 静岡県浜松市、梯郭式平山城、元亀元年(1570)徳川家康が岡崎城(嫡男信康に譲る)から移る改修、元亀3年(18573)武田信玄の上洛時、城より打って出、三方ヶ原の戦いで破れる・・・・城門を開いたままでの話が有名ですね。
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浜松城 櫓門と天守。
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浜松城城内からの櫓門と天守。
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浜松城天守 望楼型3重4階。

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江戸城 東京都千代田区、輪郭式平城もしくは平山城、康正3年(1457)扇谷上杉持朝の家臣太田道灌築城、その後北条氏綱・徳川へ、慶長期天下普請(1603-)、元和期天下普請(1618-)、寛永期天下普請(1628-)、万治3年(1660)神田川お茶の水の拡張工事で約60年の城郭工事が終了天守は3度建て替え、3度目は明暦の大火(1657)で炎上焼失以後天守は無し、見事な外郭ですね。

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江戸城 現皇居・・・中央下皇居東御苑が三の丸・二の丸・本丸。

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江戸城本丸 皇居東御苑・・・三の丸・二の丸・本丸。

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江戸城西の丸伏見櫓 二重橋の石橋上から鉄橋を見る・・・皇居参賀で西の丸へ入りました。

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江戸城本丸内濠白鳥濠。

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江戸城本丸内濠蓮池濠・・・ここも普段は入れませんね、右側石垣上に富士見櫓。

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駿府城 静岡県静岡市、輪郭式平城、今川氏全盛期9代義元の時天文18年(1549)松平竹千代(徳川家康)は7-19歳(12年間)人質で駿府に、その後武田信玄・徳川家康の戦場となり中世の城郭は壊滅。

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駿府城 天正13年(1585)家康は居城として現二の丸を築城、その後関東へ移封。

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駿府城 慶長10年(1605)将軍を2代秀忠に譲り、翌年隠居城として駿府城を改修、寛永元年(1619)には徳川秀忠の第2子忠長が城主に、その後改易、城は城番制となる(大阪城・二条城)、現在は本丸・二の丸が一つ、元はこの図の前の図三重の堀が当時。

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駿府城本丸徳川家康像、天守は7層・・・焼失。

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駿府城 二の丸巽櫓・東御門。

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大阪城 大阪府、輪郭式平城、石山本願寺跡に豊臣秀吉が天正11年(1583)から7年の歳月をかけ築城、北に淀川が流れる要害地、慶長20年(1615)大阪夏の陣で落城し豊臣家滅亡。

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大阪城 元和6年(1620)-寛永6年(1629)2代目将軍徳川秀忠が築城。

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大阪城 極楽橋方面からの天守、独立式層塔型5重5階地下1階。

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大阪城 曲折屛風石垣と天守。

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二条城 京都府京都市、輪郭式平城、13代足利義輝の居城、15代足利義昭(織田信長が築城)、慶長3年(1603)徳川家康が征夷大将軍就任で築城、2代秀忠・3代家光までが使用、天守は落雷で炎上・・本丸御殿も火災で焼失、二の丸御殿が国宝・世界遺産、慶応3年(1869)大政奉還・・・15代慶喜・・・この時二条城に直属の兵5000・会津兵3000・桑名兵1500が集合待機・・・軍事衝突を恐れ大阪城へ・・・翌月に鳥羽伏見の戦いとなる・・・(歴史にもしもはありませんが)。

