2017年12月30日 (土)

2017年度訪問の天守・櫓。

2017年度に訪問した天守もしくは櫓がある城郭を年賀用に一覧にしました。

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三重県伊賀上野城の天守です、梯郭式平山城現在は木造模擬天守で層塔型3重3階ですが昔は5重と大きく石垣を当時の半分しか使用していないみたいです、此処は高石垣でも有名です。

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福井県越前大野城の天守です、現在は連結式望楼型2重3階、織田信長の家臣金森長近が一向一揆鎮圧の恩賞にこの地をもらい建てたそうです。

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福井県丸岡城の現存天守です、独立式望楼型2重3階、柴田勝家の甥柴田勝豊築城。

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岐阜県岐阜城の天守です、長良川脇の金華山(稲葉山)山頂、織田信長が斉藤龍興から奪い天下布武の号令戦国統一に向かいました、独立式望楼型3重4階。

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愛知県犬山城の現存天守国宝です、木曽川の脇望楼型3重4階。

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青森県弘前城の現存天守です、独立層塔型3層3階、現在石垣修理の為曳家で本丸広場に移動中でした。

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東京都江戸城伏見櫓・多門櫓です、皇居二重橋の奥に見える櫓です、西の丸の櫓はこれ一つとか。

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新潟県高田城です、松平忠輝で有名ですね独立式望楼型3重3階、大阪城が欲しくなるのも?。

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福岡県小倉城望楼型4重5階。

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長野県上田城西櫓です、真田氏の居城。

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岐阜県大垣城です関ケ原の戦いでの拠点でした、層塔型3重4階。

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大阪府大阪城です望楼型5重8階、豊臣秀吉で有名ですが、徳川秀忠が再建したのです。

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大分県府内城人質櫓幕末再建の櫓です、右側石垣が本丸です。

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奈良県大和郡山城追手門・追手門向櫓、本丸はこの奥の石垣に囲まれた跡があります、豊臣秀長です。

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大分県中津城です、黒田官兵衛(考高)築城の城です、独立式望楼型5重5階です。

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福島県二本松城箕輪門・付櫓、幕末の戦乱で落城した悲劇の城です(少年隊の悲話も)。

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宮城県白石城です、片倉小十郎の城です、三階櫓層塔型です、幕末の奥州連合の舞台とか。

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京都府福知山城です、明智光秀の居城で連結式望楼型3重3階です。

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愛知県名古屋城です、連結式層塔型5重5階の大天守・左側が小天守です、右側が御主殿です、徳川家康が天下普請でつくり尾張徳川家が治めました、今度木造での再建とか楽しみですね。

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和歌山県和歌山城です連立式層塔型3重3階豊臣秀長が築城、のち紀州徳川家が治めましたね。

他にも沢山のお城を訪問しましたが、お正月用に櫓・天守があるお城を載せました、来年も元気にお城探索が出来ればと良いと思っています。










2017年12月14日 (木)

今年も江戸城に行って来ました。

2017年12月13日(水)に山水会の納会を九段の靖国神社脇で行いました、折角東京に出るので、来年に新家屋移転先も併せて見てその足で江戸城を見学しました、結構歩きでがあり疲れましたが、やはり江戸城は凄いですね。

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まず、有楽町駅で降り以前の勤め先跡へ・・・・現在新築中です、日比谷公園の前です、日比谷交差点からお堀端を桜田門へ、皇居の二重橋、坂下門、桜田二重櫓、大手門、江戸城内へ、二の丸、三の丸(平川門)、天守、北桔橋門から外へ、乾門、竹橋、清水門、北の丸、靖国神社と見て回りました、地図の下から上ですね。

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この地図では左上から右側の日比谷濠を歩き桜田門から城内へ二重橋、坂下門、桔梗門、桜田二重櫓、大手門。

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日比谷交差点からの馬場先濠、右側は丸の内のビル街です、左側が日比谷濠です。

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この一段と高いビルが元の会社の来年の移転先です、ビルの右側は帝国ホテルです、右側手前は日比谷公園です。

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桜田門です、この門を出た所で桜田門外の変が起きたのです。

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桜田門を入り内部から見た所です、外側の濠が門内の枡形構造の一翼をなしているのがわかりますね。

