2019年7月 1日 (月)

猪苗代城跡に行って来ました(巨木天子のケヤキ)。

2019年6月27日(木)福島の猪苗代町の巨木天子のケヤキと猪苗代城跡に行って来ました。

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天子のケヤキ・・・私有地立入禁止の看板がありました、ごめんなさい。

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樹齢伝1000年幹回り15・4mと日本でもトップクラスのケヤキですが中が崩れて大きさが解りずらいですね、昨年の東根のケヤキはハッキリしていましたが、この時期周りの木々と草もあり益々はっきりせず・・・。

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少し盛り上がった台地に建っています、周りの木が邪魔しているので全体像が此処までですね・・・それだけ大きのですが、お地蔵様もお顔が見えませんね。

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全体が入らないので中心のアップ・・・凄さが解りますかネ、石の社と地蔵様。

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上部もアップで木の皮で栄養が伝わり枝も頑張っていますね。

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裏の道方面からの天子のケヤキ草があり左側が解りずらいが一本なのでしょうね?、割れて分かれてしまったのでしょう、冬で草葉が無い時期でないと(雪も)駄目ですね、此れからすぐ横の猪苗代城跡へ行きます。

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天子のケヤキが有る所から近いのです、猪苗代城跡は図の右側で左側上が鶴嶺城跡と二つのお城が有るのですが、途中雨模様なので猪苗代城跡を見て回りました。

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これが古地図の猪苗代城跡です、豪族猪苗代氏のお城で後に会津藩の支城(一国一城の例外みたい)戊辰戦争で落城しましたが、天子のケヤキは中央右側の城下の所ですね、絵でもわかりますが磐梯山南山麓の高台にあります。

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猪苗代城大手口多門櫓台石垣・・・土塁と石垣(会津時代でしょうか)、いざ見参。

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大手門跡、右石垣が多門櫓台石垣で喰い違い門で右側にすぐ左側へと上ります。

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多門櫓横から突き当り左側に井戸がありますが井戸手前を左側へと進みますね。

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お城の中段に帯曲輪があり二の丸・本丸を囲んでいますね、奥上が本丸です。

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最初の階段を上り喰い違いで本丸の階段へと繋がります、この帯曲輪が一周しています、この石垣帯郭法面石垣と説明あり。Dsc06406

帯郭を時計回りに回りますね、本丸へは後程。

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帯郭の胴丸跡から大手口をみます、井戸も見えますね。

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此処が南帯郭跡です。

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南帯郭からの景色です、左奥が猪苗代湖です。下は歴史資料館の一部。

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南帯郭から見た二の丸土塁。

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二の丸搦め手道、石垣は本丸隅櫓台です。

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西側の土塁と下に空堀が見えますね。

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北帯郭から見た土塁下、この左側奥方面に鶴峰城跡があるみたいです。

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漸く本丸登り口へ。

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左右に分かれますが、左側の二の丸へ、上の石垣が二の郭櫓門です。

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この石垣は二の郭櫓門東側石垣。

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二の郭から見た本丸黒門跡ですね。

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二の郭上から見た南帯郭ですね。

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二の郭から見た本丸方面、左側石垣が先程の本丸隅櫓台跡で搦め手道、右側は黒門の石垣跡でしょうかネ。

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猪苗代城本丸です背景に会津磐梯山です、鶴峰城跡は出来れば次回にでも?、小ぶりですが良いお城でしたね、此れで今回の大人の休日15000円切符は終わりです・・・・明日は別の旅行が入り三日で終わりです、連続は疲れますね。

 

 

2019年6月30日 (日)

山形米沢城跡に行って来ました(上杉神社)。

2019年6月26日(水)に山形の米沢城跡に行って来ました、御存じ上杉謙信を家祖とした米沢藩上杉家のお城です、伊達政宗が生まれたお城とも、謙信亡き後上杉景勝が秀吉の命で会津120万石に移封、米沢は家臣の直江兼続が30万石で収めましたが、関ケ原の戦いで30万石に減封此処米沢を与えられたのですが、藩士の召し放ち(解雇せず)をせず沢山の藩士が溢れたとか。

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当時のお城と城下町です、現在は中央部分近辺の堀と土塁が遺構でしょうか?。

