2020年10月 2日 (金)

八戸城跡に行って来ました。

2020年9月29日(火)八戸のホテルから近いので早めに食事を採り、八戸城跡を見てきました。

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八戸城跡は八戸の市街地で現在は市庁舎等に利用一部が公園・神社として残っていました、この内丸地区がほぼ当時のお城ですね。

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八戸城跡の縄張り図と現在の地図を重ねたものです、上が八戸港・左側に馬淵川・右側に新井田川に挟まれた舌状台地の尖端(中世の城の立地条件)に構築されていますね、JRの駅は崖下の低い所で本丸の後は崖です、なお、根城は左側馬淵川を遡った所に築かれていますね・・・今回は行けませんでした。

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この道は八戸城本丸と二の丸との間でこの先は内堀だったのですね、左奥が本丸右側は二の丸方面ですね。Dsc03704

遺構の建物で現存する八戸城角御殿門。

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八戸城本丸への入り口・・・・現在は一部が三八城(みやぎ)公園として残っています。

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八戸城跡の碑、この奥が三八城神社。

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本丸跡に建つ三八城神社・・・・城主を祀った神社ですね。

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三八城公園に立つ八戸城本丸跡の碑、この左下方面がJR本八戸駅です。

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本丸跡・・・現公園です。

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公園中央部に土盛した場所があり八戸城説明の碑があります。

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初代八戸藩主、南部直房公の像、南部家10万石、南部利直(三戸城)ー重直(盛岡城)・・・跡目を決めず死亡、無事次男の重信が8万石で跡目を継ぎ、末弟の直房がこの地に2万石の八戸藩を創立したのです・・・如何なる駆け引きがあったのでしょうね。

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本丸跡から見た馬淵川方面・・・右側が八戸港方面、結構な舌状台地なのです。

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二の丸跡の一部にある霞神社・・・・。

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駅方面の道横に、二の丸跡の説明版がありました、右奥方面に霞神社、左側木立が八戸城本丸方面です八戸城の目立つ遺構はありませんが地形的には城郭が甦りますね、時間が無く本丸界隈をつぶさに見れなかったのですが良かったですね。

 

 

2020年8月10日 (月)

岩手県志波城跡に行って来ました。

2020年8月5日(水)に岩手県盛岡市の古代城柵の志波城に行って来ました。

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復元した、志波城外郭南門・・・ほぼ威嚇の城郭で二重の壁で囲んでいますね、外側の櫓門と周囲を築地塀(ついじべい)で外に堀の古代城柵です、大化の改新645年以降大和朝廷の積極的な領土拡大政策で神亀元年(724)宮城県多賀城、天平5年(733)秋田県秋田城(現在一部復元)、その後北東北一帯に801年頃横手盆地に払田柵・802年北上盆地に胆沢城・ここ志波に803年城柵を築きました、北側の雫石川の氾濫があり約10年で廃城となった、お城ですね。

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志波城跡ですが北側は川の氾濫で焼失ですね・・・。

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秋田城もそうですが、古代城柵は復元されないと縄張りが見えずわかりませんね、山城はいくらか当時の縄張り図が素人でも推測Dsc02986

60m間隔に櫓が築地塀の上に構築されていたのです、もともと陸奥の蝦夷(えみし)を収めるため坂上田村麻呂が征夷大将軍としとして胆沢城・志波城を築いたのですから・・・・それ以前は延暦年間(789)エゾ征討で強い抵抗にあい敗れたのです。

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表側正面からの外郭南門(櫓門)・・・・奥が南大路でその奥に南門・・・・その奥が政庁・・・。

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外郭南門を入ると南大路ですね、東西南北に各門があり、真ん中に政庁がある縄張りですね。

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南大路の突き当りに南門・・・その先に政庁があったのです。広い城柵なのです。

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外郭南門の内側から見た築地塀と兵の住居跡(竪穴式住居?とか)。

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内部から見た櫓門・・・・登りの階段が見えませんが、一部囲いが無い場所から梯子で登り降りしたのでしょうね。

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官衙建門・・・・竪穴式住居とのギャップ??。

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内側の横から、櫓への登り口はありますね。

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塀上の櫓が見事ですね。

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城壁の手前には堀があったのです・・・・。

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外れの方の櫓・・・・塀ありませんでしたが?。

バスの時刻が2時間位の間隔なのでゆっくりできず駆け足での見学となりましたね。

2020年3月27日 (金)