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二重橋です、石橋を渡り門内へ回り込むように再び鉄橋を渡り皇居内(西の丸)へ奥に見えるのが伏見櫓です。

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伏見櫓です、他に富士見櫓・桜田二重櫓が現存ですね、右側は付櫓ですね。

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坂下門ですね。

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桔梗門です。

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桜田二重櫓・桔梗門・奥が富士見櫓です。

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大手門です、此処から江戸城本丸へと入ります。

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右側中央の大手門から入り、中の門跡・汐見橋・白鳥濠・梅林坂・平川門・本丸・北桔門から城外へ。

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中の門跡の広場、私は右側の二の丸方面へ行きます。

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本丸と二の丸の境の石垣と左側が白鳥濠でこの本丸への虎口は汐見坂です・・・昔は海が見えたのですね。

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汐見坂下から見た白鳥濠と本丸の石垣です・・・見事ですね、左側は二の丸庭園です。

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なおも、奥に行くと梅林坂の本丸への虎口があります、右側が平川門への道になります。

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天神濠で正面石垣の向こう側が二の丸です、左側が平川門・三の丸方面です。

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これは平川門です、左側は平川濠で濠に斜めに土塁があり、竹橋門(不浄門)への出入り口へ繋がります。

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梅林坂から本丸へ天守跡ですね、奥が本丸広場です。

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北桔橋門です。

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回り込み乾門です。

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再び戻り北桔橋門です、高い石垣、門手前の橋がイザの時は切り落とせる構造です、しかも橋が狭まっていますね(鵜首構造)。

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平川濠の石垣が雁行ですね、この左側は先程の平川門からの斜めの路で竹橋門へでてきます。

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此処が竹橋門跡です、右正面の石壁に出てきたのです、不浄門ですね、左側が大手濠があり、北の丸側です。

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大手濠で右側が斜めの路で正面の橋が平川門です。

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平川門です。

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本丸脇に北の丸大手濠が繋がっています。

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北の丸の濠脇から見た竹橋です、橋の奥が本丸側、右側が北の丸側です。

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清水門です、枡形構造のの典型ですね、高麗門、櫓門ど周りの石垣、見事なものですね、この後北の丸武道館(矢沢永吉のライブで凄い人込み)、田安門、靖国神社と行きましたがまだ時間が少し余りましたが先に行きました、楽しいお酒を今日も飲むことができ会にも感謝です。























2017年12月 7日 (木)

八王子の浄福寺城跡に行って来ました。

2017年12月6日(水)に八王子の恩方に在る浄福寺城跡(別名・・松嶽(竹)城・案下城・千手城・新城)に行って来ました、12月2日(土)に同じ八王子の高月城跡に行きましたが立ち入り禁止区域が多く消化不良の為、再度山城を見に行きました。

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浄福寺城は八王子城の裏手の方(高尾駅方面から見て)にあり大石氏の城でしたが手狭になり、滝山城・・その後八王子城を作ったので出城として使用されていました、別名が多いのは山・道・地名などの呼び名の為ですか?、今回は一番右側の恩方第一小学校脇(松竹橋すぐ)から山道に入りー山の神ー飯縄山ー東尾根中の丸ー三の丸ー二の丸ー北の丸ー本丸ー南尾根ー浄福寺へ(大手門・・・中尾根丸方面へは行きませんでした)。

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まず、大手門跡方面へ行きニウータウン方面(恩方第一小裏方面)を歩きましたが現地の方に尋ねても(4人)わからず、採石場があり登り口が無い?もしくは危険で迷惑なのかも?、引き返して松竹橋脇の理髪店裏の駐車場脇の細い道から山中に入りました。

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入口少しはヤブですが、山道がその後ついていました、しばらく進むと人工的な切岸?が出現。

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山の神の曲輪です、後が飯綱山259mです、漸く城の中に入れました。

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飯綱山を下り振り返ります、左が大手門跡方面への下り道ですね・・・・今回はそちら方面へ行きません、東尾根中の丸へ進みます・・・しばらく山道が続きます。

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出てきましたね、正面に立ち塞がる切岸、左右から挟み込むような土塁です。

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土塁上から下を見るとご覧のようですね、上から横から打ち取れる防御です、山の尾根筋を利用した同じ形の防御が此れからアチラコチラの尾根筋で見られます。

