2017年9月 2日 (土)

岐阜に行って来ました(岐阜城跡・長良川鵜飼い)。

2017年8月30日(水)から9月1日(金)にかけて岐阜近辺に行って来ました、長良川の鵜飼いを見に行ったのですが、岐阜城にもよりました。

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岐阜市長良川です、目の前の山が金華山・・・山頂には岐阜城が・・・そうです斉藤道三・織田信長で有名ですね。

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川を渡り橋上からのお城です、望楼型の天守です。

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川の向かい側です、山の山頂木々の中なので全貌が撮れませんが、お城に行く時間が無く本日は此処までです。

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そうです長良川の鵜飼い見学が主ですから、早目の食事で見物船に。

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何匹かの鵜を手縄で操りアユを採らせますね、かがり火の明かりで魚を驚かせ採るみたいですね。

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鵜が沢山食べると船に上げアユを吐き出させまた採らせますね、結構流れるのと暗いので上手く写真は取れません。

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今日は宮内庁への奉納日で伝統漁法の総がらみも見えました、鵜舟が横隊になりアユを浅瀬に追い込み採るのです・・・ホウホウと掛け声をかけながら追い込みます。

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私だけ朝早くから岐阜城に上りました(次の見学に行く前に走って行って来ました)、

金華山ロープウエーで往復、下台所からの天守です。

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山城で狭い曲輪からなので天守全貌が見える個所がわずかなのです、山は岩場なので防御性が高いですね、この城の手前下に水場が有るのです。

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天守入り口の石垣です、下からは全体が見えないのです。

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上台所からの天守です。

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此れは山下の織田信長居館跡の虎口の冠木門です、低い石垣に囲まれた日常的な館跡です。










2017年8月20日 (日)

二本松城跡に行って来ました。

2017年8月18日(金)朝から雨の為本日も安達太良山は無し二本松城跡へ行って来ました。

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二本松駅前から歩いて丘陵の向こう側にある二本松城跡(別名霞城)へ駅近くの薬局にて虫よけスプレーを購入しイザ見参・・・これで三度目の登城ですかね、丹羽長秀の孫の光重10万700石のお城です、豊臣秀吉が一時期名乗った羽柴の文字です・・・・戊辰戦争の悲劇の城ですね。

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二本松城跡の復元された箕輪門です、手前の千人溜まりにある像は少年隊の像です、戊戊辰戦争が始まる前に白河小峰城の城代を丹羽氏が行っていたため白河口での備えに多くの兵が出かけたため、少年・老人兵が防御していたのです。

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枡形構造の立派な城門(箕輪門)。

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本日は雨の為駐車場も空で石垣も良く見えました、この石垣の向こう側が三の丸です、菊人形の準備をしていました。

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門を入り枡形の石垣を回り込み城門内側を見ました。

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此れが城門石垣をUターンさせる枡形石垣です・・・・立派な防御システムですが、一日で落城しました、刀や槍の旧軍備では薩長土の新軍備には適しなかったのです。

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御姫様御殿も石垣に囲まれた御殿ですが。

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これは二合田用水です、安達太良山中腹から18K山中を通して水をひいたのです、幕府に届けず無許可での工事だそうです、この先が搦め手門です、山の上ですね。

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搦め手門の石垣です。

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搦め手を少し上ると本丸の石垣(復元)が現れます。

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本丸への虎口ですね、いまだ雨は降り止まず。

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本丸脇に天守台跡が昔三重の天守が在ったそうです、天守脇の碑は戊辰戦争での落城時に自決した家老の碑です、慶応4年(1868年)戊辰戦争、奥羽越列藩同盟に参加し会津を支援したのですが、旧態依然の軍備のため多くの人命が失われての責任自決です、さぞかし無念ですね。

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この石垣は旧の石垣の野面積みが見られます。

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平山城ですが本丸下にある日影の井戸です、朝からの雨が昼過ぎても降りやまず、早めに今日も温泉へ戻ります。