栃木城跡に行って来ました。

2020年3月26日(木)に栃木城跡に行って来ました、

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栃木第四小学校グランド側のラーメン屋さん脇を入ると案内板が見えました、左側が四小です、右側がわずかな遺構です。

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この栃木城はこの一帯を治めた皆川家は北条の傘下でした、皆川家の藩主広照は小田原征伐時には小田原城へ籠城、徳川家康

の勧めで降伏、皆川城を失いましたが、家康の助けで本領を安堵・・・天正18年1591年この地に栃木城を築城。

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案内板から右側へ・・・・この辺の方が古い作りの武家風の屋敷がありますね。

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この右奥が栃木城跡です。

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この水堀が遺構の一部?です、小さな栃木城址公園です。

皆川広照は小田原征伐後は徳川家康に仕え家康の第六子忠輝を養育長野の飯山に移り、栃木城は弟の俊勝に預けましたが、慶長14年1609年忠輝失脚に伴い皆川家は改易、城は破城となった為、町中で遺構が無いみたいですね。

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水堀もわずかですね。

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この奥少しを含め城址公園です。

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堀脇がわずかに高台で残っているだけですね、しかし、皆川家は1615年豊臣家滅亡の大阪の役で功あり、1623年常陸国石岡で一万石の大名に復帰していますね、・・・・結構数奇な人生を送った戦国大名ですね。

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現在の遺構は写真中央のボツですから、立派なお城ですね。

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桜の花の栃木城遺構です。

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水堀の角から栃木城跡遺構を。

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遺構の土塁うえから水堀を・・・・、この前に皆川城跡を尋ねたのです・・・皆川城跡は山全体が遺構ですからね。

 

2020年3月23日 (月)

舘山城跡に行って来ました(山形米沢)。

2020年3月19日(木)に山形県米沢市の舘山城跡に行って来ました、伊達氏のお城で後に上杉氏時代に廃城となった城ですね。

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鬼面川に架かる大樽橋です、肥大側が舘山城跡です、会津・喜多方面の道路。

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橋左側から見た鬼面川上流です、正面の山が舘山城です、川が合流地点で左側が大樽川・・・上流に小野川温泉があります、右側が小樽川となります。

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橋を渡りチョット左側がお城への入り口ですね、左側の家が資料館です、正面の川(小樽川)を渡れば舘山城城内ですね。

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舘山城跡の縄張り図です、今上右側の端です、上の方の北館跡には行きませんでした、東館から南側虎口から上がり曲輪1・2・3と見て回りました、此処館山城は伊達家の本城で伊達政宗生誕の城なのですね。

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小樽川の橋を渡ると正面に切岸?が現在変電所なのです、左右に道が・・・右側の北館には行かず左側の東館へ行きました。

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舘山城内東館跡です、正面は大樽川です。

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東館跡の脇・・川は大樽川、奥林の中が大手口があり右側の山への登城口です、井戸跡等が有りますね。

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東館の奥(現林の中)の大手道、正面から右側の登り口が有ります。

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横矢掛かりの斜面をジグザグ登りますね、右側下が東館側。

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曲輪1の虎口に出ました。

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曲輪1です、右側(北東)が先程の変電所が有る切岸の上ですね。

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曲輪1の外れから見た米沢側です、下が鬼面川で右側林が米沢城辺りでしょうかネ?、向こうは蔵王方面でしょうかネ?。

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振り返り見た曲輪1.

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曲輪1の北側斜面・・・帯曲輪が有りますね。

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曲輪1の奥側を見れば土塁が見えますね、川に挟まれた丘陵台地を削平ヤヤ細長い三角な曲輪1ですネ。

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曲輪1から見たヤヤ左側の奥、奥は土塁が見えます。

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曲輪1の右側の奥は枡形虎口で小石の石済みが見られます・・・・此処館山城は江戸期に廃城となり壊したのです、大きな石垣は無いですね。

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しかし、趣のある石済み跡ですね、向こう側が曲輪2へ繋がりますね。

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枡形虎口を出た、曲輪2です、左が曲輪1の土塁で空堀があり左側が曲輪2です。

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逆側を見れば空堀から竪堀が落ち込み脇には帯曲輪が有りますね、この下側は北館ですね。

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曲輪2の奥(左側)には大きな土塁が見えます、正面は大樽川側です。

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曲輪2の川側で切り立つ壁で下に大樽川が流れたお城なのです、