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土塁の上横を来る敵横矢がかりの餌食が想像できますね、山城の醍醐味ですね、ちなみに本日この城で一人も合わず独占でしたね、しかし興味ない人は歩いても気が付きませんね。

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なおも先に行くと再び急な登り口・・・・うかうかとは登れませんね。

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これは尾根筋を建ち割った堀切ですね、木々が多い堀が埋まっていますが、まだまだこれからです。

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三の丸を過ぎて二の丸へ、北の丸の細い尾根筋です、堀切で分断もあります。

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此処が北の丸で小さな山頂を削り落とした曲輪みたいですね、これで二の丸へ戻ります。

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北の丸の堀切から二の丸方面を覗いた所です、細長い尾根ですね先程通過したところです。

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細長い二の丸の端に険しい堀切があります、二の丸と本丸入り口を分けています、荒れていて登りに気を付ける必要があります。

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本丸側から見た堀切と二の丸側です、本丸へはこの後しばらく急坂を上りますね。

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登りつめると本丸です、奥が一段と土盛した土壇になっていますね。

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此処が本丸です。

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本丸跡に石社が・・・他に説明版もありませんね。

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本丸の虎口ですね、観音堂への降り口です・・・・もう少し、左側方面に中の尾根丸への下り場所があったのでしょうが気が付かず下りに・・・・・?。

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この南尾根筋も防御台が連続していて、細い急坂で上りくる敵兵を上から攻める仕組みで固められています。

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上から見ると下ががら空き状態ですからね。

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下からは急坂を上るわけです、上が楽なわけです、この城も八王子城と共に落城したわけですが、守りの人数が多分少なく、しかも鉄砲に武装された敵方の前には守り切れずに玉砕したのでしょう・・・・歩いていて水の手がわかりませんでしたが、多分沢筋から運び上げたのでしょうかネ?。

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漸く、観音堂へ降りてきました、此処も小さな曲輪後なのでしょうね?。

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観音堂周りも切岸状態の防御になっていますからね。

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浄福寺の白山大権現堂脇に下り墓から境内へ紅葉も終わりですね。

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浄福寺ですこの前に説明版がありました、登り口は左側墓の奥です、バスが陣馬街道(案下道)は一時間に一本と少ないので、帰りには川原宿まで歩きました、天気も穏やかで、山城も最高でしたね、規模は小さいですが小谷城の尾根筋を思い出しましたね。

















2017年10月13日 (金)

名古屋城に行って来ました。

2017年10月9日(月)に犬山城を見学したのちに名古屋城に行って来ました、地下鉄市役所前から城内へ此処名古屋城は日本三大平城で大阪の豊臣家を意識徳川家康が西国大名に築かせた天下普請の城です、旧国宝ですが戦災で焼失戦後再建されましたが、今話題の木造で再建が進行中です・・・・ぜひ新しい名古屋城も見たいものです。

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市役所がわ東御門から二の丸へと入りました。

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名古屋城外堀です、正面が東御門入り口です、三の丸は左手後ろの堀の外です、大きな城郭なのです。

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東御門入り口です。

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東御門を入ると、右側が広大な二の丸があり此処は庭園です。

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二の丸をなおも進むと堀に囲まれた本丸があります、辰巳(東南)隅櫓と南一の門(表一の門)です。

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南一の門です、内部が枡形構造です、高麗門中が櫓門です。

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南一の門の先にある未申(西南)隅櫓です、それぞれ小さなお城の天守なみですね。

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未申隅櫓と名古屋城天守(北西)です、左側・後がわは西の丸で奥左側が御深井丸でその外側は水堀で囲まれています、名古屋城は徳川御三家筆頭で徳川家康の九男義直尾張徳川家62万石のお城です。

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正門の櫓門です西の丸内側から。

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西の丸から見た大天守。

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未申隅櫓方面から見た表一の門と辰巳隅櫓。

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西側の堀外から見た手前小天守(よくわからず)と大天守。

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本丸から見た小天守(2層2階)と大天守入り口・・・小天守は大天守の関門の役割。

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小天守から大天守への入り口です、出入り口は此処のみです。

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ここ名古屋城は連結式層塔型です、最上階から見た未申隅櫓方面、西の丸正門も見えます、手前は建設中の本丸御殿です。

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本丸から見た大天守・・・・これが木造で生まれ変わるのが楽しみですね。

