2019年12月31日 (火)

訪問城郭2019年の一部を年賀用に集約。

2019年に訪問した城郭の一部を年賀用にまとめました。

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一乗谷の朝倉氏の館跡です、御存じ織田信長に滅ぼされましたが、周囲を山に囲まれた防御の高いお城ですね、この後の山が一乗谷城です。

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復原された城下町ですね、都が荒れ此処一乗谷は高い文化を誇っていたのですが。

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朝倉氏の詰めの城・・・・一乗谷城です一乗谷山473mの高所にあり、下の館を周囲の山上で守っていたのですが・・・。

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千畳敷(本丸)の上の尾根にある、一の丸・・・・三の丸(此処が一番高い)です、この日は天気が悪く雹が降り一時は真白でしたあわや遭難ですね。

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兵庫県明石の明石城坤(ひつじさる)櫓です、小笠原氏10万石のお城ですね、後に松平氏に代わりますが。

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本丸虎口から見た明石城です、巽櫓(たつみ)奥が坤櫓です、新幹線からも良く見えますね。

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昨年も出ましたが、金沢城の河北門(大手門・・・三の丸)、一の門・奥が二の門・手前が睨み櫓台ですね。

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金沢城の搦め手門石川門・・・二重櫓・渡櫓・長屋の構成ですね、この中が三の丸で、その先に橋爪門・・・二の丸、本丸は、この左側の高台方面ですね。

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岸和田城の連立天守です、本丸城内より。

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城外から見た岸和田城、輪郭式平城で当時は五重五階・・・現在は三重三階ですが、小出秀政・・後松平氏。

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出来立てのお城です、尼崎城です、戸田氏鉄5万石。

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尼崎城・・平成30年に外観復元。

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伏見城、連立天守ですね、豊臣秀吉・・・、その後徳川家康が築城、その後廃城となり、二条城・淀城・福山城へ移築しましたね、江戸城の皇居にも伏見櫓の名前があります。

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伏見城です・・・豊臣秀吉が築城した伏見城はまず地震で倒壊・次に関ケ原の戦いの前哨戦で焼かれました。

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今回は建物が無く石垣のみですが、此れが凄い、奈良の高取城跡です、三の丸の虎口の石垣です、高取山は584mで比高440mです、全くの山の中に豊臣秀長が構築したお城ですね・・・・竹田城に通じるものが感じられますね。

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中の石垣上から見た枡形の御門です、此れだけでも凄いのに・・・・・。

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先程の三の丸の奥の二の丸から見た本丸への虎口の高取城の石垣です。

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此れが、高取城本丸の虎口の石垣だ、・・・・・只々・・・病的に近い防御性のお城ですね・・・これが584mの山頂の本丸石垣ですから。

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当然これ程ですからね、三大山城の一つに上げられますね。

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これはやはり三大山城の美濃岩村城の六段石垣です、標高721mにある山城で、織田信長と武田信玄との合戦場ですね。

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これは現存12天守の一つ備中松山城の石垣ですね、標高480mの三大山城です、山中でお城の買い手がつかず取り壊されず残ったとか?。

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長野の荒砥城、山田温泉の裏の山です、此れも詰めの城で普段はこの下に館が有ったのですね。

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これは荒砥城二の丸です、本丸からの撮影です、当時の山城を再現したものですね、村上義清の葛尾城は物見やぐらの向こうの山です、武田信玄と激戦したのです、下を流れるのは千曲川です。

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小諸城の二の丸の虎口と石垣です、武田信玄の家臣山本勘助築城?、仙石氏が改築。

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小諸城の天守石垣です。

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新庄城です、戸澤政盛6万石が築城、戊辰の役で炎上。

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米沢城、伊達家・上杉家‥‥直江兼続・上杉景勝の城。

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太田の金山城の大手門口の石垣、源家の新田氏の一族由良氏の城、上杉謙信・武田信玄らが攻めるが持ちこたえた名城。

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この奥が金山城本丸。

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広島城二の丸虎口。

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広島城天守、毛利輝元が築城高田郡山城から移る・・・関ケ原以後、福島正則・・・・。

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岩国城(山の上)、毛利家両川の吉川氏築城。

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岩国城・・・元和元年一国一城令で廃城わずか7年、毛利家は萩城となる。