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二条城 二の丸御殿・・・歴史の舞台です。

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名古屋城 愛知県名古屋市、梯郭式平山城、慶長14年(1609)徳川家康が豊臣家の抑えに天下普請で築く、本丸の石垣は加藤清正、徳川家康9男義直尾張藩47万石の居城、本丸はほぼ正方形、織田信長誕生の那古屋城(二の丸)、昭和20年(1945)の空襲で焼失。
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名古屋城大手門 西南隅櫓方面より大手門と櫓門。
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名古屋城天守 同じく西南隅櫓方面から手前石垣は小天守(木で見えず)との渡廊下。
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名古屋城 小天守への虎口・・・小天守より大天守へ渡る仕組み。
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名古屋城 天守(小天守ー大天守)、手前は本殿の一部、連結式層塔型5重5階地下1階。
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和歌山城 和歌山県和歌山市,梯郭式平山城虎伏山49m北に紀の川を天然の堀、天正13年(1585)豊臣秀長の築城、元和5年(1619)より大改修徳川家康10男頼宜の紀州藩55・5万石の居城。
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和歌山城 天守は火災・落雷・戦災と三度焼失。
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和歌山城 三の丸側から見た一の橋大手門。
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和歌山城天守 連立式層塔型3重3階。
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和歌山城 天守二の門(楠門)、隅櫓から多門櫓で繋がる連立式天守ですね(姫路城・伊予松山城)。
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和歌山城 二の丸と西の丸に架かる御廊下橋・・・屋根付き橋ですね・・・府内城・福井城でも見ましたね(高松城は名前だけ))、如何でしょうかネ。

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水戸城 茨城県水戸市、御三家水戸徳川、徳川頼房(家康11男)25万石の居城、北に那珂川、南に千波湖を天然の堀とした連格式平山城、土塁・空堀の関東式。

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水戸城 三の丸・二の丸・本丸(連郭)・・・本丸は武器庫とか?。

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水戸城本丸に現存の高麗門 佐竹時代の門とか、二の丸に御三階櫓の独立式層塔型3重5階があり、空襲で焼失。

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水戸城 二の丸と三の丸の空堀にはJR水郡線が走る、大手門が復元されたみたいです。

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福井城 福井県福井市、輪郭式平城、柴田勝家の北ノ庄近辺に越前松平、結城秀康(徳川家康次男)68万石が慶長6年(1601)に築城。

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福井城本丸 現在二の丸・三の丸はない、秀康は豊臣秀吉の養子となったが、秀頼が生まれ、結城家に養子として出された、嫡男信康はすでに死んでいたが養子に出ているため・・・2代将軍は秀忠(三男)となる。

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福井城 本丸石垣、望楼型4重5階の天守は焼失、以後本丸は立たず。

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福井城 水堀。

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高田城 新潟県上越市、越後少将松平忠輝(徳川家康六男)高田藩60万石の居城、輪郭式平城(本丸を二の丸が囲む)、あの伊達政宗の縄張りとか。
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高田城 本丸です石垣でなく土塁が主体の城郭ですね、川に挟まれ湿地帯の平城・・・天守は無かったみたいですね、・・大阪城に憧れました。
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高田城 御三階櫓、独立式層塔型3重3階。
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高田城 東側から見た所です。
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鶴ヶ城(会津若松城) 福島県会津若松市、保科正之(会津松平・・徳川家光の異母弟)23万石会津藩の居城、梯郭式平山城、黒川城・・伊達政宗、若松城・・蒲生氏郷・上杉景勝・加藤嘉明、文禄元年(1592)蒲生氏郷(92万石)が近世城郭に改造、慶長3年(1598)上杉景勝(120万石)が越後春日山より入封、寛永4年(1627)加藤嘉明(43・55万石)伊予松山より入封、寛永20年(1643)保科正之(23万石)が会津藩創設、慶応4年(1868)戊辰戦争の戦闘で1カ月の籠城戦の末開城。
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鶴ヶ城 廊下橋、本丸と二の丸を繋ぐ橋。
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鶴ヶ城本丸 層塔型5重5階。

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

2020年5月29日 (金)

現存12天守(丸亀城・伊予松山城・宇和島城・高地城)。

2020年5月29日(金)現存12天守の最終です、いよいよ(伊予)四国に渡ります、四国は名城が多数ありますね、戦災にも無事残りましたからね。

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丸亀城 香川県丸亀市、渦郭式平山城、慶長2年(1597)讃岐17万石生駒親正が高松城を本城、丸亀城を支城に慶長7年(1602)から6年の歳月を費やしほぼ現在の城郭を完成、一国一城令で廃城(木々で隠し廃城しなかったとか)、反りを持った扇の勾配の石垣、山麓から山頂mで4段の石垣60m、三の丸は22mと大阪城33m、伊賀上野城30mに次ぐ高石垣です。

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丸亀城天守 独立式層塔型3重3階、万治3年山崎家治5万石が現在の天守を完成、その後京極氏が入封。