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連結式層塔型小天守と大天守です、手前の建物は再建中の本丸御殿の一部です。

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此れが本丸御殿の玄関車寄せです、すべて木造による建物です、迷子になりそうな内部です。

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此れが御殿内部、二条城と並ぶ武家風書院造りの双璧です、見事な襖絵ですね。

















2017年10月12日 (木)

国宝既存天守(5個のみ)の犬山城に行って来ました

2017年10月9日(月)に国宝既存天守(5個のみ)の犬山城(2回目)に行って来ました、大垣から名古屋に途中で清州城?が見えました、今回の計画で気が付きませんでした残念です。

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名古屋より名鉄犬山線で犬山遊園(図の右上)駅へ木曽川沿いに既存12天守で国宝5重要文化財7・・・国宝犬山城へ向かいます、尾州藩附家老成瀬家のお城ですね(今でも個人の城ですかネ?)。

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此れは江戸時代の城郭です、今は天守・本丸門・鉄砲櫓ですかね。

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木曽川上流側から見た犬山城天守です横面側ですね、当時は丁度下側の川沿いにも櫓が在りましたね。

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やはりアップでの犬山城です望楼型です入母屋の屋根上に切り込んだように乗っています、廻縁がみえます、下横は石落としですね。

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イザ、お城に大手道を上がります、右側が杉の丸、左側崖下が樅の丸、左奥の石垣の上が鉄砲櫓、正面石垣横が枡形構造で本丸門です。

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此れが本丸を守る鉄砲櫓の石垣です。

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大手門で枡形構造ですね。

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大手門脇から見た鉄砲櫓ですね。

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大手門をくぐり本丸から見た天守です。

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正面から見た所です、右側に付櫓(入り口を守る)、屋根の上に乗っていますね、唐破風がおしゃれですね、天守脇の窓が華頭窓です、三重四階地下二階です。

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入口左脇から見上げました右側突き出しが付櫓です。

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天守建物の内部です、急な梯子で登ります。

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廻縁から見た木曽川です、あの橋右側が駅です。

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これも廻縁から本丸と犬山の城下です、正面が本丸門・鉄砲櫓です。

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大手道を下ります、右側は樅の丸の堀ですね。

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下流の橋側からみた天守です、やや天気が悪くなりましたネ、石落としが川側に在りますね、秀吉はこの川側から攻め上りましたね。

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これもアップで如何でしょう?、流石既存天守12個の写真も漸くそろいましたね、以前は仕事の合間に来たので周りから見ていなかったかな?。













2017年10月11日 (水)

大垣城跡に行って来ました。

2017年10月8日(日)に大垣城跡に行って来ました、当日は大垣市の10万石まつりで賑わっていました。

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駅前通りを少し進むと右側に大垣城跡が在りました、大手門脇の丑寅隅櫓です、大垣城は関ケ原の戦いで石田三成の西軍の拠点になった事でも有名ですね、三重・四重の堀に囲まれた平城ですが戦前は国宝でした。

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戌亥隅櫓脇から見上げた天守です、今は町中と木々がありお城が見ずらい環境でした。

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少し中に入り見上げました。

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本丸中よりの姿です木々が多くもう少し離れたいのですが取れません、江戸時代の本丸は内堀内に二つの分かれた敷地が連結し虎口は一つの防御性の優れたお城みたいですが今は想像しずらいですね。

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お城を正面入り口から見ました。

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現在の大手門です右端が先程の丑寅隅櫓です。

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天守脇の黒門跡とありました、この周辺が堀で此処から橋で本丸へは入れたのでしょう?。

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西側からのお城です、此方がわ公園ですが今日はお祭りで沢山の方がいました、丁度も粽まき前でした。

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西門とお城と戌亥隅櫓です。

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江戸時代の城主戸田氏鉄公の像左が戌亥隅櫓です。

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木が邪魔して、此処で今餅まきが始まり私も二個ゲットしましたがチョット危険でした。

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関ケ原の戦いは1日で終わりましたがその後もここでは攻防戦は続いたのですが最後は裏切りが出て落城したのです、明日は犬山城・名古屋城です、清州城を計画しなかったのが残念ですが!!。










2017年10月10日 (火)