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現在は公園で中央が本丸の上杉神社。下側が二の丸跡とか。

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この旗を見れば米沢藩?越後の上杉謙信が先に浮かびますね、本丸に架かる舞鶴橋です。

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本丸の堀です、米沢城は殆ど石垣は無く土塁です。

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舞鶴橋左側の濠、向こう側が二の丸で上杉伯爵邸です。

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上杉謙信の像。

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上杉景勝・直江兼続の像。

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上杉鷹山(9代藩主上杉治憲)の像と名言が、沢山の家臣を抱えて財政の窮迫が進行し倒産寸前から再建・・・なせばなる・・・。

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上杉神社・・・米沢城本丸跡。

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上杉神社本殿、米沢城は平城で町中の為遺構は堀と土塁、上杉家の関連神社でしょうか、昨日・今日と長野山形とお城を巡りましたがやや消化不良なので明日も続行しますね疲れましたがね。

 

2019年6月29日 (土)

山形新庄城跡に行って来ました。

2019年6月26日(水)に山形の新庄城跡に行って来ました。

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 新庄駅から歩いていきましたが今日は凄く暑く大変・・・こぶとり爺さん通りを歩きましたね、正面下側の中央が大手門跡です。

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大手門跡の石垣です、右側が歴史資料館。

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大手門跡の公園の奥が新庄城跡(今は戸澤神社)の堀と本丸跡です。

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堀と土塁が当時の面影を本丸跡に戸澤神社が・・・新庄藩は戸澤正盛(6万石)のお城です、明治まで継続。

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当時の新庄城で水堀の平城ですね。

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神社左脇に表御門跡の石垣が対で残っています、左側が中印?、右側は心字池があり裏門跡が横方向にありますからね。

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本丸を左側方面へ進み本丸から外に出た所が二の丸跡です、釣り人が魚を釣り上げていました、此れからお城の堀を見て回ります。

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堀に奇麗な睡蓮が咲いていたので・・・・。

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本丸裏側にはアジサイの花が咲いています、アジサイ祭が開かれるみたいですね。

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裏側を回り込み裏門側まで来ました、水堀が今は此処までです、此れから又本丸へ入ります。

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本丸の戸澤神社右脇の心字池です。

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戸澤神社です、左隣に護国神社(天守台跡)、その先が天満神社があります。

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これが天満神社・・・学問の神様です。

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堀の外から 武器矢倉跡です、土手 の隅には櫓があったのです、戊辰戦争で戦火にあい炎上したのです。

 

 

 

 

 

2019年6月28日 (金)

小諸城跡(懐古園)に行って来ました。

2019年6月25日(火)に小諸城跡に行って来ました、確か2度目の登城かな随分忘れていましたね。

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駅側にある大手門公園?の大手門うん・・・江戸初期の藩主仙石秀久が築いた大手門が有ったかな?、仙石秀久・・・織田信長時代秀吉の部下・・初代小諸藩主ですね。

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立派な大手門ですね、此れから駅向こうの千曲川に切り立つ崖に作られた小諸城へ駅が出来て線路で分割されたのですね、しかも低地にお城が有る珍しい条件のお城なのですが、此れから見れば素晴らしさが解りますね、武田信玄・・・山本勘助が縄張り?とか、仙石秀久が改修、以下牧野家へ。

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概ねの縄張り図、左側が大手門、線路右側が此れからの説明場所です、後が千曲川で上側がしし谷、下側が地獄谷でお城は駅から見て低地になる珍しい穴城。

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三の門・・・大手門を四の門(本丸から数えて四番目)懐古園の大額は16代徳川家達の筆とか、格調の高い門ですね。

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三の門を入ると二の丸の石垣があり、この石垣沿いを上がり本丸方面へ進みますね。

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二の丸の石垣を上ります、正面の石垣は南丸の石垣で喰い違い門を構成していますね。

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左側上が南丸で二の丸との喰い違いを進む構造ですね。

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振り返ります、二の丸石垣と三の丸門が。

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喰い違いの右側に二の丸への虎口の石段があります。

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階段を上がれば二の丸跡です。

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二の丸の階段上から本丸方面を見ます、左側が南の丸で右側が北の丸、正面は空堀で本丸への黒門橋です。