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丸亀城天守と高石垣 石垣で有名。

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丸亀城 大手一の門・二の門から仰ぎ見る丸亀城天守・石垣。

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伊予松山城 愛媛県松山市、連結式平山城、連立式層塔型3重3階地下1階、慶長7年(1602)加藤嘉明

20万石が築城、勝山山頂に本丸、西南の山麓に二の丸の北・南には登り石垣が本丸まで・三の丸を構えた平山城、黒船来航の翌年安政元年(1854)松平勝善が再建(天明4年(1784)落雷で焼失)。

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伊予松山城 本丸大天守、右側が筋鉄門(門上は渡廊下で右側の小天守へ、南隅櫓・北隅櫓と四角を多門櫓廊下で繋ぐ・・・本壇)。

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伊予松山城 本丸から天守(本壇)を見る、左が南隅櫓・小天守・大天守・・・大天守前が一の門南隅櫓・二の門隅櫓。

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伊予松山城 本丸搦め手側の乾門・乾門東続櫓・南隅櫓・小天守・・屏風折れの石垣。

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伊予松山城 本丸石垣脇から乾門方面を見る、見事な高石垣の屛風折れ石垣が続きますね。

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宇和島城 愛媛県宇和島市、梯郭式平山城、藤堂高虎による築城、昔は海に突き出た海城で堀の水は海水を引き込んでいます。

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宇和島城 上記地図と角度が異なりますが上が海側。

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宇和島城天守 独立式層塔型3重3階、寛文11(1671)伊達宗利が改修。

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宇和島城天守 

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宇和島城天守 二の丸への登り口より。

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高知城 梯郭式平山城、慶長6年(1601)山内一豊が土佐一国24・2万石を得て築城、寛延2年(1749)現在の天守完成(享保12年(1727)火災で焼失)。

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高知城天守 独立式望楼型4重5階。

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高知城と本殿 両方現存。

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高知城 追手門と天守・・・共に現存。

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高知城 二の丸脇から、右側を回り込むと本殿には入り込む、此れで、現存12天守すべて見て回りましたね・・・。

 

 

 

2020年5月27日 (水)

現存12天守(彦根城・姫路城・備中松山城・松江城)。

2020年5月27日(水)現存12天守の彦根城・姫路城・松江城・・・は国宝ですね。

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彦根城 滋賀県彦根市、井伊家18万石2代目藩主井伊直継が慶長8年(1603)築城、築城に辺り各地の城から移築。

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彦根城天守 大津城天守4重5階を3重3階地下1階に縮小移築、複合式望楼型。

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彦根城天守 裏側、付櫓が解りやすく見えますね、大津城は京極高次が関ケ原の戦いの折、西軍1・5万にかこまれ1週間後に落城した城です。

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彦根城天秤櫓 これも長浜城からの移築ですね、左右の石垣は違う積み方で有名?、石垣も殆どは佐和山城からの移築。

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姫路城 兵庫県姫路市、播磨52万石の池田輝政が慶長6年(1601)から8年の歳月をかけて大改修、西国の豊臣大名を抑える大城郭、元和4年(1618)千姫が本多忠刻に嫁いだ化粧櫓の西の丸で全容が完成、明治初期・昭和の大戦にも失われず・・・世界遺産です。

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姫路城天守 乾小天守・西小天守・大天守、渦郭式平山城連立式望楼型5重6階地下1階。

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姫路城天守 中央の西小天守と手前の石垣の間から天守に入る入口です、左から回り込むように、本丸、京極丸から見上げています。

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姫路城天守 西の丸の虎口、菱の門上あたりから、本丸へは長い沢山の門を抜けないと入れません。

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姫路城天守 西の丸千姫化粧櫓沿いを見ながらの天守。

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姫路城三の丸菱の門。

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備中松山城 岡山県高梁市、天和3年(1683)水谷勝宗5万石が改修、山麓の城下に御殿の連郭式山城。

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備中松山城天守 複合式望楼型2重2階。

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備中松山城 本丸から天守を見る。

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備中松山城 大手門内側よりの天然の岩を利応した石垣。

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備中松山城 天守裏側に残る2重2階の櫓・・・天然の岩と石垣の組み合わせが。