岩村城址に行って来ました。

2017年10月8日(日)に名古屋周辺のお城巡りに行って来ました、まず岩村城跡です。

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明知鉄道恵那駅から30分程で岩村に着きました、1車両の単線です。

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ここ岩村は松平の城下町です、城下の奥の山に岩村城があります。

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城下のメイン道路を進みます、今日はお祭りでした、帰りに見ましたネ。

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酒屋さんに女城主の看板が・・・・おつやさんです信長の叔母が此処遠山家に嫁いだのですが旦那が亡くなり・・・・その後武田軍の秋山虎繁が攻め無血開城・・・夫婦になったのですが信長の為後に殺されました・・・・。

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城下端から山の入り口から山頂にかけて岩村城です、完全な山城です・・・日本三大山城?の一つです。

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山麓にある岩村城太鼓櫓です。

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山道を登りしばらくすると石垣が出てきました、一の門です。

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この辺は山登りですね、横矢がかりのくねった道です。

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土岐門手前です、この辺から見事な石垣が在りますね。

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大手門を入ると両サイドが石垣の通路に入りました右側が三重櫓跡ですね。

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なおも進むと右側に菱型の石垣があり上が二の丸です。

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回り込むと本丸の石垣が見えます、左側はガケです、六段の石垣でとみに有名ですね、左側の石垣の上が東曲輪です。

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左側が東曲輪右側が長局・本丸側です。

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本丸の六段の石垣です。

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東曲輪から見上げた長局埋門です、本丸は石垣手前が長局奥が本丸と二段になっていますね。

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長局門跡です、切り込み接ぎの石垣ですね。

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本丸の六段石垣の上から見た登ってきた道です、正面左側が二の丸で菱型石垣が在ります。

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同じ位置から見た東曲輪と長局門方向です。

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本丸跡です、左側は井戸のあとで、奥が天守跡です。

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岩村城天守跡です。

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本丸脇の埋門跡です。

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味方を変えた埋門跡です、上が本丸、下が長局です。

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埋門を下から見た所です。

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埋門下からの石垣で石垣向こうが六段の石垣です。

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城下は祭礼でした、此れから大垣へ向かいます、結構山道での石段が歩くのに大変でしたが素晴らしいものでしたので満足です。





















2017年9月26日 (火)

川口の赤山陣屋跡(赤山城跡)に行って来ました。

2017年9月25日(月)に川口に墓参り行、帰りに赤山陣屋跡に行って来ました、西川口駅からバスで鳩ケ谷車庫行で曲輪バス停下車5分と在ったのですが、昼間は車庫行が無いとの事で鳩ケ谷団地行きのバスに乗りました、桜町2丁目から歩いたのですが15分位との事ですが道がわからず苦労しました、バス停の道を直進==>新井宿駅方面の丁字路を右側に==>赤山(交差点)を直進し手信号を左側に在りました。

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この地図では下側から赤山交差点にでて損のまま直進左中央です。

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関東郡代とは・・・将軍ーー老中ーー勘定奉行ーー関東郡代で天正18年(1590年)に家康が関東入国に時==>代官頭として伊奈忠次に任命(当時は伊奈町小室)、荒川・利根川の治水工事新田開発に手腕を発揮、2代目が幼く病没し改易、名門伊奈一族三代目として伊奈忠治が800石から勘定役から始め後に7000石となり赤山に陣屋を築いたのです寛永6年(1629年)彼も伊奈流の土木工事を駆使し徳川幕府の財政基盤を築いたとあります、赤山は2万4000坪の広大なお城なのです。

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本丸の周りは空堀で二の丸は自然の低地で囲まれた陣屋・・・お城、なお、三代目忠治は深川の埋め立て・永代橋の構築・宝永4年(1707年)富士山噴火の復旧とうの業績があります十二台163年間続いたのですが伊奈忠尊の時寛政4年(1792年)に郡代を罷免されたとありました、この当時は江戸打ちこわし・天明の大飢餓等幕府財政の悪化と合わせて辞めさせられたのでしょう?。

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その後関東郡代は廃止陣屋も取り壊され今に残るのは一部の空堀・土塁ですね。

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濠の土を積み上げた赤山日枝神社。

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わずかに残る空堀ですね。

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これも空堀です公園用に整理したのでしょう、右側が本丸側です。