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北の丸です、今は弓道の矢場ですね。

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本丸の入り口に架かる黒門橋、下は空堀ですね。

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橋脇が本丸の黒門跡です。

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黒門前の石垣を回り込むと懐古神社・・・本丸跡です。

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神社左側奥の石垣、隅櫓跡。

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隅櫓跡の石垣脇から下の見る。

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本丸裏側の石垣の上から見た天守閣の石垣が見えます。

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天守石垣隅より下の見る・・・・石垣の土が無くらり石が縊れていますね・・・後程下から見ますが。

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本丸石垣の外と井戸(荒神井戸)。

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本丸荒神井近くにあるオオケヤキ樹齢500年幹回り6・3mの巨木ですね。

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折角の巨木なので、如何ですか、右側が荒神井戸で脇が本丸石垣です、この一帯を紅葉が丘。

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これが天守の石垣です野面積み算木積ですが大分中の土が流れ落ちていますね。

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このお城の脇は天然の谷が深く切り込んでいます、地獄谷で左上は水の手郭(展望台)です、正目の先が千曲川です。

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此処が水の手郭と島崎藤村の碑です。

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水の手郭から見た千曲川です。

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同じく水の手郭から見た地獄谷の天然の堀です。

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此処は水の手郭の反対方向にある富士見展望台です・・・富士山がみえるのです、この先はやはり天然の断崖で囲まれています。

 

 

 

2019年6月27日 (木)

戸倉の荒砥城跡に行って来ました。

2019年6月25日(火)に千曲市戸倉の荒砥城跡に行って来ました、趣のある山城で、武田信玄との攻防をした村上義清の一族の山田氏のお城です、何度か武田を抑えたのですが圧倒的な武田軍の軍事力の前に落城、現在は復元され当時の面影が見て取れるのです、戸倉駅からタクシーで上がれました(2000円弱)。

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駐車場までは急坂を上ります、帰りは歩いて下りましたが、此処からも少し歩きます。

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素晴らしい石垣が見えてきましたが・・・当時は無いでしょうね・・・、村上義清の本城はこの城の向こう側の山戸倉駅の次の坂城駅の葛尾山の葛尾城なのです・・・そこには石垣は無いみたいですからね。

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荒砥城の碑奥の冠木門脇が関所です・・300円です、この辺りが四の丸。

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三の丸を上り細い路横奥が二の丸(郭)の櫓門です、横矢掛かりの防御システムです、門上からも下の敵を狙いますね。

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門内に入ると正面は壁で右側に回り込みますが狭い坂を上らなければなりませんね、奥に見張り台の櫓があります。

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見張り台の櫓です・・・見晴らしがよいのです。

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まず城内二の郭の兵舎と奥が本郭が見えます。

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少しずらして今来た二の郭の櫓門と石垣に挟まれた登り口、下から来る敵兵を上から狙い撃ちですね・・・敵の兵力が少なければなかなか敗れませんが、大勢いで一気に四方八方から攻めれば・・・・。

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見晴らし台からの千曲川と村上義清の本拠地坂城方面です左側の山が葛尾山で葛尾城が目の前に有ります・・・晴れた日は旗を振るだけでも会津が出来そうですね、敵が迫るのが・・・。

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先程の虎口を見た所です、上からすぐやられますね。

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本郭手前から振り返ります、見晴らし台の櫓、右下が虎口で、左側が兵舎ですね。

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いよいよ本郭へ柵と冠木門、やはり石垣沿いの細い道を・・・横矢掛かりです。

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本郭の櫓門です、道が細く大勢が取り付けないように。

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やはり門内は同じ造りの坂道です、上から。

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本郭の柵から見た二の郭です・・・絵になりますね。

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少し角度を変えて柵と見晴らし櫓。

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本郭の兵舎と正面が館で裏側に見晴らし場が有りますね・・・・此処は水場は無いみたいですね・・・途中の沢から持ち込むのでしょう。

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これは以前NHKの撮影現場で使用されたみたいですね。

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本郭裏側から見たアルプスがわ長野側ですね、素晴らしい眺望です、やはり普段は上山田温泉で暮らしていたのですよ。