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福山城・・・・新幹線ホームより、月見櫓・鏡櫓・天守、明石城同様この山陽本線近くの城堀は・・・、隣の三原城(毛利の両川小早川)は本丸が真っ二つに。

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本丸城内より見た福山城・・・・此処福山城には伏見城からの建物が現存していました。

 

 

2019年12月11日 (水)

三原城跡に行って来ました(毛利家の両川の小早川隆景の城)。

2019年12月5日(木)に三原城跡に行って来ました、此処広島県三原市の三原城は毛利家の両川と言われた毛利元就の子、隆元・吉川元春・小早川隆景のうちの隆景の居城です、元は三原市本郷の高山城・新高山城でしたが、この三原に城を築城・・・瀬戸内海を収めたのです、隆景は豊臣秀吉から秀秋(当時12歳)を毛利家の養子にとの話があり、毛利本家でなく小早川家へ収めた話は有名ですね・・・あの関ケ原で東軍に寝返った人で・・・豊臣秀頼が生まれ邪魔にされ実力も無く21歳の若さで早死にしましたねアル中だとか、隆景はその結末までは知りませんが。
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三原城の天守の石垣です、新幹線ホームからです・・・三原城付近は山と海が近く鉄道が三原城を横切り遺構がこの濠と石垣のみです。
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駅の窓辺に三原城跡の碑が見えます、この上が本丸で此処は本丸。
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駅脇から天守台跡に出ます、右脇は西国街道で山が迫っていますね、この山麓にお寺が多数あり城の外郭をなしているのです。
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天守広場です。
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縄張り図・・・・三原城は海側の大小の岩場の上に築いた海城なのです、三大海城、ここ三原城・高松城・今治城です、小早川隆景は知将で有名ですからね、真ん中が本丸で両サイドの郭、現在は頭の少しが天守台石垣と堀と本丸右下の出っ張た部分舟入櫓部分が明確ですね。
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新幹線の下側にも隠れ石垣が・・・。
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山側の西国街道側南西から見た水堀と天守石垣。
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角度をかえて北側から。
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ここは駅脇から見た石垣です(東側)。
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駅・・新幹線したの石垣です・・・すこし保存。
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駅・・・南側(海側)に残る本丸中門の石垣、西側の曲輪へ繋がる虎口ですね、脇に一番槍櫓跡も。
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舟入櫓跡の説明。

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昔の城と現在を重ねました図・・・舟入櫓の場所は海につきだしていて船が入り込む入江ですね、因島の村上水軍は目の前ですからね・・・・毛利の水軍は当時有名でこの小早川隆景が頭領なのです。
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舟入櫓の石垣を外側から見て回ります。
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当時は此処が海に面した先端ですね。
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櫓はここまででこの先は当時船溜まりなのでしょう。
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右奥が舟入櫓、此方側は入り江でこの辺りに軍船がもやっていたのでしょうね?。
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糸崎神社です、三原の隣の駅。
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糸崎神社の楠の巨木?、三原市本郷の新高山城跡に行く時間が無くなり少し寄り道しました、確かに根元は太いのですが?、バスで本郷を通ったので新高山の城跡の看板が見えました残念でしたが、バスの本数も少なく結構移動しながらアチラコチラ回るのは難しいので此処までです。

 

 

 

2019年12月10日 (火)

福山城に行って来ました。

2019年12月5日(木)に福山城跡に行って来ました、今日は広島から福山城・三原城・新高山城・広島空港の予定でした。

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福山駅新幹線ホームから見た福山城です、元和5年(1619年)徳川譜代の水野勝成が備後10万石の領主となり築いたお城ですね、城の石垣スレスレに鉄道が・・・。

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同じくホームから角度を変えて見ました。

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ホームヤヤ後ろ(広島側)から見た本丸石垣と伏見櫓(現存)。

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ホーム前方から見た福山城、手前が月見櫓・鏡櫓・天守閣・・・・いい景観ですね石垣・櫓・・・・・これぞお城ですね。

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福山駅周辺です、流石に水堀はありませんが、駅裏に福山城です。