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二の丸脇の方から見た本丸です、今は畑ですね、右側は空堀です。

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此れは右側本丸がわ左側が二の丸側です、空堀が当時は深甲斐のでしょうが?。

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上の空堀脇をくだり自然低地へでます、かなりに落差の上に右側本丸が在ります。

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先程の公園風空堀の中央部分表門側に碑があります、赤山城址とありました。









2017年9月 2日 (土)

岐阜に行って来ました(岐阜城跡・長良川鵜飼い)。

2017年8月30日(水)から9月1日(金)にかけて岐阜近辺に行って来ました、長良川の鵜飼いを見に行ったのですが、岐阜城にもよりました。

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岐阜市長良川です、目の前の山が金華山・・・山頂には岐阜城が・・・そうです斉藤道三・織田信長で有名ですね。

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川を渡り橋上からのお城です、望楼型の天守です。

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川の向かい側です、山の山頂木々の中なので全貌が撮れませんが、お城に行く時間が無く本日は此処までです。

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そうです長良川の鵜飼い見学が主ですから、早目の食事で見物船に。

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何匹かの鵜を手縄で操りアユを採らせますね、かがり火の明かりで魚を驚かせ採るみたいですね。

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鵜が沢山食べると船に上げアユを吐き出させまた採らせますね、結構流れるのと暗いので上手く写真は取れません。

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今日は宮内庁への奉納日で伝統漁法の総がらみも見えました、鵜舟が横隊になりアユを浅瀬に追い込み採るのです・・・ホウホウと掛け声をかけながら追い込みます。

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私だけ朝早くから岐阜城に上りました(次の見学に行く前に走って行って来ました)、

金華山ロープウエーで往復、下台所からの天守です。

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山城で狭い曲輪からなので天守全貌が見える個所がわずかなのです、山は岩場なので防御性が高いですね、この城の手前下に水場が有るのです。

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天守入り口の石垣です、下からは全体が見えないのです。

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上台所からの天守です。

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此れは山下の織田信長居館跡の虎口の冠木門です、低い石垣に囲まれた日常的な館跡です。










2017年8月20日 (日)

二本松城跡に行って来ました。

2017年8月18日(金)朝から雨の為本日も安達太良山は無し二本松城跡へ行って来ました。

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二本松駅前から歩いて丘陵の向こう側にある二本松城跡(別名霞城)へ駅近くの薬局にて虫よけスプレーを購入しイザ見参・・・これで三度目の登城ですかね、丹羽長秀の孫の光重10万700石のお城です、豊臣秀吉が一時期名乗った羽柴の文字です・・・・戊辰戦争の悲劇の城ですね。

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二本松城跡の復元された箕輪門です、手前の千人溜まりにある像は少年隊の像です、戊戊辰戦争が始まる前に白河小峰城の城代を丹羽氏が行っていたため白河口での備えに多くの兵が出かけたため、少年・老人兵が防御していたのです。

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枡形構造の立派な城門(箕輪門)。

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本日は雨の為駐車場も空で石垣も良く見えました、この石垣の向こう側が三の丸です、菊人形の準備をしていました。

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門を入り枡形の石垣を回り込み城門内側を見ました。

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此れが城門石垣をUターンさせる枡形石垣です・・・・立派な防御システムですが、一日で落城しました、刀や槍の旧軍備では薩長土の新軍備には適しなかったのです。

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御姫様御殿も石垣に囲まれた御殿ですが。

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これは二合田用水です、安達太良山中腹から18K山中を通して水をひいたのです、幕府に届けず無許可での工事だそうです、この先が搦め手門です、山の上ですね。

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搦め手門の石垣です。

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搦め手を少し上ると本丸の石垣(復元)が現れます。

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本丸への虎口ですね、いまだ雨は降り止まず。

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本丸脇に天守台跡が昔三重の天守が在ったそうです、天守脇の碑は戊辰戦争での落城時に自決した家老の碑です、慶応4年(1868年)戊辰戦争、奥羽越列藩同盟に参加し会津を支援したのですが、旧態依然の軍備のため多くの人命が失われての責任自決です、さぞかし無念ですね。

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この石垣は旧の石垣の野面積みが見られます。

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平山城ですが本丸下にある日影の井戸です、朝からの雨が昼過ぎても降りやまず、早めに今日も温泉へ戻ります。









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