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少し進むと曲輪2の大土塁があります。

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土塁の上に小さな石の社と碑が・・・・・、向こう側も大きな堀切が・・・空堀ですが、今は変電所の堀?。

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大土塁の上です、右側が曲輪2、曲輪下奥が虎口です。

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曲輪2の大土塁上から振り返り見た大堀切・・・右側が曲輪3側の物見台方面。

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曲輪2の虎口です。

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曲輪2の虎口、向こう側が曲輪3側・・・横が空堀・・・今は変電所設備の水が流れている?。

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虎口脇の帯曲輪としたが北館。

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曲輪3の虎口・・・手前は空堀跡・・・今は変電所設備の川?。

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空堀・・・・変電所設備の川?・・北側。

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曲輪2と曲輪3の空堀・・・今は変電所設備の川?。

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曲輪3です・・・狭いですね、後ろの物見台の為の削平地?かな。

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曲輪3から見た堀切による空堀・・・実質此処が後ろの壁ですからね・・・この後の物見台の向こう側にももう一つ堀切が有りますがね。

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逆光を浴びた物見台坂道曲輪3から上ります。

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此処が物見台跡です舘山城の一番奥です。

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物見台から見た空堀です。

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舘山城物見台です、米沢市内からの敵が見える位置ですね、此れで舘山城跡の散策は終わりです、良い城でしたね。

2020年3月22日 (日)

米沢城跡に行って来ました(上杉神社)。

2020年3月19日(木)に米沢城跡(上杉神社)に行って来ました、上山城跡の帰りに寄りました。

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米沢城下の絵図・・・今は上杉神社が水堀で残っています。

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上杉神社(米沢城本丸)と一部周辺。

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上杉神社前から見た舞鶴橋。

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正面水堀を南側から左側が米沢城本丸(上杉神社)。

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南側の堀、米沢城はほぼ正方形の本丸・・・右側、左側は上杉伯爵邸です。

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南側の堀に架かる菱門橋。

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上杉神社正門です。

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上杉神社です。

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上杉神社本殿。

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上杉神社正門の舞鶴橋と昆の旗、向こうは蔵王方面でしょうかネ?。

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北側から舞鶴橋を眺める。

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北側の水堀です。

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西側の水堀です、四角な水堀に囲まれた米沢城跡です。

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米沢城の南側の上杉伯爵邸です、堀の脇です。

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米沢藩主上杉家の墓所です。

2020年3月21日 (土)

上山城跡に行って来ました(山形上山温泉)。

2020年3月19日(木)に山形の上山城跡(月岡城跡)に行って来ました、米沢の小野川温泉に宿泊し明日は朝から帰りですが米沢城跡・舘山城跡を今日一日で見て回ります、この城は以前来たのですが工事中だったので再度見に来ました。

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かみの山温泉駅からの手前の端側から見た上山城・・・高欄廻縁の望楼型のお城ですね・・・以前はシートで見えなかったのでうれしいですね。

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お城の下から見上げます、このお城写真が撮りずらいですね、高台ですが住宅地で電線が多く近づくと城が見づらくなりますね。

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右側の公園側から見た上山城です、如何ですかネ。

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やはり公園側からすこし近づき。

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公園から見た蔵王方面の山です、冠雪の山々が・・・・。

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より近づき城横から。

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お城の横からですね・・・これから後ろ側へ最後に正面へ回りますね、この城は山形最上氏の最南端の城で米沢の伊達氏・上杉氏との攻防が行われたのです、江戸期に土岐頼行が2・5万石がおさめ、寛永5年1628年京の大徳寺の沢庵禅師が流布されたお城でもあるわけです、土岐氏が転封後廃城となったみたいですね。

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お城の裏山にある月岡神社です。

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月岡神社側から見た上山城です、桜の木々が多く、隙間を見つけるのが大変です。

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漸く正面へ出てきました、天守脇の櫓門と華麗なお城の神山城です、電車からも奥見えますが、山形方面でないと見えません、今回は駄目です。

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もう少し角度を変えて、このまま少し離れればよりよい写真が撮れるのですが下がれませんからね、でもこの前見えなっかったので今回見えて良かったです、此れから米沢に戻り、米沢城跡・舘山城跡を見てきますね。

2020年3月15日 (日)

桐生城跡(柄杓山城跡)に行って来ました(群馬桐生市)。

2020年3月12日(木)に桐生城跡に行って来ました、桐生駅からおりひめバスで城山入口のバス停へ。

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バス停脇にありました、案内板です、女子高校前のバス停からも歩ける距離でしたね、帰りはバスの時刻の関係でそこまで歩きました、取り合えず城山入口から舗装の林道を上り日枝神社のコースを歩きました。