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昔の福山城・・・大手門辺りは丁度駅ですね。

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本丸への虎口、正門です右側が筋鉄御門(現存)、左側の伏見櫓とこの御門は、築城に当たり伏見城から移築したものとか、将軍に可愛がられていたのですね。

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本丸南面、筋鉄御門・多門櫓・御湯殿・月見櫓と在ります。

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振り返ると、伏見櫓・筋鉄御門・多門櫓。

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もう少し近ずいて、御湯殿・月見櫓。

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城内石垣上から見た筋鉄御門。

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本丸城内に入り、筋鉄御門横から見た伏見櫓・・・三層の隅櫓で将軍秀忠の贈り物ですね。

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本丸から見た(南側)福山城五層六階地下一階隣に二層三階の付櫓、高覧廻縁で唐破風・千鳥破風を設けた堂々としたお城ですね。

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角度を変えながらお城を見ていきますね。

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城内西側にある鐘櫓。

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本丸東側に有る二の丸への虎口と石垣。

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二の丸虎口から振り返り見た鏡櫓と奥が月見櫓。

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二の丸虎口から見た福山城、右側は二の丸石垣。

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二の丸です、像は水野勝成。

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二の丸から見た福山城。

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二の丸から見た鏡櫓・月見櫓。

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北側庭園内から見た所。

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西側本丸下から見た鐘櫓。

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駅前東南方面から見た石垣・月見櫓・鏡櫓・福山城天守閣、イヤー見事なお城です、此れより三原城へ・・・なんと駅に電車が来ない信号機トラブルとかで12時近くになると!!!、結局大幅に遅れ新高山城跡はパスすることに(泣き)・・・次は三原城へ。

 

 

2019年12月 9日 (月)

岩国城跡に行って来ました(岩国城・錦帯橋)。

2019年12月4日(水)に山口の岩国城跡に行って来ました、広島の毛利一族の本拠地高田郡山城を散策後、この山口のJR岩国駅へバスで錦帯橋へ此れから岩国城です。

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岩国の錦川の山沿いに岩国城があり、お城と城下町を繋ぐ橋があの有名な錦帯橋です。

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錦川に架かる錦帯橋です、石積の橋脚が4個に5連の太鼓橋が釘を使わず木造の橋で有名なのです。

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橋の向こう側の横山山頂にお城が見えますね・・・岩国城です、橋は1673年三代藩主吉川広嘉が城下への橋が川の増水で流失するので流されない橋を指示で来たそうです。

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川から見上げた岩国城です、毛利家は関ケ原の戦いの後で周防・長門2カ国に減封、ここ岩国城は毛利両川と言われた、吉川元春の子広家が築いたお城です、慶長8年1608年完成した山城で山麓には御土居と呼ばれる通常の生活空間をもった中世の城郭なのです、しかし、元和元年1616年の1国1城令により破却されたお城なのです。

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もう一度橋の真ん中より、この正面のロープウェーから山頂へ今は登れるのです。

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山麓にある藩庁跡です石垣水堀に囲まれた城郭です、櫓に見立てた錦雲閣。

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ロープウェーから御土居の水堀・錦雲閣、左側一帯が岩国藩藩庁。

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上から見た錦帯橋なのです。

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岩国城縄張り図です、山頂を削平した山城で大きく三個に分かれた曲輪ですね。

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本丸西側下にある井戸、水の手郭です。

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水の手郭の横から登・・本丸と二の丸の間にでます。

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二の丸ですね。

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本丸です、三層四階の上に物見を置く建物で上の階が下の階より張り出した桃山風南蛮造りと呼ばれるそうです。

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50m程奥に当時天守台石垣がありました、岩国城を復元するにあたり錦帯橋から見える位置にお城をずらしたのです、この奥右側が空堀・北の丸方面です。

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天守台石垣方面から見た岩国城です。

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此処が北の丸です、右側が空堀。

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空堀(堀切)左側が北の丸、右側が本丸です。

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天守から見た錦川、錦帯橋・・・左側が御土居(御舘)の辺りですね。

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もう一枚岩国の町と瀬戸内海。

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もう一枚岩国城。

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二の丸の虎口。

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二の丸虎口を下、右側の石垣の向こう側からも同じような虎口があり、両方から挟む作りとか。