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松江城 島根県松江市、輪郭連郭複合式平山城慶長16年(1611)隠岐・出雲24万石堀尾忠氏が築城、安永11年(1634)京極忠高が26万石で入封三の丸を造営し全容完成。

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松江城 城郭をよりアップ。

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松江城天守 複合式望楼型4重5階地下1階国宝。

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松江城 裏側よりの天守。

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松江城 内堀外からの天守を見る、此れで現存12天守の8城です、残り4城です。

2020年5月26日 (火)

現存天守12城(弘前城・松本城・犬山城・丸岡城)。

2020年5g圧26日(火)今回は現存12天守を並べました、12城のうち、山城は1・・・備中松山城、平城は1・・・松本城、他は・・・平山城(定義が・・平野の中にある山・丘陵地に築城)・・・当然微妙な位置づけのお城もありますが、国宝5重要文化財7(5国7重)の12城。

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弘前城 青森県弘前市、天正18年(1590)大浦為信が豊臣秀吉から4・5万石の領地を得る(大浦=>南部に改名)、慶長5年(1600)関ケ原の戦いで東軍につき徳川家康より加増4・7万石となり弘前藩、慶長16年(1611)2代目南部信枚の時弘前城完成、寛永4年(1627)弘前城天守に落雷5重の天守は炎上・・・地下の爆薬庫が爆発(落雷での天守炎上は約14城・・盛岡城、大阪城・・)、約200年間天守は無かった、文化8年(1811)現在の天守が建つ、梯郭式平山城(本丸。二の丸・三の丸・・6郭)。

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弘前城天守 現在、石垣修理で曳家工法で移動中、従来は堀の向こう側から見た位置、千鳥破風の見栄えの良い形です、独立式層塔型3重3階。

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弘前城天守 此方が普段は本丸城内側から見える御城です・・・破風の飾りが無いシンプルな建物です。

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弘前城三の丸大手門。

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松本城 長野県松本市、国宝、低格式+輪郭式平城(本丸、二の丸、本丸を囲む形で三の丸)、平城ですから大きな水堀で囲こんでいます。

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松本城天守 複合連結式層塔型5重6階、寛永10年(1633)松平氏の時の築城。

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松本城天守、左側から戌亥小天守・大天守・辰巳付櫓・月見櫓。

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松本城本丸の一の門、大手門ですね、奥に大天守が見えますね。

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犬山城 愛知県犬山市、城の背後が木曽川です、川に突き出す位置に立つ、元和3年(1617)尾張藩附け家老成瀬正成改修の城(国宝)、

戦国期の三人にかかわる城です、永禄7年(1567)に織田信長、天正12年(1584)に豊臣秀吉、慶長5年(1600)には徳川家康にそれぞれ落とされましたね。

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犬山城本丸より、複合式望楼型3重4階地下2階、手前は付け櫓。

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犬山城天守 少し離れた場所より。

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犬山城天守 左側に木曽川です、ちなみに、豊臣秀吉はこの川ら方面から攻め込んだ双ですね・・・奇襲作戦ですね、小さな城ですが以前は成瀬家個人の所有でお殿様が里帰りすると家臣が出迎えたとか。

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犬山城本丸鉄門です、立派な櫓門です。

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丸岡城 福井県坂井市、連郭式平山城、築城は柴田勝豊(柴田勝家の甥)、現天守は寛永年間(1624-1644)福井藩付け家老、本多成重丸岡藩5万石が改修、現在は本丸の丘の上に建つ天守。

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丸岡城天守 独立式望楼型2重3階。

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丸岡城天守 今後下の水堀を復活とか・・・木に囲まれた丘の上に・・・写真が撮りづらいお城ですね。

 

 

2020年3月28日 (土)

皆川城跡に行って来ました(栃木)。

2020年3月26日(木)に栃木市の皆川城跡に行って来ました、栃木駅からふれあいバスで皆川郵便局前です。

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郵便局前で下車・・・少し戻り分岐に案内板が皆川城址ですよ。

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分岐を右側に入り、少し直進・・・右手に小高い山が見え山頂に展望台が・・・あれが皆川城本丸です、入り口は皆川公民館からです、左ての土塀が皆川公民館(以前は学校とか?)(皆川氏の居館跡)、公民館でパンフレットを頂きました・・・外にもありましたね。