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NHKさんではありませんがこの景色がお城の風情を出していますね。

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本郭から二の郭へと出てきました、昔の武将になった気分ですね。

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二の郭から本郭を仰ぎ見ました、如何ですか、・・・此れからこの下の城泉山観音寺横の奧津神社の男女の性器が祭られた男女和合のパワースポットをお参りして下ります。

 

 

2019年5月11日 (土)

大月駅前岩殿城跡に行って来ました。

2019年5月8日(水)に都留市の勝山城跡、次に大月市の岩殿城跡に行って来ました、どちらも武田軍団の小山田氏のお城です、岩殿城は関東三山城(久能・岩櫃城)で要害な地に有りますね。

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大月駅の横から見た岩殿城跡です、此れから右側からジグザクに登り最後に正面岩左脇から城内へ。

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まず桂川を渡ります、川まで簡単に登り降り出来ない深い谷です、この下流に猿橋が有ります。

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橋を渡り山裾を右側に回り込むと入り口が・・・此処から。

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少し上ると冠木門が迎えてくれます、此処はほんの入り口ですね。

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私は左のわき道から上りました・・・・山道なので。

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岩殿山中腹の丸山公園にあるふれあいの館です・・・中世の城をイメージ・・・此処までは比較的簡単に登れますね、此処から急坂をジグザグと上りますね。

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登と脇に先程見た鏡岩の岸壁が・・・この岩横をジグザグと上ります。

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見上げます、此れがジグザグです、岩が崩れたらアウトですね、そんなことは無い・・・イイエ2-3年前の台風の時アチラコチラ崩れ落ちたので今も通行止め状態ですヨ。

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漸く、大手門との分岐まで来ましたね、今回は右側ですが、大手門・兜岩方面は直進ですね、大手門コースがこの狭さですから大変な城なのですよ。

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ちなみに大手門コースです、今の先が此れですからね・・・・クサリが付いた此処を降りていくのです。

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漸く山頂直下まで来ました、城内への入り口の揚げ城戸門跡です、上下する門で塞いでいたのですね。

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揚げ城戸の向こう側に番所跡・・・・門番たちがいた空間が有りますね。

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番所跡から見た城内方向、右の岩脇から上ってきたのです、階段の上が山頂の尾根・・・岩殿城城内です。

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西物見台跡です、切り立つ岩の先です。

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西物見台から城内を見る(尾根)正面クイが崩落の一つです。

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台風による大雨での崩落跡です、馬場跡と帯曲輪が消えましたね、復旧?難しそうですね。

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南物見台跡、乃木大将詩碑と岩殿城縄張り図が有ります、山頂本丸は右奥アンテナの場所ですが、此処が見晴らしがよく山頂見たいです。

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岩殿城跡縄張り図まだ右側に広がっているのです、この城は織田・徳川軍に攻められ武田勝頼が最後に立てこもる予定の城でしたが、武田軍団も人心が離れ、この岩殿城城主小山田信茂の裏切りにあい、立てこもる事無く滅亡、城主信茂も裏切りの為甲府善光寺で殺害滅亡したのです。

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南物見台を過ぎて振り返りました。

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左横が馬場、右側奥が三の丸、右側の下が用水(亀ケ池・馬洗い池)・・・・本丸はまだ先です。

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三の丸で右側奥の道も崩落で通行止めですね、左側から本丸方面へ。

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蔵屋敷跡とか。

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この辺左上が二の丸?・・・奥が本丸狼煙台です。

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本丸跡です、現在アンテナ群が立ち風情がありませんが、本丸脇は空堀跡がこの先は東物見台ですが現在は景色は皆無、その先は崩落で歩けませんね。

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最後の用水池を、上段の池が亀ケ池で飲用、下段の池が馬洗池、左側は切り立つ岩・・・駅から見て右側の岩の上です、武田勝頼が籠城してもどれだけ持ちこたえたか?、高天神城の籠城戦でも救えなかったのですから人は石垣・・・・ですね。

2019年5月10日 (金)

都留市の勝山城跡に行って来ました。

2019年5月8日(水)に山梨県都留市の勝山城跡に行って来ました、当初は武田家と深い繋がりのあった、小山田家の詰めの城です、現在の都留市役所隣の小学校が谷村城跡(居館)で後ろの川向う(桂川)に勝山城跡があります。