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林道を上り駐車場まで、奥左側に案内図がありました、まだ舗装道路が続きますね。

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案内板1此れからもう少しで桐生城跡。

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案内板2・・・今右下、少し上がれば分岐・・・左側へ城の案内図(縄張り図は此れだけでしたね案内は無い)・・・私は北郭方面へ行きそこないました残念ですが(悔しい)・・・多分堀切から竪堀脇から下るのでしょうが?。

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此処が分岐ですね、直進し右脇から漸く山道へ入ります、左側は土塁みたいに積み上げた土砂の作業場?・・・お城を作るの?。

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作業場横の山道を少し登れば本格的な山道に入りました。

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山道を進み鞍部へ右側は?、左側が桐生城(柄杓山城)の三の丸への入り口の尾根ですね。

このお城は連格式で三の丸・二の丸・本丸・・・脇に北郭等が有りますが・・・でも居館は本丸側下の山裾向こう側になります、お城は藤原姓足利系佐野氏一族の桐生氏が築城、観応元年1350年頃?、戦国期は北条・上杉らに従い群馬太田金山城の由良氏と抗争、元亀4年1573年由良成繁が攻め桐生親綱は佐野へ逃亡、以後由良氏の居城(北条方)、天正18年1590年廃城。

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分岐の尾根を左側へ、すぐに堀切で区切られた三の丸が現れます、右横は竪堀ですね、ぞくぞくしますね。

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堀切です、右側が三の丸です、道は山の向こう側へ回り込みますね。

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堀切の底道を進みます、正面は竪堀、右側に山道が変わりますね、右側が三の丸で横矢ですね。

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しばらく三の丸脇の道が続きますね、横矢が続くわけです。

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三の丸切れ目は大きく堀切られ左右には竪堀です、道が右側に正面が二の丸です、よく見ると左側に入れそうですね。

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三の丸の虎口から見た二の丸方面、この後三の丸へ・・・中は手入れが無く意外と細い。

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二の丸脇の道です。

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二の丸と本丸の堀切です、横は竪堀です。

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これは二の丸を戻り三の丸との堀切ですが、藪があり見ずらいですね。

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二の丸から見た本丸前の堀切と本丸虎口、手前の木が根事倒れて下の堀切を見ずらくしているのです。

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本丸の虎口です、小さな枡形?、回り込んでいますね。

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本丸の虎口上から見た二の丸との堀切です・・・・此処からは良く見えますね、左側から来るわけです。

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すぐ小さな削平地がありこの奥が本丸です、回り込みますね。

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本丸ですね、回り込みますね、虎口は向こう側です。

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本丸脇を回り込みますが、この右脇下にも帯曲輪が有るみたいでしたね・・・上から見ると削平が見れますが降りる道は?。

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本丸脇を回り込み木々が切れてきました、桐生市内側へ来ました。

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これは土が崩れない様・・・、見晴らしが良いよう木々が切り払われています。

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本丸です、今日は誰にもあわず・・・、桜の時期は名所なのかな?。

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桐生柄杓山城の立派な碑があります。

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本丸から見た桐生市内方面です、この下が日枝神社居館方面となります、此処は詰めの城なのでしょう。

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本丸の北東側?も下側に削平地が見られます・・・居りませんが。

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本丸から日枝神社へ下ります、急な斜面の坂道です。

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急な斜面を下り降りると段々の削平地が見られます、この辺からが居館・・・桐生館でしょうかネ?。

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少し下側に社がありました、まだ日枝神社まで少し距離がありますね。

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この辺りも削平地で向こう側は切岸みたいですね。

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日枝神社脇に降りました、神社脇に楠の巨木が見られました・・・幹回り3-5位の立派なものですね。

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日枝神社から少し離れて楠に囲まれた風情があるり、桐生氏にゆかりのある神社です。

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日枝神社(右下)と柄杓山です、社は右上の緑の林あたりですかネ・・・・やはり山城は遺構が残されて見ごたえが十分にありますね。

 

2020年3月14日 (土)

山上城跡に行って来ました(群馬県桐生市)。

2020年3月12日(木)に上毛電鉄の膳駅から山上城跡に行って来ました、その前に膳城跡に行き、北側に抜けて無事山上城跡へ、意外と近くでしたね。

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山上城跡入口です・・・・。

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模擬櫓?を入ると三の丸に入る木橋が・・・・三の丸は公園ですね。