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これは二の丸西側に有る石垣で当時の石垣も随所にみられるとか・・・北の丸方面にもあるみたいですね、城は破却したが積極的ではなかったみたいですね、明日は福山城・三原城・新高山城を散策し帰路に・・・・・でもアクシデントが発生・・・。

 

2019年12月 8日 (日)

高田郡山城に行って来ました(毛利一族のルーツ)。

2019年12月4日(火)に広島県吉田市高田の郡山城に行って来ました、此処は毛利一族の居城で此処から大きく羽ばたいたのです、毛利元就の居城の、吉田盆地を見渡す可愛川・多治比川の合流点の北側に築かれた山城です、山上と山麓部で構成された中世の城郭ですね。

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広島のバスセンターから90分ですが朝の渋滞で2時間弱近くかかりましたかネ・・・雨が降ったり止んだりでハラハラ・・、帰りは途中のJR可部駅で下車し横川駅にでました。

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歴史民俗博物館(上の地図左下)の脇から時計回りに山城へ(結局搦め手方面から)。

毛利隆元の墓所です、毛利元就の長男ー毛利隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景・・・三本の矢の話は有名ですね、急死で毒殺説も?。

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毛利一族のお墓と奥に毛利元就の墓がある洞春寺跡です・・・全くのお城裏側コースから入ってしまいましたね。

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お墓の上横から、イザお城へ・・・・。

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ハイキング気分で・・・目指すお城は右奥に見える向こう側の山です。

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漸く着きました、お蔵屋敷の脇へ、曲輪ですが・・・・此処の呼び名は壇・・と呼ばれる。

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此処は二の丸への上り路ですね、二の丸前に帯曲輪が有りますが。

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帯曲輪から二の丸への虎口、上が二の丸で右側が三の丸方面です。

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虎口から見た二の丸、奥の段丘上が本丸と続きます、右側下が三の丸。

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二の丸から見た三の丸ですね。

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二の丸です、奥の上が本丸と櫓台です。

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二の丸虎口から見た本丸と奥が櫓台です。

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本丸櫓台跡です。

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櫓台から見た下が本丸、その先が二の丸、三の丸と続く連格式城郭ですが、他にも沢山の曲輪(壇)が尾根上に有ります。

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二の丸から見た三の丸。

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三の丸です・・・・この先にも小さな壇があります。

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お蔵屋敷から下る路の横が最大の壇、勢溜の壇です、幾つかの段丘の開かれています。

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段丘の先に展望が開けます・・・・高田の町が眼下に。

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壇の横の道ですが急坂です上る敵を上から追い落とせますね、此処は毛利元就が天文9年(1540年)尼子勢3万の大軍をむかえうけ5か月耐えたお城なのです(郡山の合戦)、山全体が城郭で比高190mでの防御なのです。

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途中にも尾崎丸の曲輪がありました、尾根を削平し堀切・切岸で囲ったものですね。

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安芸高田市役所前から見た郡山390mの城山です、展望台に”いちもんじみつぼし”の長州毛利家の旗が、此れから、昨日どうしようかなと考えていた武田の銀山城を横目に見ながら岩国城へ向かいます、方向が違うので・・・・。

2019年12月 7日 (土)

広島に行って来ました(毛利一族の城跡巡り・広島城)。

2019年12月3日(火)から5日(木)にかけて、毛利一族の城跡を巡ってきました、まずは広島城からです。

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飛行機の機内から良く見えました、冠雪の南アルプス・・・山名?。

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上が東側ですね、JR広島駅の方向で縮景園(後程)は裏御門から真っ直ぐ先、原爆ドームは右側700M位先です、広島城は三大平城の一つで他は名古屋城・岡山城で戦前は三つ共国宝でしたが、先の大戦で三城とも焼失・・・残念なことですが三城とも復元されましたね、上側に京橋川、下側に太田川にはさまれた三角州で三重の堀(内堀・・(現存)・中堀・外堀)の輪郭式平城です、毛利輝元が本拠地の安芸高田の郡山城から新たに築城したものです、当時豊臣政権下で112万石の大大名です、天正17年(1589年)。

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当時の三の丸(合同庁舎側)から見た内堀・二の丸の太鼓櫓・多門櫓・平櫓です。