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公民館脇から(此処は居館)山側へ・・・・いきなり竪堀目の前に。

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皆川城へは直進して登らず、時計回りに山裾を回り込みますね、この道を回り込みます。

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案内板と頂いた資料を見ながら左側から裏側へ本丸からジグザグで見ながら下りますね。

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皆川城の縄張り図です、別名法螺貝城です、山頂を本丸・二の丸(お花畑)・西の丸と削平し帯曲輪・腰曲輪でグルグル削平し竪堀で区分けされた全山城郭です、戦国期には北の鹿沼を攻略した宇都宮氏から圧力を受け従属、離反をくり返しました、永正13年1515年には宇都宮忠綱と戦い皆川宗成が勝利・・・西方城を奪いましたね、天正12年北条氏政・氏直が来襲し3ケ月に渡る激戦の末和議、北条の傘下に、その後豊臣秀吉の小田原征伐時には藩主皆川広照は小田原籠城に参加、城は上杉景勝らに攻められました、広照は徳川家康を頼み降伏し、城は開城・・・その後お城は廃城(栃木城を築城移りました)、戦国期を巧みに生きた皆川氏のお城ですね。

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此方の縄張り図が解りやすいですね。

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山側から見た、皆川公民館(居館)です山のお城をバックにした中世のお城形式です、東側(栃木市側)にも昔の居館跡が見られますね永野川が有りますからね。

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お城全体?を見ました、幾つかの段丘が見られますね、左の木々が西の丸・二の丸・本丸。

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竪堀です、西の丸下の腰曲輪まで掘られています、わかりやすく見事な竪堀です。

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これは西側の虎口ですね、丁度真横の方角に来ました。

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お城の北側(後ろ側)に回り込みましたね、裏側にもしっかりと段丘削平された防御が見られますね、横矢ですね。

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上から見れば削平された帯曲輪の上から迫る敵兵を上から攻撃ですね、こちら側は木が沢山有りますが下草が刈られ見やすいですね。

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漸く、二の丸脇に上がりました、右側が二の丸(お花畑)です、正面奥が本丸で手前に腰曲輪?。

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登って来た方の反対東側も大きく切り開かれた削平が見れますね。

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本丸の腰曲輪から見た本丸です。

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本丸の腰曲輪から見た二の丸です、正面が西丸です、左側下から正面奥の下を廻右側から二の丸脇へ登って来たのです。

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本丸脇の腰曲輪反対側見た二の丸です。

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本丸です。

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本丸から見た栃木市市街方面です、右奥に筑波山が見えますが?、正面下の森が東宮神社ですね、後がグランドですが当時は此処も皆川氏の居館跡らしいですね、市街地手前の横線が永野川ですから、防御性が高いのでしょうね、この下あたりに東口虎口もあるのです。

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本丸下の帯曲輪から西方を見ました、右上が二の丸・西の丸、その下が大きな曲輪で井戸・池(土が崩れている辺り)が有りますね、そのしたも段々です。

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二の丸です、奥が西の丸。

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西の丸・・・・道路は堀きりで区切られていたのでしょうね?。

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二の丸から見たお城南側の正面。

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二段目の腰曲輪から本丸を上務、正面が井戸・池跡。

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西の丸下の竪堀上から西方面を見る、段丘での防御が見られますね。

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同じく南側(正面)を見る、向こうの山は大平山・晃石山方面ですね、下は居館。

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此れが竪堀を上から見た所先程は下から見上げました、下が屈折させていますね。

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まず右側方面西の虎口方面まで段々が繋がっていますね。

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竪堀左側から真下を見る。

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竪堀中間から西方の虎口方面です。

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振り返り南側、本丸を望む、この右側も大きな削平ですね。

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竪堀脇から西の丸を見上げる。

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同じく本丸を見ました。

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無事下城、バス停へ向かう途中で皆川城跡を見ました。

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東宮神社です、この後はグランドです、参道を高速道路が横切りトンネルでした、ここも居館とのことです。

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東宮神社裏手から見た皆川城跡です、脇は土塁ですね、東口の虎口には行かずでした、機会があれば。

 

 

2019年4月25日 (木)