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谷村城跡は碑があるだけで・・・・、桂川に内橋がかかり勝山城へ行けたみたいですね、私は富士急行谷村町駅から行きます。

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桂川に架かる吊り橋です。

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吊り橋を渡り、道なりに、此処が右側に案内が在りますが直進です・・・直進突き当りで右折です。

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直進すると又突き当り・・・トイレ、左側が此処ですネ、突き当り横に勝山城跡の案内板があり、その横の山道がお城の登り口です、お城はこの後の山です。

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少し掠れていますが、お城の縄張り図です、左側が北側です。

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少し上ると内堀跡の碑・・・木々が多く少し入りましたが・・・・、内堀前の山道を此れから上ります。

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山を回り込みながら登りますね。

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しばらく進むと見晴らし台跡に出ます。

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此処が見晴らし台です、櫓でもあったのですかネ、・・・下は都留市の一部ですね。

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振り返ると、右側から登って来ました、此れから真ん中の山道に・・・、しばらく上りますね。

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急坂を折り返し上ります、漸く城壁らしき壁が見えてきました。

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登りきり下を見ると、・・・敵は眼下ですね。

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登り切りましたね、正面が三の丸の壁、回り込むようね本丸方面へ。

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此処が三の丸跡です。

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三の丸脇を進みますね、正面に壁が右側へ進みます、左側三の丸上が二の丸・本丸となりますね。

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右側に上がると本丸(左側)を囲む形で帯郭があります、回り込むと向こう側に見えるのが硝煙蔵方向ですね。

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帯郭から本丸へ・・・途中二の丸が。

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本丸への幟に石垣が・・・これは小山田家の後浅野家の築城したものと思われますね、小山田家ー豊臣秀吉の一族浅野長政の家老が築城し徳川家康の抑えとしたわけです、その後は徳川へと変わりますね。

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本丸です、城山571mの山頂です、奥に東照宮が有ります、徳川時代の秋元家のものでしょう、後に明暦三年1657年秋元家が川越に転封し此処勝山城は廃城となるのです・・・・谷村城跡の隣に陣屋跡が在りますから天領となったのでしょう。

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本丸から見た二の丸・三の丸です。

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本丸脇から今登って来た道ですね。

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反対方向の本丸から見た帯郭です。

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同じく本丸と富士山です、素晴らしいですね。

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煙硝蔵跡です、本丸から少し離れていますね。

此処勝山城跡は小山田家の城でしたが、小山田家の支城岩殿城へ織田・徳川連合軍に攻められた武田勝頼と立てこもる計画でしたが裏切り結局甲府善光寺で殺され滅亡しましたね、此れから岩殿城跡へと向かいます。

 

 

2019年4月24日 (水)

奈良高取城跡に行って来ました(2/3)。

2019年4月16日(火)に高取城跡に行って来ました、今回は続きその2です、大手門に漸くたどり着きましたが、これからが凄いのです2万5千石のお城とは思えませんね、当然天正13年(1585)豊臣秀長の本多でしょうね。

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高取城の大手門跡です、この辺が三の丸とか・・・私はこの中の二の丸が三の丸と思ってしまいましたが?、右側が城代屋敷跡とか荒れていましたが、右石垣脇を行けば八幡口登り口壺阪寺へ。

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この石垣ですから、綺麗な枡形構造で秀長一統の土木技術は凄いですね・・・竹田城とか藤堂高虎とか、秀吉の補佐の縁の下の力持ちなのですね。

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これは大手門左側の石垣ですからね。

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大手門のイメージが此れですよ、山の上で?。

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大手門枡形構造、三方から囲まれ曲がるとまた囲まれますね。

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此処が凄いのは門を入るとその先にまた石垣が立ちはだかるのです、この石垣の上が二の丸なのです。

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大手門の枡形を上がりきると見えました、此れが二の丸の石垣と虎口が見えますね、この手前の広場(曲輪)は?、しかも奥行きが凄いのです本丸の下の下まで続きます。

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取り合えず大手門石垣の上から門下を覗きましたね・・・こういうところが大好きなのですが、大砲でもないとなかなか近代戦でも抜けませんね、如何ですか。