2017年6月30日 (金)

上田城跡に行って来ました。

2017年6月27日(火)に長野の上田城跡に行って来ました、キップ期限4日目の最終日で新潟まで行きたかったのですがヤヤ近場にしました、二度半の訪問ですね。

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昨年のNHK大河ドラマ真田丸の舞台ですね、今回はゆっくりと見学させて頂きました。

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昔の縄張り図でです、千曲川の断崖尼ケ淵が天然の要害ですね、三方が水堀での防御ですからね、御存じ真田昌幸が築いた平城です・・・真田は山城も多いですが、地形を見抜いての築城に長けていたのでしょう。

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二の丸橋を渡り二の丸方面から見た、東虎口櫓(正面)・南櫓(左側・・・その左側が尼ケ淵)・北櫓です、北櫓前から土塁での水堀が三方向に囲っています、中が本丸で外側が二の丸となります。

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南櫓ですね。

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東虎口櫓門と北櫓です・・・・枝垂れ桜。

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櫓門の石垣真田石・・・・信之が松代移封の折持ち去ろうとしたが動かなかったとの伝説が?。

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城内から見た東虎口櫓門と南櫓です。

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西櫓と石垣です、西側の虎口ですね。

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本丸跡です。

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真田神社の真田井戸・・・実は抜け穴で外と通じていたとの事?。

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尼ケ淵から見た西櫓自然の崖と石垣の組み合わせた防御で当時は下を千曲川が流れて居たみたいですね。

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同じ位置から見た南櫓です。

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北側の内堀です、本丸土塁の隅落とし・・・(土塁の北東(丑寅)隅を切り落とし鬼門よけして隅櫓を二個建てたのです。

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此処は昔の城主館跡・・・今は上田高校ですか。












2017年6月29日 (木)

春日山城跡に行って来ました。

2017年6月26日(月)に新潟の春日山城跡に行って来ました、御存じ越後の竜上杉謙信のお城です。

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信越線春日山駅前の通りから見える山がそうです、正面全体の山城です。

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山全体が城跡です。

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上越市埋蔵文化財センター前の上杉謙信像です、後程出ますが春日山神社脇にも像が在りました。

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右側が神社方面ですが、大手道を進みました、山道と舗装が入り交じった道を登りました。

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しばらく山道を上り詰めると峠にでます、この辺りは南三の丸に当たり権現堂方面へとイザ城が落ちそうな時の落ち筋とも思われます。

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なおも山側の大手道を進むみ堀切状態を上がると大きな曲輪に出ました、重臣の柿崎泉の守の屋敷跡です、大手道の守りの要でしょう。

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御成り街道?関白近衛前嗣が通ったのでこの名前が山道に着いたそうですね、関東に受け入れてもらえず失敗したのですが、左側の上の曲輪は上杉兼勝の屋敷跡、正面は鐘櫓跡です。

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鐘櫓から見た大手道方面です回り込んで上がってくるのです。

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堀切・切岸で各曲輪を分けてありますね。

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山頂直下にある井戸曲輪です、水は今も枯れることなくあります・・・山城は水が命ですからね。

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井戸曲輪を登ると本丸横の天守台に出ました、直江津方面が一望ですね、米山も見えます。

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天守台の脇が本丸跡です。

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本丸の下に二の丸・三の丸と続きますね。

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本丸横に護摩堂跡があります、建物は休憩所です。

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護摩堂跡です、出陣に辺り護摩堂にこもり毘沙門天に祈ったのでしょう。

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護摩堂下に毘沙門堂があり・花畑曲輪と続きます。

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虎口から二の丸・三の丸方面ですが(上の山頂は本丸)崩れて立入禁止でした。

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少し下がると千貫門跡です、登り口が分かれて迷路・・空き堀に誘導の防御を構築したみたいですね。