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三の丸にある案内図です、皆さんが荷物置き場に・・・・少し横にどけて写真を・・・左側公園の外に南曲輪が有りますね、丘陵地を空堀で区画し横にも長い空堀と土塁で囲んだ連格式の中世のお城ですね。

藤原秀郷の流れをくむ山上氏のお城で関東管領山内上杉の重臣、天文15年1546年河越夜戦にも上杉軍として参戦、弘治元年1555年北条氏康により山上氏秀は城を奪われます、永禄9年1566年戻るが、永禄12年1569年上杉謙信の関東攻略で山上氏は滅亡、天正8年1580年武田勝頼により落城と有名な武将に攻められたお城です。

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三の丸です、正面先が二の丸。

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三の丸と二の丸の空堀です、二の丸脇に腰曲輪が北郭まで、右側は土塁でもう一つ腰曲輪が見られますね・・・見た目防御性は高く見受けられませんね。

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三の丸と二の丸を分ける空堀です。

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先程の二の丸の虎口と腰曲輪です。

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二の丸の虎口から三の丸方面を見ました。

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二の丸から見た腰曲輪、その左下にも、もう一つあります。

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二の丸です、奥の盛り上がる所が本丸と本丸二の丸は強く分かれていませんね。

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二の丸西側の土塁です、此方も、空堀・土塁と続いていますね、この空堀は三の丸から北の丸まで直線です堀底道ですね。

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本丸の虎口?、右側奥が本丸で此処だけが空堀で分けられていますね?。

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本丸から北郭を見ました、結構な高さが維持されていました。

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本丸奥に碑、正面が北郭、その向こうが笹郭になります。

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本丸広場です、連格式の簡単な構造のお城です、天正18年1590年の小田原征伐の時には片桐且元らに攻められ落城・・・その後廃城。

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これは西側の虎口?。

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西側虎口から見た三の丸の土塁と空堀、今日は桐生城・膳城・山上城跡を尋ねました、此れで帰りますね。

 

2020年3月13日 (金)

膳城跡に行って来ました(群馬県前橋市)。

2020年3月12日(木)に群馬の膳城跡に行って来ました、西桐生駅から上毛電鉄に乗り、膳駅へ。

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膳駅脇を右側へすぐ大通りを右側へ、少し歩くと案内が在りました、駅から歩いてお城までいけます、左に曲がり兔川を渡れば昔は城内ですね、橋の向こう側が根古屋で右側が南曲輪・追手門方向、根小屋の上方向(北)が西曲輪でその上が本丸です。

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此れが膳城跡の全体図ですね、今は本丸脇から真下に道があり、遺構は本丸・二の丸周辺の曲輪と空堀が残っています、意外にも周辺によく見れば空堀らしき見て取れます、本丸の北側は公園ですが上のお寺さん間でとかなり広いですね。

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坂を上るといきなり膳城跡本丸が・・・・・。

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膳城跡本丸の入り口です・・・それ程大きくはありませんね、西側から南にかけて兔川が流れ、東側に童子川の間の棚状丘陵地帯に空堀を巡らせたお城です。

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本丸の堀底道をまず時計回りに見て回ります、左側は今は通りです。

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反対側へ出てきました、右側が本丸、左側が二の丸。

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空堀の底から見た本丸・二の丸・正面は北曲輪方面ですね、此れから少し先左側を上ります。

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登と空堀があり、左側が二の丸で此処は三の丸(袋曲輪)が有りますね。

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此処が袋曲輪ですね、左側は二の丸を囲む空堀です。

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袋曲輪と二の丸の合流点です、後が西虎口。

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二の丸です。

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二の丸から見た本丸と空堀(先程歩きました)と右側が櫓台です。

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本丸から見た二の丸がわで右奥が先程登った袋曲輪側です・・・・この一角が奇麗な遺構として保存。

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本丸です、右側は通り。

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本丸に残る碑、築城は15世紀後半にはすでに有ったとか善氏(後に膳氏)文明12年1480年佐野昌綱により、落城したが由良氏(佐瀬業繁の援軍で帰城、永禄5年1562年上杉方に降る、元亀3年1572年上杉謙信の下野小俣城攻めで北条軍と戦うが善宗次は討ち死、その後北条軍により落城、膳氏は没落、その後上杉・北条と城主は変わる、天正8年1580年御館の乱で武田勝頼は上杉景勝を支持、上杉景虎の厩橋・大胡・山上・伊勢崎の各城を攻略、膳城近くに来た武田軍(この時武田軍は甲冑を来ていなかった)を膳城から攻撃、逆に打ち取られた”膳城素肌攻め”は有名なお話とか・・・廃城となったとの事。