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二の丸正面・・・御門橋・表御門・・・・右側は平櫓です。

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二の丸内部から見た太鼓櫓と多門櫓です。

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原爆の爆心地から740mの距離ですが二の丸城内ユーカリとマルバヤナギの木は被爆の木ですが元気に頑張っています。

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二の丸から本丸への虎口・・・中の御門ですね、右側の木がが被爆の木マルバヤナギです。

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本丸の石垣の上から見た二の丸全景と右側の手前の木がユーカリです。

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細長い本丸の奥(北側)に有る天守です5層5階の堂々としたものです、最上階は華頭窓で高欄廻縁です。

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天守から見た南方面(原爆ドーム方面)本丸城内と西側の内堀。

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東側から見た天守、唐破風は広島城はありませんね。

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裏御門跡です、虎口は2個のみですね。

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東側の内堀と石垣です広島城は櫓の数が多く石垣沿いに多数の櫓が存在していたのです。

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再び南側へ。

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少し西側へ回り込んでの広島城。

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少しずつ堀沿いを進みながら。

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すこしアップで。

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北西の角から見た広島城と堀に映る逆さ城。

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縮景園・・・江戸時代浅野家の大名庭園泉水式庭園・・・夕照庵と紅葉。

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同じく。

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濯えい池と跨虹橋(太鼓橋)と清風館。

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濯えい池と水心島、如何ですか、広島城、予定では武田山の銀山城(安芸の守護武田家の山城)も見たいと思っていたのですが、ゆっくり見ていたらとても無理なので諦めました、明日は朝早くから、毛利家の本城の高田郡山城へその後岩国城へ登城します。

 

2019年11月 9日 (土)

飯田城跡に行って来ました(斑尾高原)。

2019年11月4日(月)から6日(木)まで斑尾高原に行って来ました、飯山駅まで新幹線なので飯山城跡を散策しました、飯山駅から寺町方面へ歩いて行きました、あまり電車の本数が無いので・・15分ー20分位と一駅(北飯山駅)意外と近くでした。

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高橋まゆみ人形の店の角を曲がればすぐですね、この奥が少し高台で飯山城です、この辺りはお堀でしょうかネ。

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飯山城の縄張り図です、上が千曲川(東)で私は右下から入りました、この城は上杉謙信が甲斐武田との前進基地として改修したお城です、江戸時代は色々大名が変わりましたが、本多家が飯山藩2万5千石で明治を迎えました、・・・武田対策では逆方向の城向きなのですね(左側が越後側なのですから)、でも後堅固な作りとか水堀が大きく土塁が高く急な造りでいきなり本丸ですからね、それと下側の飯山街道脇は山側で寺が山沿いに並び街道を見ていますね、沢山の寺は当時越後から信州善光寺への軍隊を派遣する拠点だったのでしょう、春日山城ー鮫ケ尾城(御館の乱)-飯山城は近いですからね・・貴重な防衛ラインでもあるわけですからね。

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飯山城の駐車場石垣・・・此処はお堀跡なのでしょう。

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石垣上に復元した城門・・・江戸期には十幾つかの門が有ったとか・・・どこの御門かは?、左下が先程の石垣右側の土塁上が西の丸で門奥から回り込むように西の丸へ・・・・今はこの右側から西の丸へ直接上がれますが。

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御門を潜り抜け、振り返りました、左側上がが西の丸です。

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西の丸の虎口上です下の道から上がって来た所ですね、正面方向が本丸です・・・今は葵神社への登り口ですが、昔は無く左方面から二の丸へ登要でした。

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西の丸です、右側下が先程の御門からの道になりますね。

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西の丸端(南側)奥が本丸下の帯郭の土塁です、土塁が割れていますが(葵神社への道)昔は無かった。

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先程の分岐の道から左側奥へ・・・右側は葵神社への道で昔は無かったはず、此処が三の丸への上がり路のはずですね。

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石段を上らず三の丸脇を進む、北中門跡とか、奥が三の丸土塁です、この右側方面は現在グランドで当時堀があり北郭の外郭が有った場所ですね、お城は越後方面の防御構造ですね、20mの丘を切り崩し構築した梯郭式平山城ですからね。