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上杉謙信を祭神にした春日山神社本殿です。

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神社脇に建つ謙信公像です。

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下から見た春日山城です。

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謙信公の墓がある林泉寺…山門です、流石春日山城歩きでもあり遺構がよく保存されていました、・・・大人の休日倶楽部パス15000円キップで3日目流石に疲れてきました。




















高田城に行って来ました。

2017年6月26日(月)に新潟の高田城・春日山城に行って来ました。

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高田駅から駅前通りを行くと高田城跡の外堀(西堀)があります、すごい幅の外堀です東洋一のハス園で有名とか、向こう側が西二の丸側です、三方向を二の丸が囲み北側は北の丸とよばれますね。

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縄張り図です、平城です、大阪の陣前に川を利用し4ケ月で造成したとか、石垣・天守の無いお城ですが、天下普請ですね、伊達政宗が築いたそうです。

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当時のお城の縄張り図ですね、左側が西堀で西二の丸を入ると本城堀と呼ばれる内堀が在り本丸です、南側が三の丸で現在は公園の一部です。

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内堀の本城堀です、河川利用のため、石垣無の土塁です、右側が本丸側です。

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南西の隅に建つ高田城三重櫓です、初代城主は松平忠輝です、徳川家康六男ですが、家康に嫌われた?、不運な武将ですね、晩年は諏訪湖の高島城預かりで亡くなりましたね。

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高田城三重櫓です。

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城内側から見た三重櫓で望楼型ですね。

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此れは南側から見た三重櫓ですね、土塁の上に建っています。

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南二の丸と本丸に架かる極楽橋です。

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もう一度、高田城三重櫓を本丸無いは今は桜の名所で夜桜でとみに有名ですね。








2017年6月28日 (水)

白石城に行って来ました(宮城県白石市)。

2017年6月25日(日)に宮城県白石市の白石城(別名益岡城)伊達氏の重臣片倉小十郎の城に行って来ました。

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JR白石駅からほぼ直進で着きます、新幹線白石蔵王からは少し離れているので福島から乗り換えていきました、平山城ですね。

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坂道を少し上がればお城ですね。

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お城が見えてきました、平成に木造で再建されたお城です・・・白河小峰城が少し早く木造で史実に合わせて復元した天守で同じですね・・・・・此処東北は戊辰の役でも戦乱に巻き込まれましたね・・・・会津藩救済と停戦を呼びかけた仙台・米沢両藩の呼びかけでの会場です、奥羽越列藩同盟…戦乱へと進みましたね。

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大手門です、宮城県の南側で仙台藩ですが一国一城令の例外で伊達家の重臣片倉小十郎がが治めた城ですね、そのため天守と呼ばず大櫓と呼んでいたそうですね。

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樹外側北面と西面(此方がわ)には切妻出窓があり石落としが設けられています、最上階には華頭窓を設け高欄廻縁の美しい城ですね。

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城内から見た白石城です。

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やはり城内本丸から見た大手門と天守です。

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最上階から見た大手門と城内の一部と街。

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大手門から見た天守。

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城の北側に流れる沢橋側沿いにある武家屋敷、ここ白石には世良修藏の墓があるのですね・・・行きませんでしたが。

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その世良を暗殺した福島に立ち寄り福島城跡を尋ねました、奥州街道の束ね、板倉藩の城下町ですが、今は県庁で遺構はありませんね。

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県庁の庭に残る碑。

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県庁脇のモミジ山・・・・ケyキの巨木が・・城内の庭の一部とか。

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阿武隈川が後側の防御を担っていましたね。










2017年6月26日 (月)

弘前城に行って来ました。

2017年6月24日(土)に弘前城に行って来ました、弘前日帰りですが、城内をくまなく散策出来ました。

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流石弘前ですね、ねぶたが迎えてくれました、ラッセイラッセイラセラですね。

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津軽の城主為信の像です、南部の一族から抜け出たとの話があり南部藩とは犬猿の仲とか?、なかなかの武将ですね。