奈良高取城跡に行って来ました(3/3)。

2019年4月16日(火)に高取城跡に行って来ました、今回は最終章です、このお城は2度の戦に耐えた防御力の高いものです、関ケ原の戦いの前当城主本田家は徳川家康について会津上杉討伐にその隙をついて西軍2000が西軍への味方を迫りますが城主不在を理由に断りますがお城に攻め入ることは出来なかったみたいですね、あの伏見城の降伏開城を迫った時と同時期です、2度目は幕末文久3年(1863)・・・新選組の時です天誅組1000人以上がお城を乗っ取りに来たのを城方200人で撃退したそうです、その凄い城内へ。

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二の丸中段の巨木脇から本丸天守石垣を見上げます。

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振り返り太鼓櫓の石垣方面を見る櫓の左右が虎口です、櫓の向こう側二の丸、馬出。

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もう一度本丸の石垣の横側。、左側が虎口側です。

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本丸の石垣に沿い進むと曲折した石垣と虎口の登坂が、左側も結構広いですし。

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横の曲輪?から見た本丸虎口、回り込む形で上がりますね。

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もう少し下がり虎口を含め左側まで左側の左下方面が吉野口門で桜の名所吉野山方面です。Dsc05251

角度を変えて、今来た石垣沿いと虎口です。

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本丸下の曲輪脇から・・・奥左下方面が吉野側。

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本丸への虎口全景?、張り出した石垣脇をUターンし上るのですね。

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虎口の中へイザ。

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奇麗な枡形を進みますね、まだ石垣が出てきますね。

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登りつめるとすぐ正面に低い石垣があり左右のいずれかになりますね、此れは右側です天守側へと足が向きましたね、でも正面も石垣?。

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振り返ります、左側の虎口を今上がってきたのです。

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回り込んで上がってみました、左側から上がってきたのです、まるで迷路みたいな作りですね、本丸です。

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絶景スポットですね、虎口をUターンし登り枡形内に入り正面で止められて左右に分かれ両サイドの上から攻撃ですよ。

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本丸の天守石垣(右側)・・・これで半分です。

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天守石垣。

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天守石垣上から見た二の丸側の石垣最初に見た石垣を見てます、右下側が七つ井戸がわで段々の石垣に見えますね。

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これも天守石垣上から見た二の丸方面正面が太鼓櫓跡、左側が七つ井戸方面、右側が十五間多門です。

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本丸虎口の反対方向です。

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本丸からの眺望。

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南北朝時代より南朝方の越智氏が築城、織田信長により一旦廃城、後筒井順慶・・・豊臣秀長が大和郡山城の支城として本多利久に家臣の諸木大膳に命じて縄張り築城・・・・等々、この壺阪寺はお里沢市の壺阪霊験記でも有名ですね、・・・・。

 

 

 

 

 

 

2016年6月11日 (土)

安土城跡に行って来ました。

2016年6月7日(火)に安土城跡に行って来ました、本日の天気予報では午後からは雨なのでやはり早目にでて安土駅前で自転車を借りました、安土城・観音寺城・近江八幡で豊臣秀次の居城八幡山城を予定。
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織田信長が天下統一目前に建てた安土城です琵琶湖の畔・・・・今は湖が遠ざかっていますが当時は三方が湖ですね。
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安土城の縄張り図です、当時の革命的お城ですね、でもお寺摠見寺が同居したお城とは知りませんでした。
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大手門の石垣跡です、ここ安土城は石垣の山ですね。
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大手道入り口から山に向かい石段の道が伸びています、両サイドに各家来の屋敷があります。
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左側が羽柴秀吉の屋敷と言われています。
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秀吉の屋敷は二段に渡り在ります。
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なおも上ると左側に曲がりながらなをも上ります。
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曲がり角から下を見ました・・・・・。
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平らな所で分岐しています正面がお城、左側がお寺の方向です。
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黒金門が見えてきました、奥が二の丸の方です。
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門の正面が二の丸の石垣で右へ回り込みます。
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石段の途中に仏足石が置いてありました、集めた石の中に墓石仏像やらが混ざっているのです。
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石段を上ると左側が二の丸への階段正面は枡形広場で碑がありました。
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二の丸ですね。
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奥に織田信長本廟があります。
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本丸跡ですね。
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本丸跡から天主の石垣と登り口。
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天主への登り階段。
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天主です、此処が地下1階で周りの石垣が天主1階だそうです、今は崩れて低くなっているとの事、ここに5層7階のお城があり、織田信長の居住地とのこと。
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石垣の上から天主跡を見る・・・五角系どか。
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摠見寺跡と三重塔です、琵琶湖が眼下に見えますね。
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同じく摠見寺山門です、途中で雨が激しく振り出し、観音寺城へと急いだのですが観音寺城も山城で桑実寺の山門で雨の止むのを待ったのですが、靴の中まで濡れたので断念しホテルに帰りました、残念無念です。