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先程の階段を上ります、三の丸です、右側は二の丸の土塁ですね、奥は千曲川側です。

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二の丸の少し入った所から左が登り口、奥が三の丸、此処は二の丸の虎口ですね。

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二の丸虎口から見た二の丸と奥が本丸の石垣と建物は葵神社です。

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本丸石垣上から見た二の丸全景です・・・江戸期は此処が殿さまの御殿場所とか。

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二の丸脇から見た千曲川です、結構高いですね。

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二の丸から見た本丸石垣です、正面が本丸門の石垣枡形構造。

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同じく裏側の虎口の本丸石垣・・・搦め手門側です。

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本丸から見た搦め手の虎口。

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本丸南西の端二重櫓跡?から見た、下が帯曲輪と先程の西の丸・・・真ん中の石垣の道は当時は無かった?。

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同じ場所から見た南側です、現在は学校?、急な高い土塁の斜面と広い水堀で当時は防御。

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同じ場所からの本丸・・・現葵神社です。

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本丸にある葵神社Ⅾえす。

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本丸御門の石垣。

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本丸御門の石垣・・枡形構造。

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少し角度を変えて。

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二の丸側から見た本丸御門・・・・。

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此処は二の丸から続く帯曲輪です、右側が本丸です。

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現在の葵神社への登り口・・・・昔は無かった・・帯曲輪の一部、正面下側は現在弓道場ですが、大手門筋の城内の曲輪跡ですね。

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現在の葵神社への登り口です、昔は無かったのです・・・石垣か土塁か?、少し姿が変わっていますが当時の面影が色濃く残ていますね。

 

2019年7月 1日 (月)

猪苗代城跡に行って来ました(巨木天子のケヤキ)。

2019年6月27日(木)福島の猪苗代町の巨木天子のケヤキと猪苗代城跡に行って来ました。

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天子のケヤキ・・・私有地立入禁止の看板がありました、ごめんなさい。

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樹齢伝1000年幹回り15・4mと日本でもトップクラスのケヤキですが中が崩れて大きさが解りずらいですね、昨年の東根のケヤキはハッキリしていましたが、この時期周りの木々と草もあり益々はっきりせず・・・。

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少し盛り上がった台地に建っています、周りの木が邪魔しているので全体像が此処までですね・・・それだけ大きのですが、お地蔵様もお顔が見えませんね。

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全体が入らないので中心のアップ・・・凄さが解りますかネ、石の社と地蔵様。

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上部もアップで木の皮で栄養が伝わり枝も頑張っていますね。

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裏の道方面からの天子のケヤキ草があり左側が解りずらいが一本なのでしょうね?、割れて分かれてしまったのでしょう、冬で草葉が無い時期でないと(雪も)駄目ですね、此れからすぐ横の猪苗代城跡へ行きます。

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天子のケヤキが有る所から近いのです、猪苗代城跡は図の右側で左側上が鶴嶺城跡と二つのお城が有るのですが、途中雨模様なので猪苗代城跡を見て回りました。

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これが古地図の猪苗代城跡です、豪族猪苗代氏のお城で後に会津藩の支城(一国一城の例外みたい)戊辰戦争で落城しましたが、天子のケヤキは中央右側の城下の所ですね、絵でもわかりますが磐梯山南山麓の高台にあります。

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猪苗代城大手口多門櫓台石垣・・・土塁と石垣(会津時代でしょうか)、いざ見参。

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大手門跡、右石垣が多門櫓台石垣で喰い違い門で右側にすぐ左側へと上ります。

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多門櫓横から突き当り左側に井戸がありますが井戸手前を左側へと進みますね。

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お城の中段に帯曲輪があり二の丸・本丸を囲んでいますね、奥上が本丸です。

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最初の階段を上り喰い違いで本丸の階段へと繋がります、この帯曲輪が一周しています、この石垣帯郭法面石垣と説明あり。Dsc06406

帯郭を時計回りに回りますね、本丸へは後程。

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帯郭の胴丸跡から大手口をみます、井戸も見えますね。

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此処が南帯郭跡です。

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南帯郭からの景色です、左奥が猪苗代湖です。下は歴史資料館の一部。