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弘前城は三重の濠(堀)と土塁・石垣が残り、天守は既存天守・隅櫓は3棟・城門5棟の建造物が現存です・・・本丸・二の丸・三の丸・四の丸・北の郭・西の郭と広大な敷地も現存ですね、俺は外濠と三の丸東門です。

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城内の図です。

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三の丸東門・・・現存門です。

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三の丸城内です、土塁で囲まっていますね。

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三の丸と二の丸の境の石橋です、大きな中堀があります。

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中堀ですね、右側が二の丸の土塁ですね。

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二の丸の東門です、門は枡形構造の防御ですね。

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二の丸には隅櫓が現存しています、これは丑寅櫓です。Dsc03790

内濠の中側の北の郭です。

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北の郭と本丸の境目の内濠に架かる橋、向こう側が本丸です。

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本丸の三方向は石垣です、他は土塁ですね、本丸の一方向(西)は蓮池側です。

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本丸への入り口です。

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本丸の天守が在りません、石垣修理で曳きやで移動中ですね。

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在りましたね、現存天守です、丁度堀の角の石垣にある状態ですね、石落とし・矢狭間が両サイドに在りますね、切妻の出窓が重厚感を出しています。

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以前は五重の天守が在りました未申櫓跡ですね、焼失し江戸末期に今の三重の天守を作ったのです。

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城内から見える天守の位置ですね、大分依然にも一度来てみているのですが今の方が奇麗でしょうかネ、濠がわと比べて単純な作りですね、幕府届には御三階櫓(辰巳櫓を改修・・・文化7年(1810年))。

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天守の中です、鉄骨が補強してありました、曳きやで動かすので強化したのでしょうか?。

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此れが蓮池です、岩木山が目の前に見えるのですが・・・・残念です。

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石垣を修理中です、石に番号を張り、積直すのです。

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城内には幾つかの巨木を在りましたね、これはネズコで500年5・6mです、他にイチョウ・サクラ等の巨木がありました。

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此れも二の丸の隅櫓未申櫓です(方角です南西)、他に二の丸辰巳櫓もありました。

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外濠にある南門(追手門)です、北門もあります。

















2017年5月 2日 (火)

大分臼杵城跡に行って来ました。

2017年4月27日(木)に大分臼杵城跡に行って来ました、今日は帰りの日ですが少し時間が有るので逆方向ですが行って来ました。

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臼杵は磨崖仏で有名ですね、駅にもレプリカが在りますがとても時間がありませんから。

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臼杵は海の近くです此れから行く臼杵城跡は別名丹生島城で陸地近くの島でしたから。

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島一つがお城で左側したの方が濠で三の丸方面でした、上・左側が海みたいですね。

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駅からの都合で搦め手門・・・卯寅口門から入りました今は島の脇まで民家と道路で埋まっています、右側が臼杵城跡です。

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門を入ると左側の建物は現存の卯寅口門脇櫓です、岸壁と石垣を組み合わせた城壁ですね。

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此れは本丸の鉄門櫓跡ですね、二の丸と本丸の櫓門です、この左側が本丸です。

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本丸と二の丸の間には石垣による空堀があります。

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城の外側は岸壁ですね。

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京はグランドゴルフの大会か人が一杯で本丸跡に車が止められていました、此処は空堀横の二の丸屋敷跡です、その向こう側が二の丸ですね。

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この城の当初の主大友宗麟です、大分の府内城も大友宗麟です、豊後の大大名ですね、薩摩との戦で敗れおかしくなりましたが、この地では国崩し・・・フランキ砲を使い薩摩を撃退しました、その後藩主が入れ替わりますが関ケ原合戦ごは稲葉貞道が入封しました、1877年(明治10年)西南戦争では薩軍により落城。

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大手門です内側から。

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大手門をでて脇に畳櫓(現存遺構)、右側が大手口です。

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畳櫓から見た大手門です。

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大手門脇の鐘楼から見た大手口です(左上方向大手門公園)、堀(濠)・古橋・亭櫓跡です。