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門内の広場には大きな木が幾つか存在していました・・・当時から大切にされたのか江戸期か?。

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それでは十三間多門から二の丸入ります。

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十三間多門・・・これでもかこれでもかと高い防御ですね。

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十三間多門の奥から見た所結構な段差もあります、登敵は眼下です、石垣も屈折し隠れて打てますね。

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上がりきると前側に低い出すが石垣があり、左右に分かれねば二の丸へ入れませんね、私は此処が三の丸?と思うほどまだ奥があるのですよ、本丸は奥の奥の石垣の上ですからね・・・・感じた事は少し病的なほどの防御形を作ったと思いましたが、桜が今満開で奇麗でした。

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今の景色の逆側の二の丸です。

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十三間多門少し脇の石垣の上に大きな木が根を張っていました、石垣が壊れるのですが風情はありますね、大手門方向が見えました。

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二の丸です奥に櫓の石垣が有ります。

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此処から見える景色は?吉野山方向でしょうかネ。

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近づいて見ます、太鼓櫓の石垣です、右側から入りますね。

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壺阪寺方面からの登り口七つ井戸方面です、本丸の脇下で石垣が続きますね。

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此処にも虎口がしっかりした石垣で有ります、此処を入ると二の丸の中段、今までが二の丸下段・・・その奥に二の丸上段が。

 

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虎口脇から本丸の石垣を見る・・・右下が七つ井戸へ下りますね。

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本丸天守の石垣が漸く見えてきました、此処に素晴らしい巨木が立っていましたね。

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嬉しいのでもう一枚。

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巨木脇から振り返りました、太鼓櫓の石垣です、此れから右側へ出て見ます、今は左側から来ました。

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十五間多門とありました、此処までが二の丸の中段?ですね此れから二の丸上段から本丸ですネ、大変なお城ですね。

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月22日 (月)

八王子根小屋城跡(戸吹城跡)に行って来ました。

2019年4月21日(日)に八王子の戸吹城跡・・現在は根小屋城跡に行って来ました、滝山三城(滝山城・高月城・根古屋城)で以前より気に泣ていたのですが、交通の便が悪く行けませんでした、本日高校の時のクラブの飲み会がありお願いし現地に行って来ました。

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滝山街道(古甲州道(武蔵府中の国府から甲斐の国府を結んでいます))沿いを少し離れた加住丘陵にあり秋川の渡河地点の近くにある軍事的な要衝なのです、お城というよりは見晴らし砦でしょうかネ、細い道路を入り案内板が有るのでたどり着きましたね。

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どのくらいな規模?、上の方に秋川が有ります、下ののうから入りますが南北に分かれた曲輪が細尾根で連結したものですね、砂交じりの土なので雨風で風化し崩れています。

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少し拡大下南曲輪です右横が秋川側です、私たちは左側中央辺りからこの尾根筋へ出ました、一度上の方に、続いて右側の北曲輪方面へ(いけませんでしたが)最後に下側にと見て歩きました、防御は北側もしくは東側をほぼ重点的に考えられていますね・・・高月城・滝山城の支城ですから。

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案内板の先の竹林がほぼ南曲輪です、私有地の竹林には入れませんが階段状に削地されていますね。

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少し上の方から見ればよくわかりますね。

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急な坂ですが短いのですぐに尾根筋まで登れます、社があります・・・南曲輪の中心でしょう・・・東西に尾根があり、この社の後側に北曲輪の道が有ります。

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右側が南曲輪で北側に空堀が有ります左側が秋川側で奥の高い所を左に行けば北曲輪ですね。

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少し離れて同じ場所を見て見ます、右側の広場の尾根が南曲輪で左側は防御の空堀です。

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南曲輪の西側です、こんもりと土塁?でしょうかネ、横側を尾根が少し下り・・・その後は細い尾根ですね、多分あまり警戒していないのでは。

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此れがその先の尾根筋ですね・・・、防除的仕組みを見て取れませんした、元に戻ります。

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空堀をまたぎいよいよ北曲輪方面へ

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此処から左側へと向かいます、右側は社のうえですね、北側くればこの正面から迎え撃つのでしょう。