彦根城に行って来ました。

2016年6月6日(月)本日最後に借りた自転車で佐和山城から彦根城に行って来ました、彦根城の中堀をぐるりと自転車で見た後に内堀を回り、大手門橋近辺を見佐和山口表御門橋から城内へ、黒御門跡から玄宮園と見学しました。
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彦根城の縄張りです、琵琶湖を背景に内堀・中堀と二重の水堀が現存した国宝の現存天守です、右側に玄宮園楽々園の御庭もあります。
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外堀の周りを自転車で回りました、佐和山口・京極口・船町口と中堀側に入る道路があります、。昔は武家屋敷で現行は役所・学校です。
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中堀から見た彦根城天守です。
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此れは内堀です、石垣の高さが異なりますね。
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これは内堀と中堀が交差する山崎曲輪の山崎御門跡です、冠木門で情緒がありました。
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大手御門跡です、お城の横河ですね、向こう側は黒御門跡、駅正面がわが佐和山口の表御門跡です。
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彦根城縄張り図、上の橋は下側です。
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橋を渡り城内の石垣を見ました、石垣の上の石垣が登り石垣です・・・横に回り込めない仕組みで中国韓国様式です、伊予の松山城でも見られる数少ない石垣です。
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表御門跡です正面入り口ですね。
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橋を渡り右側から急な階段を上ります、大切岸で左側は鐘の丸、右側下は表御殿跡です。
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坂を上ると大堀切で掛橋が掛けてあります、先程の大手御門から登ると向こう側へ出ます。
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橋をくぐり回り込むようにすすみます。
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橋の向こう側が天秤櫓です、左右同型なのでこう呼ばれます、長浜城大手門を移築したとか。
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少し進むと太鼓門と続櫓があり、ようやく本丸へとなります。
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5国宝一つの彦根城天守で現存天守12個の一つです、これも大津城からの移築とか。
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木の関係?で付櫓・多門櫓が見えずですね。
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左側に回り込みます。
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ほぼ横に回り込みました。
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本丸広場から見た琵琶湖がわです。
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なをも回り込み本丸から西の丸へ出ました。
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西の丸の端にある、三重櫓と続櫓です。
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西の丸から見た彦根城天守です、左側が附櫓です、高い石垣・入母屋破風・高欄廻縁・唐破風・切妻破風でお城らしいですね。
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天守最上段から見た琵琶湖と西の丸の三重櫓です。
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黒御門側の急峻な石垣と井戸曲輪。
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お城脇の大名回遊式庭園、玄宮園の魚躍沼と鶴鳴渚・鑑月峯です。
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同じく玄宮園の臨池閣です。
彦根城は明日の予定でしたが、明日は天気が悪い予報なので無理して回りましたので疲れました、明日は安土城・観音寺城・八幡山城を出来れば回りたいでえすね。

2016年6月10日 (金)