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南帯郭から見た二の丸土塁。

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二の丸搦め手道、石垣は本丸隅櫓台です。

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西側の土塁と下に空堀が見えますね。

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北帯郭から見た土塁下、この左側奥方面に鶴峰城跡があるみたいです。

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漸く本丸登り口へ。

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左右に分かれますが、左側の二の丸へ、上の石垣が二の郭櫓門です。

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この石垣は二の郭櫓門東側石垣。

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二の郭から見た本丸黒門跡ですね。

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二の郭上から見た南帯郭ですね。

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二の郭から見た本丸方面、左側石垣が先程の本丸隅櫓台跡で搦め手道、右側は黒門の石垣跡でしょうかネ。

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猪苗代城本丸です背景に会津磐梯山です、鶴峰城跡は出来れば次回にでも?、小ぶりですが良いお城でしたね、此れで今回の大人の休日15000円切符は終わりです・・・・明日は別の旅行が入り三日で終わりです、連続は疲れますね。

 

 

2019年6月30日 (日)

山形米沢城跡に行って来ました(上杉神社)。

2019年6月26日(水)に山形の米沢城跡に行って来ました、御存じ上杉謙信を家祖とした米沢藩上杉家のお城です、伊達政宗が生まれたお城とも、謙信亡き後上杉景勝が秀吉の命で会津120万石に移封、米沢は家臣の直江兼続が30万石で収めましたが、関ケ原の戦いで30万石に減封此処米沢を与えられたのですが、藩士の召し放ち(解雇せず)をせず沢山の藩士が溢れたとか。

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当時のお城と城下町です、現在は中央部分近辺の堀と土塁が遺構でしょうか?。

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現在は公園で中央が本丸の上杉神社。下側が二の丸跡とか。

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この旗を見れば米沢藩?越後の上杉謙信が先に浮かびますね、本丸に架かる舞鶴橋です。

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本丸の堀です、米沢城は殆ど石垣は無く土塁です。

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舞鶴橋左側の濠、向こう側が二の丸で上杉伯爵邸です。

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上杉謙信の像。

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上杉景勝・直江兼続の像。

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上杉鷹山(9代藩主上杉治憲)の像と名言が、沢山の家臣を抱えて財政の窮迫が進行し倒産寸前から再建・・・なせばなる・・・。

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上杉神社・・・米沢城本丸跡。

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上杉神社本殿、米沢城は平城で町中の為遺構は堀と土塁、上杉家の関連神社でしょうか、昨日・今日と長野山形とお城を巡りましたがやや消化不良なので明日も続行しますね疲れましたがね。

 

2019年6月29日 (土)

山形新庄城跡に行って来ました。

2019年6月26日(水)に山形の新庄城跡に行って来ました。

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 新庄駅から歩いていきましたが今日は凄く暑く大変・・・こぶとり爺さん通りを歩きましたね、正面下側の中央が大手門跡です。

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大手門跡の石垣です、右側が歴史資料館。

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大手門跡の公園の奥が新庄城跡(今は戸澤神社)の堀と本丸跡です。

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堀と土塁が当時の面影を本丸跡に戸澤神社が・・・新庄藩は戸澤正盛(6万石)のお城です、明治まで継続。

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当時の新庄城で水堀の平城ですね。

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神社左脇に表御門跡の石垣が対で残っています、左側が中印?、右側は心字池があり裏門跡が横方向にありますからね。

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本丸を左側方面へ進み本丸から外に出た所が二の丸跡です、釣り人が魚を釣り上げていました、此れからお城の堀を見て回ります。

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堀に奇麗な睡蓮が咲いていたので・・・・。

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本丸裏側にはアジサイの花が咲いています、アジサイ祭が開かれるみたいですね。

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裏側を回り込み裏門側まで来ました、水堀が今は此処までです、此れから又本丸へ入ります。

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本丸の戸澤神社右脇の心字池です。

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戸澤神社です、左隣に護国神社(天守台跡)、その先が天満神社があります。

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これが天満神社・・・学問の神様です。

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堀の外から 武器矢倉跡です、土手 の隅には櫓があったのです、戊辰戦争で戦火にあい炎上したのです。

 

 

 

 

 

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