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後ろは公園でした、三の丸・北曲輪辺りでしょうかネ?、お城が有りました。

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三の丸から見た赤城山ですね・・・これから山上城跡へ道が解るか不安ですが。

2020年2月25日 (火)

逆井城跡に行って来ました。

2020年2月24日(月)に茨木県坂東市の逆井城跡(飯沼城跡)に行って来ました、交通の便が悪く以前より行きたいと思っていましたが、息子のスケジュールと会い急遽行けることに、車では比較的楽に行けましたね。

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逆井城跡の案内図です、上が北側です、下側中央が大手門の筋で左側手前が空堀、左側が西の2の曲輪、大手門から直線で区切り西側の曲輪、大手門から右側斜めが古城でその奥から右側が本丸(御北条が改築)、右側が東2の曲輪で右側手前が3の曲輪に大雑把に分割されています、

左側には蓮沼、北側は西仁連川(昔は飯沼)で西・北・東は湿地帯だったのです、湿地帯に立つ平城です、逆井氏は古河公方に所属、御北条に攻められ滅亡、天正5年(1577年)北条氏繁により大掛かりな改築がなされた・・・・後北条の栃木茨城方面に進出する拠点・・・佐竹氏がいましたからね、お城の説明が現地で少なく?。

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大手門から城外を時計回りにまず見て回ります、大手口の土塁の上に二層櫓が・・・中世のお城の雰囲気が伝わりますね、土塁に架かる木橋もいいですね。

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水堀と二層櫓が・・・。

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角を回り込み蓮沼方面へ、西二の曲輪に立つ井楼矢倉です・・・・どこかで?、そう長野の荒砥城でも見ましたね、復元されイメージがより鮮明になりますね、中世と近世がごっちゃになりますからね。

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水堀の脇を回り込み裏側(北側)の西仁連川へ・・・此処は搦め手?の虎口?で左右を土塁で正面も土塁で抑えた虎口・・左右は馬出?。

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虎口内右側の土塁と右側は堀切の空堀です、右側は本丸側です、正面は当時は沼地ですからね。

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搦め手口から真っ直ぐ奥へ、小刻みの空堀が刻まれています、多分古城(逆井氏時代)の本周辺?、左側が空堀で奥が本丸です、右側が西2の曲輪法目になりますね。

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古城?土塁上から見た空堀・・・中央は鐘堀池(逆井氏落城の折に城主の娘?が鐘と沈んだとの伝説ある?)、左側は本丸。

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逆井城跡の説明版?・・・・わかりますか!。

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撮りの周辺を回り込みました、右側が本丸で奥が鐘堀池。

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なをも回り込むと、本丸に架かる木橋と復原された櫓門です、右側東2の曲輪側です。

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此処が東2の曲輪です、奥には空堀が有りその向こう側が三の曲輪側です

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復元された櫓門と木橋です。

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木橋上から見た空堀、右側が本丸、本丸側は土塁で積み上げた有ります。

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逆側ですね、左側が本丸。

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此処は東2の曲輪の東の外れ。

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本丸から見た先程の搦め手がわの川筋です(昔は飯沼)。

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本丸に残る社・・・・、この城の城主になった北条氏繁は氏綱・氏康に仕えた綱成の子で綱成は地黄八幡の北条軍の黄備えの猛将で天文15年1546年河越の夜戦で半年間の籠城戦に耐え逆転した人です、北条一門で玉縄城主だったのですからこの地に力を結集したのでしょうね。

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此れが鐘堀池です、本丸側からです、向こう側が古城側?でしょう、その向こう側が西の2曲輪側ですね。

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東2の曲輪側・奥が三の曲輪で大軍が収容できる形みたいですね。

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東2の曲輪端から見た本丸側の空堀と櫓門。

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東の2の曲輪と3の曲輪の空堀、向こう側が3の曲輪ですね。

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東2の曲輪林の向こうが本丸。

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此れも2と3の曲輪を繋ぐ木橋、天正18年1590年豊臣秀吉の小田原征伐により、本城も没落廃城となったのですね。

 

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