佐和山城跡に行って来ました。

2016年6月6日(月)に琵琶湖東側周辺のお城巡りをしました、明日は雨模様の為出来るだけ沢山回る予定です、長浜城・小谷城に行きJR北陸線の河毛駅から此処彦根駅に再びレンタル自転車を借りて佐和山城跡の裏って側龍潭寺へ行き、佐和山城跡に行って来ました。
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図の上の方から切通し・西の丸・本丸・千貫井・隅石垣周辺を見てきます。
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龍潭寺の門から境内脇の墓地を抜けて急な山道へ入ります。
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佐和山城主石田三成の像です、関ケ原で敗れこの城も落城したのです、三成に過ぎた・・・島左近と佐和山の城と言われたのがこの城です。
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墓地脇の急坂を上ると尾根にぶつかります、右側へ進みます。
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なおも上ると塩硝櫓入り口の西の丸跡へ出ます、三段に分かれた曲輪です。
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二段目の西の丸広場です。
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三段目の西の丸広場の案内図でこの左側脇の方に二の丸・三の丸があるみたいです、本丸へは正面の脇を上ります。
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本丸への虎口です。
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本丸の碑です。
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本丸広場です。
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本丸脇から彦根城が良く見えますね。
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千貫井・石垣方面です。
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本丸の土塁に隅石垣が二個残っていました・・・・此処は落城後佐和山城を破却し彦根城築城にリサイクルしたのです・・・・小谷城・長浜城からも移築したみたいです。
城郭の遺構が少ないのは残念ですが山中なので雰囲気は伝わりました、今日は疲れましたが彦根城が待っています。

小谷城跡に行って来ました。

2016年6月6日(月)に浅井三代・浅井三姉妹の小谷城跡に行って来ました、JR北陸本線の河毛駅より駅のレンタル自転車で城址を見学、うれしいことに朝早くからオープンしかも見所まで説明を受け行く前からワクワクします。
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小谷山は西尾根(朝倉軍の曲輪)・東尾根(浅井軍の曲輪)真ん中の清水谷が浅井家の居住地からなっています東尾根を見学。
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河毛駅方面から見た浅井軍と織田軍(虎御前山)の配置図で直線で500m4年間の戦いの場所です、駅の案内の方に頂きました。
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駅から城に行く途中の小谷城跡です、東尾根は向こう側のヤヤ平坦な尾根沿いですネ。
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追手道入り口から山中に入ります、急な登り口が続きます・・・・結構な登りですよ。
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金吾丸跡にでました・・・昔佐々木六角との戦いで、朝倉方が味方して作った曲輪、この時の恩が朝倉にあり信長との同盟破棄に繋がりますね。
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金吾丸跡を下ると番所跡~山王丸跡までが連続した山城の縄張りとなります。
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番所跡・・・小谷城の入り口で昔は石垣での構えとか・・・・長浜築城で持っていかれたとか。
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番所から清水谷・・・・織田軍がいる虎御前山が目の前に対峙しています。
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脇の道(横矢がかり)を上ると御茶屋跡・御馬屋があります、此処は水がありました。
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図は下の方が御旅屋跡・真ん中が御馬屋・上が桜馬場で突き当りに黒金門になります。
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右が桜馬場方面で正面が黒金門跡です。
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桜馬場で横に2段で織田軍の見晴らし拠点とか。
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黒金門を上がると井戸があり大広間最大の曲輪です・・・・此処で徳川秀忠夫人お江が生まれたとか。
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大広間の奥が本丸(鐘の丸)天守。
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天守です。
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天守の裏側が大堀切で中丸と区分けされています。
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本丸を回り込み、大堀切から登ると中の丸跡へと出ます、三段の広場からなり石垣で構築してありました・・・石垣は殆ど長浜築城で持っていかれたみたいです。
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中の丸の図です。
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さらに上に京極丸・小丸(浅井久政)と続きます、この京極丸に羽柴秀吉軍が清水谷から急峻な崖を夜襲で上り本丸と小丸を分断落城となりました。
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小丸跡です、浅井久政が自刃、ちなみに浅井長政は黒金門よこの赤尾屋敷にて天正元年(1573)9月1日に自刃・・・・ここに浅井家は滅亡・・・・女子がしっかりと生き延びました。
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いよいよ標高400mに位置する山王丸入り口です、小谷城の詰め丸、石垣で固めた虎口を二重に備えた作りです、今も右側の脇に5mの石垣が現存します。
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此れが現存の石垣です・・・秀吉軍が見落とした????。
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山王丸跡です、此れを過ぎて下ると六坊・月所丸・・・清水谷への下りと大嶽(おおづく)への登りとなります。
この後、佐和山城・彦根城を見たいので虎御前山には行かず下山しました、素晴らしい山城ですこの辺り戦国絵巻の遺構が沢山ありますネ。

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