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鐘楼方向からの大手門櫓と畳櫓とあぶみ坂です・・・あぶみ坂は石垣と天然の岩場を削りできた大手門道です。

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大手門櫓方面二の丸から見た二の丸屋敷跡、左側は神社です。

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下の道は腰曲輪です、埋門前櫓跡です、左下は海でしょう。

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なおも腰曲輪を回り込みます、本丸の石垣で右側は空堀へ回り込みますね、右の石垣は二の丸屋敷跡です、少し時間が足りず三の丸(大手門口した周辺)までいけませんでした、此れから大分まで戻り大分空港です、出来れば杵築にも行ければ良かったのですが予定はすべて行けました。



















大分中津城跡に行って来ました。

2017年4月26日(水)に小倉から戻り大分の中津城跡に行って来ました、雨もも少し小降りになりました。

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中津川の下流で海(周防灘)の近くです、駅はこの写真の少し下です、昔は海沿いですね、三大海城の一つです(今治城・高松城)・・・明日行く臼杵城は元々の海の島ですから海城でしょうが・・・・?、此処は大分県ですが豊前ですね。

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中津城今は真ん中の三角が本丸としてあります、左と右端が三の丸で下から右が二の丸です。

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本丸には幾つかの神社があります、右端は藩主一族の奥平神社です、真ん中が中津城右側が南東隅櫓(二重櫓)です。

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薬研堀側(二の丸側)から見た中津城です、模擬天守で萩城天守をモデルとか、外観下見板張り五重五階の望楼型です。

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中津城は御存じ黒田官兵衛(孝高)如水が1588年(天正16年)12・3万石で入封、その後細川忠興(小倉城へ)・小笠原・奥平家となります、像は黒田官兵衛・光姫です、右側の石垣斜めは黒田時代のものだそうです。

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此処からが良いですかネ、雨が降ったり止んだりです。

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此方からも如何でしょうか?、堀は内堀の薬研堀です。

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最上階から見た景色ですが、天気が悪いので・・・・中津川です、この後別府に戻ったのですが普通電車は無く雨なので臼杵に行くつもりは無いが仕方なく特急で帰りました。






2017年5月 1日 (月)

福岡小倉城に行って来ました。

2017年4月26日(水)に小倉城跡・中津城跡に行って来ました、昨日の天気予報があたり朝から雨です、岡城は山中なので当初予定を入れ替えたのでまだ良かったです。

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雨なので歩く距離が半分のJR西小倉駅にしました。

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小倉城のお堀です、昔の北の丸今は八坂神社の石垣です、左側が神社入口方面ですが、右側の堀沿いに。

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堀沿いに見える着見櫓と八坂神社の社です、櫓は三層三階ですから天守なみですね。

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廻込駐車場(城内)から見た小倉城です、小倉城は関ケ原合戦の功労で細川忠興が39・9万石の大名になり1602年築城・・・・中津城からこの地に入封、後に熊本城へ移りますが。

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駐車場の道を大手門を過ぎお城近くに。

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小倉城です唐造りの天守と呼ばれます、四層五階で四と五階の間に屋根のひさしが無く五階の方が大きいのです、石垣は野面積みで荒々しいですね。

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このポイントの写真がほとんどなので堀を入れて、右側が八坂神社側です。

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北の丸の八坂神社本殿です。

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八坂神社入口の門です。

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堀外から見た小倉城です堀の正面左が北門口です。

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駐車場に戻り大手門から入城です、枡形ですね。

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大手門を入ると槻門櫓跡ですね、今はお城が直見えますが。

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天守と逆側の松丸(本丸の一部)には小倉陸軍歩兵旅団本部があり門が残っていました、西南(の役)戦争には後の乃木将軍もここから出征しました。

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着見櫓です。

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小倉城入城口です。

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天守最上段から見た小倉城庭園方面です。

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これは八坂神社側を見ました、雨は降りつづけています、此れから中津まで戻ります。















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