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馬出・・・小さな広場がありその先は細い支線の尾根です、両サイドが切れていますね・・・一応注意のロープが。

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上がったり下ったり細い道が続きますねこちら側は結構切れ立つ崖の連続なのですね。

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なおも先へ進みます・・・結構危なそうです、崩れたのと削ったのもわかりませんからね・・・。

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崖で右側が見えました、南曲輪です、今日送迎した人が向こうで見ていますね。

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結局北曲輪まで行かずもどります・・・残念ですが!!。

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いずれにしろ、此処までは無理そうですからね。

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無事元の場所にもどりました、此れから右側(東)へ。

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社の土塁の上から北曲輪方面を見る。

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尾根筋です。

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尾根筋を少し進むと堀切で分断・・・堀切に細いくの字がたの土橋(よく読み取れませんでしたが)横矢がかりの側面攻撃の防御です。

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堀切から竪堀で落としてありますね。

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此方から見るとくの字型土橋に見えますね。

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無事に降りてきましたが、そんなにすごくみえませんが秋川側は天然の要塞なのですね。

これからクラブOB会の飲み会です、幹事さんのご厚意に合わせて感謝です・・・飲みすぎないように注意しますね。

2019年4月20日 (土)

淀城・伏見城跡に行って来ました。

2019年4月15日(月)大阪の岸和田・住吉、兵庫の尼崎と回りました、いよいよ京都の淀城・伏見城に行って来ました、淀と伏見は比較的近いですね伏見城は廃城解体となり淀城が幕末まで残ったのですね、豊臣・徳川ー幕末の戊辰戦争の始まりもこの近辺でしたね。

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淀駅から近い場所に有ります、宇治川・桂川の合流付近の川中島だそうです、ここは豊臣秀吉時代の淀君がいた淀城とは少し離れて違うとの事です。

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淀神社脇から城内へ、あの春日局の子孫で五代目正知の時に佐倉から10・2万石で入府したときの稲葉家の神社が正面にあります。

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この淀城は伏見城廃城に伴い京都の水陸の要所なので松平定綱が築城した山城の国唯一の居城なのです。

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右側のやや高い石垣が天守の石垣です。

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天守脇から見た石垣と水堀です、向こう側は線路で多分城の一部は分断されたのでしょう。

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淀城天守台石垣です、穴倉式天守台です・・・正面の石垣の間をもぐり中に入るのです。

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天守石垣の上から見た本丸の石垣と堀。

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天守の石垣、穴倉式。

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本丸脇の土塁ですこちらと正面側は石垣水堀の遺構が残っています。

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天守と対角にある隅櫓の石垣。

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隅櫓下から見た石垣と水堀です。

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本丸にある淀城址の碑です。

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この後古淀城跡に行ったのですが、遺構らしきものが解らず、戊辰戦争の碑がありました、鳥羽伏見の戦いで敗北した旧幕府軍が拠り所としたのですが拒絶されましたね、伏見に向かいます。

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伏見桃山駅から伏見城跡まで歩きます。

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伏見桃山駅隣に近鉄線桃山御陵前駅がありその通りをすすむとJR桃山駅がある交通の要所ですね、この門は伏見城大手門を移築したものとか(御香宮神社)、廃城のおり伏見城はあちらこちらで再利用しましたね。

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伏見城大手門です、凄いですね・・・・伏見城は関ケ原前哨戦のおりに徳川家康が会津上杉軍征伐で大阪を離れた時西軍がまず抑えたのがここ伏見城です、鳥居元忠が当時城代で1800で立てこもり、4万の大軍と攻防を繰り広げたのです、今の場所ではないそうです。

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しかし見事なお城ですね、徳川家康が再建・・・・城造りの名人藤堂高虎が普請奉行、将軍宣下は伏見城で受けたのです、後に廃城し天守は二条城に移築・・・・伏見櫓(江戸城にもありますが?)。

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現在中に入れませんが・・・・十分ですね。

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横の方から仰ぎ見ました。

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桜の花も・・・。

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五層六階の大天守見事なものですね、山城の遺構も好きですが、建物があれば・・・・、今日は此れで奈良へ戻ります、疲れましたが明日は高取城跡ですからね。

 

 

 

 

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